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つぶやき120605 (逆順) つづき:加筆:統計からでてくる確率論によっても、質時間回帰則を導き出すことはできる。 つづき:以上、どこかに勘違いやケアレスミスや間違いやジョークがあるかもしれない。 つづき:さて、質の科学と質時間回帰則(仮説)の検証については、哲学的な検証以外には完全にはなされていないが、それでも経験則やことわざ・故事などから抽出した法則のようなものに(と)よく一致する。相反することわざが存在することもその正しさを浮き彫りにするかのようだ。 つづき:さてここからは、人を食ったような哲学的な検証から離れよう(哲学は人を食って大きくなる、という、誰も知らない新しいことわざはここから生まれるのである)。。 つづき:そこから、「宇宙は永遠に続いていく」ということもいえ、「人類のような生物も途絶えることはあっても永遠に生まれ続いていく」ということもいえ、「質時間回帰則は正しい」ということもいえる、となる。 つづき:その在り方とは、宇宙は永遠に続いていき、人類のような生物も途絶えることはあっても永遠に生まれ続いていき、転生も永遠になされていき、質時間回帰が完全になされていく、という在り方である。 つづき:したがって、この世界は、時間をかけて人類全員が完全に平等になる在り方になっている、となる。 つづき:で、同時に人類全員を平等にすることは、原理的に不可能である。しかし、時間をかけて人類全員を平等にすることは、原理的に可能である。 つづき:そこで、「人類は全員が完全に平等になるべきである」という命題を、人類全員の票決にかければ、「そうあるべきだ」という絶対多数の多数決結果がでてくるだろう(ここでは実際には人類の多数決にかけず、手抜きして推測で済ませる)。 つづき:その原理とは、「原理的に可能なことで、人類ほとんど全員の賛成を勝ち取る、そうあるべきであるという在り方、があれば、この世界はその在り方どおりになっている」である。それは原理であるから証明の必要はない(ここが曲者だが)。 つづき:さて、その検証であるが、検証では、哲学的な手法を用いるやり方もある。それにはまず、証明の不必要な哲学的原理・公理を設定する。 つづき:あるいはそこに量子力学の本質が象徴的に現れる二重スリット実験にでててくる不可思議な波動性が現れてどうのこうのということも考えられるが、体験を意識し味わう体験というものはどうやってもどうあっても一通りに決まってくるので、それを考慮にいれる必要はないはずである(内観報告)。 つづき:あるいは、そこでは、積分とまったく同じ在り方ではなくて、類似した進行の事象が起こるはずである、といってもいいだろう。であるから、積分どうのこうのというのは、説明だけのためにあるのであって、本質的なものではない。 つづき:ちなみに、質の科学(仮説)、質時間回帰則(仮説)においては、観測して、積分や微分など数学的手法を用いて、厳密にそれらの値などを論ずることができるかどうか、ということはまったく問題ではない。それができなくても本質には全然影響はない。 つづき:(数値はいいかげんである)。そういう計算のできる形式に関数化した数式で行えるのである。ここでも無限については先に述べたとおりである。以上、積分や微分についての説明は厳密なものではなくて、もの好きなぼくが昔考えてわかりやすく述べたものであることを付け加えておこう。 つづき:さてちなみに、微分というのは、積分のちょうど逆のやり方の計算法である。先の車の例では、0.001秒間に2メーターなら時速何キロ(秒速何メーター)、0.003秒間に5メーターなら時速何キロ、0.002秒間に3メーターなら時速何キロ、といった計算を無限に細かくやるのである。 つづき:で、質時間回帰則も理屈からでてきた法則である。その質時間が質時間ゼロになる時点がとびとびに現れていく、という法則である。あとは、現実がそのとおりであるかどうか、検証が待たれるだけである。 つづき:これは理屈からでてくる論である。それらについてはブログなどで一部述べた。記憶という極めて複雑なものも、脳などに残るのであるから、それよりは遥かに複雑でない質時間が変化として意識の主体に残る在り方はあるだろう(推測。仮説)。 つづき:質時間は複雑な質をもったベクトルのようなもので、運動量時間(どこかに記)という位置ベクトルに対応する複雑な変化のようなものだから、運動量時間と同じく積分に対応したような経過で、変化が意識の主体に残るはずである(推測。仮説)。 つづき:しかし、実際には現実として、それに対応する変化が正確に意識の主体に付くはずである(推測。仮説)。 つづき:さて、少し前に戻る。したがって、質時間のばあいは、質を体験し意識し味わった時間で積分するといっても、それを観測する者にとっては概算しかできないだろう。 つづき:そういう関数化ができないケースでは、統計的手法を用いたりする。ほかにも、フラクタルやカオス理論といった研究分野もある。体験の質に関わる質時間の計算を積分でやるといっても、体験そのものはどんな形にせよ関数化できない。質時間はそれとは異なる。 つづき:そういう計算では、条件があって、その車の速さが、すべてわかりきった変化、規則どおりの変化をして、それが数式化(関数化)できる、というものでないと数式上では積分できない、計算できない。 つづき:実際の車では、速さが時々刻々変化しているので、時速58キロで0.001秒、時速61キロで0.003秒、時速56キロで0.002秒、などと移動距離を求めて足し上げるのである。それを無限に細かく行うのが積分という計算方法での計算である。 つづき:で、積分というのは簡単にいうと次のようなたとえがわかりやすいだろう。車が北に向かって走っているとする。時速60キロで一時間走ったとすると、60かける1(時間)で、60キロ進んだことになる。 つづき:で、積分というのは、簡単にいうと次のようなたとえがわかりやすいだろう。車が北に向かって走っているとする。時速60キロで一時間走ったとすると、60かける1(時間)で、60キロ進んだことになる。 つづき:そんな無限とか無限大とか、無限大分のいくつとか、無限小とか、そういう値や状態、それらに対応したなにか、が現実にあるのかどうかは、定かではない。人間の概念やイメージの世界にだけ存在するのかもしれない。。時間についていえば、最小単位があるのかもしれない。 つづき:無限というのはややこしい概念だが、多くのばあいでは数学的に打ち消しあって消えてしまうので、計算ができる。。 質の科学・質時間回帰則(仮説):質時間とは、大雑把にいうと、質かける体験した時間である。もう少し精密にいうと、体験の質を体験し意識し味わった時間で積分したものである。。積分というのは、大雑把にいって、無限に細かく分けて、それぞれを掛け算して足し上げる数学的操作をいう。 質時間回帰(仮説):いい状態が続けば続くほど、それに応じて質時間回帰が激烈になる。 このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。 このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 著作権は日本国著作権法ならびに国際条約によって保護されています。 それらの無断利用を禁じます。 Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
はじめまして。いえいえ、特別怪しい者ではありません。宗教等の勧誘でもありません。
片付けパニッカーは、パソコンのなかまで片付けようと、みなさんに、メールチェックをお奨めしております。ぜひこの機会に・・・。 (2012.06.05 19:08:41) |