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真理を求めて

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2004.11.10
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宮台氏の「社会学講座」についての日記を書いていた時は、シカゴ・ブルースさんと水準の高い議論をしていたのだが、テーマが変わったのでそれが出来なくなってしまった。ここ2,3日の日記では、なかなか水準の高い議論は出来そうもない。シカゴ・ブルースさん、「数学屋のメガネ」の方を訪ねてください。あそこでは宮台氏の「社会学講座」の続きを書いていますから。

さて、これから楽天の日記ではしばらくは、ブログとしての高水準の議論は望めそうもないので、ここでは論理の訓練という観点から日記を書いていくことにしよう。すでに、一つ一つのコメントに返事をしていくだけの暇がないほどコメントも増えてきたので、これからは共感を覚えたもの意外は、直接の返事をせずに、取捨選択して日記で取り上げていくことにしよう。コメントが多少減ったらまた返事をするかもしれないが。

某S氏君だけは特別だ。彼とは過去のいきさつもあるので、彼にだけはこれからも返事をしていくことにしよう。ただ、それは議論ではないけれど。それは、論理の訓練でもあり、また自分と全く違う思考をどれだけ理解できるかという訓練でもある。理解するというのは、共感することではない。彼がそう考える思考の過程を合理的に理解するということだ。どこをどう間違えればあのような思考になるかということを理解したいと思う。

ニュートンの万有引力の法則を知らない人も、その法則から逃れることは出来ない。自然のままに、上から下に落ちることはあっても、下から上に上がっていくことはない。同じように、論理のなんたるかを知らなくても、人間の思考は論理法則に従う。三浦さんは、弁証法を知らなくてもあらゆるものが弁証法性を持っていると言っていた。そういう意味で、間違いを間違いとして正しく知ることは、論理をより深く知ることになる。

そういう観点から、僕は某S氏君にはたいへんな関心を抱いている。あれだけ思考が違う相手もいないだろう。新しい発見があって、しばらくの間は飽きなくてすむだろう。

さて、彼以外の相手はランダムに関心を抱いたものを取り上げていこう。まずは、僕の次の言葉

「民主主義については見解が異なるみたいだね。僕は、民主主義という抽象概念だけでは正当性の根拠にはならないと思っているんだ。民主主義は今までも多くの間違った結論を出している。大勢が賛成したからと言ってそれが正しいことにはならないと言うのは、論理的にはごく当たり前のことだ。」

に対して次のような疑問が書かれたコメントがあったのが目についた。

「これは民主主義政治を否定してるんですか?政治は正しいことを実行する機関ではなく国民が望むことを選択するものだと思いますが。だから選挙を行い選ばれた政治家が民意を反映しています。あなたのコメントでは自分の考えと違うから政府が間違ってると言ってるようなものではないでしょうか。」

なぜこれが目についたかというと、このコメントを読んだ時には目が点になりそうなくらい驚いてしまったのだ。僕の感覚では「ごく当たり前」だと思ったのに、全く当たり前に感じずに、僕の主張が「民主主義政治を否定してる」という解釈をされたことに驚いてしまった。そうか、当たり前だと思えない人もいるのかということに気づいてびっくりした。

こんな時に、「これくらいのことも分からないか」という態度をとる人もいるけれど、僕は「自明の理」を語る人間を批判したばかりなので、そういうことは口が裂けても言えない。「当たり前」だと思うことを説明するという困難な課題に取り組んでみようと思う。難しいことを説明するのは、それが分かっていれば案外簡単だ。分かるプロセスというものを自覚できるからだ。しかし、当たり前だと思うものは、どういうプロセスで理解したかをすっかり忘れてしまっている。それをもう一度とらえ返すというのは困難なことだ。しかし努力してみよう。

さて、コメントでは僕の文章は上の部分しか引用されていなかったが、この文章の本意はその前後の文章も含めて受け取らないと理解できない。それは次の文章だ。

「………
>またそう言う法律を民主主義は許容した。
>民主主義が許容したからこそ法律になっているんだよ。
>………

民主主義については見解が異なるみたいだね。僕は、民主主義という抽象概念だけでは正当性の根拠にはならないと思っているんだ。民主主義は今までも多くの間違った結論を出している。大勢が賛成したからと言ってそれが正しいことにはならないと言うのは、論理的にはごく当たり前のことだ。

僕の好きな板倉さんは、「民主主義は最後の奴隷制」と言うことを語っている。このニュアンスが分かるかな?多数決で決まったことがたとえ正しくなくても、それを強制されるのが民主主義というもので、その意味で奴隷制だと言うことだ。

民主主義が正しい結論を出す確率が多くなるのは、徹底した情報公開と言論の自由が保障された時だけだ。今の日本がそういう状況ではないと僕は判断している。だから、民主主義を根拠に正当性を主張されても、それは「見解の相違」だね。」

最初の2行は、某S氏君の言葉だ。これも本当はもうちょっと引用した方が良かったと思うけれど、字数制限があるのでつい短くしてしまった。改めて前を合わせて引用すると次のような言葉だ。

「日本は憲法九条がある限りはまともな世界レベルの「国際貢献」などできるはずがない。
だがイラクでは助けを必要としている。
国連も安保理決議で国連加盟各国に支援を要請した。
だからこそイラク特措法を「でっち上げて」自衛隊を派遣した。
またそう言う法律を民主主義は許容した。
民主主義が許容したからこそ法律になっているんだよ。」

