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真理を求めて

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2006.05.23
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昨日瀬戸さんのトラックバックに対して返事を返したとき、最後に


「内田さんによれば、フェミニズムはすでに終わってしまったと感じられている。そうであれば、どこで破綻していったのか、その分かれ目がどこにあるかが僕の次の関心になる。僕は、フェミニズムに対しては、論理的考察の対象以上の何の感情も抱いていないのだ。」


と僕は書いた。書いた後で、オレは何をこんなに力んだ書き方をしているんだろうという思いがふと頭をよぎった。そして、よく考えてみたら、瀬戸さんが指摘するように、僕が書いた最初のエントリーの題名が問題だと言うことが急に理解出来た。

よく考えてみれば、あのエントリーは、僕が抱いている「フェミニズム」という言葉に対する偏見が基礎になって書かれているものだ。僕はその偏見を偏見として自覚してはいたものの、インテリのイヤらしさから、偏見を理論武装しようとしてしまった。偏見であるなら、偏見として率直に語らなければならなかったことに気づいた。

僕に理論武装するだけの能力がなければそんなことをせずにすんだのだろうが、その率直さが無かったことが、偏見を理論武装するという間違いを犯してしまったように感じる。

このことが分からなかったので、偏見を指摘する声をすべて過剰反応だとしか受け取れなかった。これは、そもそも僕が「フェミニズム」に抱いていた偏見のせいで、いろいろな現象に過剰反応していたことが、あのエントリーの原因であったのに、自分の過剰反応に気づかなかった僕は、僕のエントリーに対する反応も過剰反応であるという理解しかできていなかったようだ。「構造的無知」というものだろう。その部分だけは、僕の頭からはまったく抜け落ちていた。本当にまったく理解出来なかった。

瀬戸さんに対して、何であんなに力んだ言葉を返したのだろうと言うことがきっかけで、ようやくこの「構造的無知」に気がついた。僕のあのエントリーは、全くの偏見から出発したものでありながら、その偏見が生じてくるのを理論的に捉えようとしたことが間違いだった。偏見が正しいことを証明しようとしたのではないが、偏見が生まれることはやむを得ないと言うことを理論的に語ってしまったことが間違いだった。あの偏見は、まったく僕の個人のものとして語らなければならなかったのだ。そのことを自覚したくなかったのだろうな。全くの「構造的無知」だと思う。

とりあえず、瀬戸さんに僕の間違いを伝えたいと思い、この短いエントリーを立てる。





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最終更新日  2006.05.23 08:30:39
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