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テーマ:今日の一言(1533)
カテゴリ:日記(その他)
平成27年1月17日(土)
1.17あれから20年。 あの日、私はどうしていたか。 私、その時47歳、名古屋へ単身赴任中。 あの日は月曜日の朝であった。 月1~2回程度、週末は東京の自宅に帰っていた。 1.17の前日、16日日曜日の夜、東京を出て新幹線で名古屋に向かう。 地下鉄で東山動物園前の単身赴任マンションに帰る。 月曜日の朝一番の新幹線で名古屋に向かうこともあったが、 この日は前日の夜遅く到着し、直ぐに就寝した。 月曜日の朝早く問題が起こった。 あの阪神淡路大震災である。 名古屋でも相当揺れた。 壁際にベッドを寄せて寝ていたが、その壁がせまってくる夢を見ていた。 急いでテレビをつけ、地震が起こったことを理解した。 最初はいつもの地震かと思っていたが、時が経つにつれ、 だんだんと被害が大きくなっていくことに驚いた。 阪神高速が崩れ落ちているではないか。 昔、よく通っていた西宮北口の駅が崩壊している。 ニュースは次々に被害を報じている。 朝、出勤時間になり、東山を出て栄のオフィースに到着。 会社では東京からの単身赴任者は出社していたが、 大阪からの単身赴任者数名は誰も出社していなかった。 大阪にある会社の寮に家族ぐるみで避難しているとか。 後になって聞いた話では、六甲アイランドのマンションに住んでいた人が、 あの液状化になったとか、 戸建の家が崩れたとか、2重ローンで苦しんでいるとか。 まあ、大変なことになってしまいました。 そして、その大震災の1年後、私は神戸支店勤務になりました。 神戸元町中華街のすぐソバです。 初めて行ったそのビルは、壁に亀裂が入っていました。 道の向かいのビルは崩壊したままでした。 それから1年後、三宮の新しいビルに移転しました。 今朝のテレビの追悼式を見ていて、そんな経験を思い出しました。 20年経って、ハード面では復興したように感じましたが、 心の復興はまだまだのようです。 人間が寄り添っていく以外に、心の復興はないのでしょうネー。 ↓ 今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。 今後ともこのブログを続けたほうが良いと、仰っていただける方は、 お帰りに、下記ボタンを1日1度、ポチっと応援していただけると励みになります。 (1日1回のシジミ汁の歌が聞こえてきそう・・・なーんてネ?) ☆ いつも・・いつも、感謝・感謝の気持ちで生きてきたいものですネ! *** 明日枯れる花にも水やる心 *** じゃあ又ね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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