ここで某S氏君も「イラク特措法を「でっち上げて」自衛隊を派遣した」と言うことでは僕と見解が一致した。そして、「でっち上げ」と言うことは、それを内的連関の論理から、つまり、「イラク特措法」の内容そのものから正当性を証明することは出来ないので、民主的に決定されたと言うことを「民主主義は許容した」という表現に込めて、民主的な決定のプロセスがその正当性を保証していると主張しているんだと僕は解釈した。

もし某S氏君の主張が違うのなら、「でっち上げ」の「イラク特措法」の正当性は何で証明されるのかを彼に語ってもらいたいものだと思う。とにかく、正しさの根拠が「民主主義」にある(民主的な決定のプロセスを経た)と主張しているのを見て、「民主主義という抽象概念だけでは正当性の根拠にはならない」という僕の言葉が続くのだと言うことだ。

つまり、僕が否定しているのは、民主主義という政治制度ではなくて、民主主義(この場合は、その決定のプロセスになるであろう多数決原理と言っていいだろう)を物事の正しさの基準に置いていることを否定しているのである。

つまり、多数が支持しただけではそれは「真理」では無いという主張なのだ。「真理」であるかどうかを決定づけるのは、板倉さん的な意味での実験なのだが、これは説明が難しいので、イメージ的には論理と現実が一致した時が真理なのだと言っておこうか。決して多数決で勝った方が現実と一致するわけではない。

元々民主主義という制度は、真理の決定が出来ないような問題で、しかも実践的な課題を持っている問題があった時、その行動をどうするか、右に行くか左に行くかを決定しなければならない時、その決定に正当性を与えるためにとられる方法が多数決で、その決定プロセスを制度的に持っているのが民主主義と言っていいだろうと思う。

だから、民主主義で証明できるのは、決定プロセスの正当性であって、決定した内容の正当性ではない。内容は間違っていてもプロセスが正しく行われているためにその決定を覆せないと言うのは、もしかしたらアメリカの大統領選挙にもそういう可能性があるかもしれない。

プロセスが正しくても、その内容は間違っている場合があるのだから、それは常に批判されてしかるべきなのだ。そして、それを批判することは制度の否定ではなく、命題の否定に過ぎない。制度を否定するのなら、命題を批判するのではなく、制度を支えるものにダメージを与えようとするだろう。僕はそんなことはしない。

今のところは民主主義以上に自由を保証してくれる制度はありそうもないから、その中で、いかに多くの正当性が実現できるかを考えるだけだ。プロセスの正当性にしても、本当ならば形式的に多数決が決めるのではない。国会が、本当に多数の民意がちゃんと反映するような民主主義に変えていかなければならないと思っている。それは、民主主義の制度のもとでの変革であって、民主主義を否定して他の制度に変えたいと思っているのではない。

要するに僕が言いたかったのは、民主主義的プロセスがとられて、多数者の意志として法律が作られたのだから、「イラク特措法」は正当性を持った法律だと言うことに疑問を提出したと言うことだ。「イラク特措法」の正当性は、そのプロセスの正しさを主張するだけでは出てこないと言うのが僕の主張だ。論理的におかしいという主張だ。正当性を証明したければ、他の理由が必要だという主張だ。

それにしても、某S氏君は、「でっち上げ」の「イラク特措法」は、その法律が表現している字面通りに解釈して遵守せよと主張しているのに、この法律によって踏みにじられた「日本国憲法」という法律の方は、遵守せよと主張しないのだろうか。このダブルスタンダードの根拠は果たしてどこにあるんだろうか。同じ法律なんだから平等に扱うのが論理的だと思うんだけれど。むしろ、憲法の方が、他の法律の上位にある基本法なんだから、より厳しく遵守すべきだと普通は考えるんだけれど、そう考えない理由はどこにあるんだろうか。きっと日本政府と同じようなことを言うんだろうな。

また某S氏君は、

「日本は憲法九条がある限りはまともな世界レベルの「国際貢献」などできるはずがない。
だがイラクでは助けを必要としている。
国連も安保理決議で国連加盟各国に支援を要請した。
だからこそイラク特措法を「でっち上げて」自衛隊を派遣した。」

と力を込めて主張している。ということは、「イラク特措法」は、気の毒なイラクの人々を助けるという、きわめて道徳的な目的を持って作られた法律だと主張しているわけだ。僕は、アメリカのケツ舐めをするために作ったんだと思っていたけれど。

この道徳的な目的が「ネタ」であればまだ救われるだろうけれど、本気で「ベタ」にこう思っていたら、僕は全く救われない状況になるだろうと思う。それは、善意から始められたものは、よほどひどい失敗にあわない限りピリオドを打てないからだ。日本の利益のために行っているのだと割り切って考えられれば、利益のためにならないと分かったら、また詭弁を使ってでも撤退させられるけれど、善意からやっているのでは、歯止めがきかなくなるのだ。

そういう構造を、「生類憐れみの令」という過去の歴史がよく教えてくれるのだけれど、歴史から学ぼうとしなければ何も見えてこないだろうな。

今日も長い日記になったので、書ききれなかった文をコメントの方に移す。





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最終更新日  2004.11.10 01:15:09
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