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つぶやき120604 (逆順) つづき:以上、どこかにケアレスミスがあるかもしれない。 つづき:さて、検証であるが、質の科学と質時間回帰則(仮説)の検証は完全にはなされていないが、それでも経験則やことわざ・故事などから抽出した法則のようなものに(と)よく一致する。相反することわざが存在することもその正しさを浮き彫りにするかのようだ。 つづき:ちなみに、質の科学(仮説)、質時間回帰則(仮説)においては、観測して、積分や微分など数学的手法を用いて、厳密にそれらの値などを論ずることができるかどうか、ということはまったく問題ではない。それができなくても本質には全然影響はない。 つづき:(数値はいいかげんである)そういう計算のできる形式の数式化(関数化)した数式で行えるのである。ここでも、無限については、先に述べたとおりである。以上積分や微分についての説明は厳密なものではなくてもの好きなぼくが昔考えてわかりやすく述べたものであることを付け加えておこう。 つづき:ちなみに、微分というのは、積分のちょうど逆のやり方の計算法である。先の車の例では、0.001秒間に2メーターなら時速何キロ(秒速何メーター)、0.003秒間に5メーターなら時速何キロ、0.002秒間に3メーターなら時速何キロ、といった計算を、無限に細かくやるのである。 つづき:質時間回帰則も理屈からでてきた法則である。その質時間が質時間ゼロになる時点がとびとびに現れていく、という法則である。あとは、現実がそのとおりであるかどうか、検証が待たれるだけである。 つづき:したがって質時間のばあいは質を体験し意識し味わった時間で積分するといっても、その観測者にとっては概算しかできないだろう。しかし実際には現実としてそれに対応する変化が正確に意識の主体に付くはずである。これは理屈からでてくる論である。それらについてはブログなどで一部述べた。 つづき:そういう計算では、条件があって、その車の速さが、すべてわかりきった変化、規則どおりの変化をして、それが数式化(関数化)できる、というものでないと数式上では積分できない、計算できない。 つづき:実際の車では、速さが時々刻々変化しているので、時速58キロで0.001秒、時速61キロで0.003秒、時速56キロで0.002秒、などと移動距離を求めて足し上げるのである。それを無限に細かく行うのが積分という計算方法での計算である。 つづき:で、積分というのは、簡単にいうと次のようなたとえがわかりやすいだろう。車が北に向かって走っているとする。時速60キロで一時間走ったとすると、60かける1(時間)で、60キロ進んだことになる。 つづき:そんな無限とか無限大とか、無限大分のいくつとか、無限小とか、いう値や状態、それらが対応したなにか、が現実にあるのかどうかは、定かではない。人間の概念やイメージの世界にだけ存在するのかもしれない。 つづき:無限というのはややこしい概念だが、多くのばあいでは数学的に打ち消しあって消えてしまうので、計算ができる。。 質の科学・質時間回帰則(仮説):質時間とは、大雑把にいうと、質かける体験した時間である。もう少し精密にいうと、体験の質を体験し意識し味わった時間で積分したものである。。積分というのは、大雑把にいって、無限に細かく分けて、それぞれを掛け算して足し上げる数学的操作をいう。 質時間回帰(仮説):いい状態が続けば続くほど、それに応じて質時間回帰が激烈になる。 質の科学(仮説):意識の主体は質時間についてはなんらかに変化するが、意識の主体そのものは不変。知性体はどうにでも可変。肉体もどうにでも変わることができる。 質の科学(仮説):人間の本質は意識の主体にある。知性体、肉体は副次的なものである。 質時間回帰:いいものばかり・いいものを多く、使っていると・用いていると、それに応じて質時間回帰が激烈になる。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。その後者の時点で質時間はプラスマイナスゼロになる。そういう時点がとびとびに現れつづける。 質の科学・質時間回帰則(仮説):質時間とは、体験の質を時間で積分したものである。大雑把にいうと、質かける体験した時間である。もう少し精密にいうと、質を時間で積分したものである。 つづき:そういう推測を展開した説を今までにぼくは読んだことはない。それによって複雑な心境になったが、あとになって希望が湧いてきた。。世界は凄い。。そのアイディアで、本が一冊書ける。しかし書く予定はない。 つづき:それから何日かたって、昔、原始仏典を読んだことのあるぼくの心に、その文献と原始仏典の内容の相互作用・相互反応で、ブッダの心の軌跡が強く推察された。ブッダもその文献を学んだことがあるとすれば、その推察は正しいかもしれない。 インドの古典の文献を斜め読みしていたら、複数の項目が目に留まった。それはブッダには関係ない内容の文献だ。歴史の流れからいって、ブッダもその文献を読んだことがありそうだ。 質の科学(仮説)によると、世界は質の対生成と対消滅、質時間進行と質時間回帰、のフィールドであり、しかもそれらの流れが質時間回帰しながら続いていくというフィールドである、となる。 