覇王別姫~深読み~
チャン・フォンイー様萌えの私にとって覇王別姫って小楼の髪型はアレだけど、映画自体はすっごく議論したくなる映画。私の深読みにおつきあいください。覇王別姫のあらすじ紹介とかには、「弾劾の場面では人間の弱さ、裏切りをみた」ってあります。確かにそうなんだけど、あの場面こそ、小楼と蝶衣が初めて『お互いに、万人の前で』⇒これ重要。愛を告白しあった唯一の場面だったと私は思ってるんです。まず、前提として「小楼は劇場型の人間」であると思うのです。激情の変換間違いではありません。たしかに小楼は激情型。瞬間湯沸かし器。と同時に「劇場型」なのです。つまり、のせられると他人の期待どおりの行動をとってしまう(演じてしまう)習性があると思うのです。菊仙との結婚の場面もそう。「この場ですわ結婚か!」というみんなの期待を裏切れなかった。小楼のこの性格を見抜いて「中に入れよ」という小楼の誘いを断り「ここでいい」と婚約の話を始めた菊仙は本当にお利口さんです。弾劾のときも結局は、罵声が歓声に聞こえるようになっちゃったんだろうな。調子にのって、べらべら、べらべら。最後の方はもう舞台の台詞と同じ。(ああいう場面では人間はそうなっちゃう可能性がある弱い存在なんだよという象徴であるとも思います)最初は蝶衣をかばっていたけど、「えらい人(名前忘れた)に取り入ろうとして、お前はあいつと・・・あいつと・・・」って言葉で、いろんなものがこみ上げてた。劇場型の自分にスイッチ入れるしかなかっただろうな。これ、どうしようもない嫉妬です。映画の中で初めて見せた「小楼」の嫉妬。自分ではわかってないとも思うけど。そう思って観ていたので、私は小楼に対して「裏切り者め!」っていうより、「この場面でやっと吐露できたか!」って思ったんだな~。蝶衣はもちろんそんなこと思ってなくて、「裏切られた!」って思って、「私も言ってやる~」ってことだったんだろうけど、言ってることはずべて「愛の告白」じゃんって。(日本語訳をみてるから作者のほんと~の意図はつかめてないと思うけど)菊仙が自殺しちゃったのは、小楼が自分のことを「全然愛してない!」って言うのを聞いちゃったからということだけど。それまでの菊仙の聡明さ、気丈さを考えると、「自分の立場を一番に考えて。あんな女愛してないって言っちゃえばいいのよ」って言ってのける感じがしたんだけど。私が菊仙だったら「愛してない」と言われたからより「やっぱり蝶衣にはかなわなかったんだ」「ふたりの間にはどうやっても入れない」って部分でショックを受ける。もう、立ち直れない。一方、最後に蝶衣が自殺する場面。これは非常によくわかった。ふたりの全盛期。蝶衣は小楼に言っています。「1日だって1分1秒だって離れていたくない」みたいなこと。10何年ぶりの再会。お互い年をとっているけど京劇の化粧では、きっと昔のあの日のまま。ふたりが一番密接だったとき、蝶衣がいつも間違えていた台詞を口にする小楼。ああ、この瞬間に永遠を刻みたいって、思ったんだろうな~。こんな長文でも言葉足らずで、どれだけ伝わるかわからないけど、もっと時間かけて練りたいけど・・・。とにもかくにも覇王別姫は、観る人にいろいろな解釈を想起させる、素晴らしい映画だと観るたび思います。