質の科学(仮説):質時間回帰の嵐という現象もあるだろう。 質の科学(仮説):質の合成という現象もあるだろう。 質の科学・質時間回帰(仮説):理屈というものは、質時間回帰復路か質時間進行の流れに乗ったときだけ有効に働くことがある。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。体験には自分の言動や他から受けたものなどがある。体験にはそのほかに自分の心の体験・軌跡などもある。それらすべてが質時間回帰する。 つづき:複雑な気持ちになったが、しばらくすると、希望が湧いてきた。 インドの古典の文献を斜め読みしていたら、複数の項目が目に留まった。それはブッダには関係ない内容だった。それから何日かたって、昔、原始仏典を読んだことのあるぼくの心に、その文献と原始仏典の内容の相互作用で、ブッダの心の軌跡が強く推察された。 質の科学(仮説):人間の本質は意識の主体にある。知性体、肉体は副次的なものである。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。その後者の時点で質時間はプラスマイナスゼロになる。そういう時点がとびとびに現れつづける。 質の科学(仮説)によると、世界は質の対生成と対消滅、質時間進行と質時間回帰、のフィールドであり、しかもそれらの流れが質時間回帰しながら続いていくというフィールドである、となる。 質時間回帰(仮説):大気の気圧の高低によって、大気の流れが決まるように、質時間のプラスマイナスによって質時間回帰の流れが自然に決まる。 質の科学(仮説):質時間回帰:原理的に、この世界は同時にすべての人(意識の主体)を平等にできないので、時間をかけて平等にするしかないのである。永い時間の経過の中ですべての人はこの世界から公平に扱われ完全に平等になる(仮説)。 質時間回帰則は理屈からでてきた法則である。その検証は完全にはなされていないが、それでも経験則やことわざ・故事などから抽出した法則のようなものに(と)よく一致する。相反することわざが存在することもその正しさを浮き彫りにするかのようだ。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。体験には自分の言動や他から受けたものなどがある。体験にはそのほかに自分の心の体験・軌跡などもある。それらすべてが質時間回帰する。 質の科学(仮説)によると、世界は質の対生成と対消滅、質時間進行と質時間回帰、のフィールドであり、しかもそれらの流れが質時間回帰しながら続いていくというフィールドである、となる。 心脳科学(仮説)の推敲・校正の一回目もまだすんでない。もの凄いハードワークだ。毎日やれるわけでもないし、一回当たり少ししかやれない。連続してやらないと、初めに広い範囲を頭に入れるという作業があるので非常に効率が悪いんだが、そういうわけにいかないので残念だ。 質時間回帰(仮説):大気の気圧の高低によって、大気の流れが決まるように、質時間のプラスマイナスによって質時間回帰の流れが自然に決まる。 質時間回帰則は理屈からでてきた法則である。その検証は完全にはなされていないが、それでも経験則やことわざ・故事などから抽出した法則のようなものに(と)よく一致する。相反することわざが存在することもその正しさを浮き彫りにするかのようだ。 心脳科学(仮説)の推敲・校正の一回目もまだすんでない。もの凄いハードワークだ。その間、補足のための加筆も入り、枚数が増えていく。毎日やれるわけでもないし、一回当たり少ししかやれない。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。体験には自分の言動や他から受けたものなどがある。体験にはそのほかに自分の心の体験・軌跡などもある。それらすべてが質時間回帰する。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。その後者の時点で質時間はプラスマイナスゼロになる。そういう時点がとびとびに現れつづける。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。その後者の時点で質時間はプラスマイナスゼロになる。体験には無数の種類というか質がある。それぞれの質ごとにそういうことになる。 質の科学・質時間回帰則(仮説):ある体験をしたら将来それとは正反対の体験を同じ量体験することになる。体験には自分の言動や他から受けたものなどがある。 質の科学(仮説):質時間(仮設)とは、自分の言動(受けたことを含む)に応じて自分の意識の主体につく変化のことである。そこらのところは数学的に記述できる。 このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。 このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。 Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2012.06.04 19:37:06
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