iPS細胞の臨床応用を捏造したペテン師・森口尚史の1件は、週刊誌を賑わわせているが、新聞報道の多くは終息した。ここで、リブパブリに来たあるメールに寄せて、これが森口某の捏造に疑いないことを、10月13日付け日記に重ねてもう1度述べ、ついでに科学史上の大ペテン事件を振り返る。
◎「まだ嘘と言い切れない」など、あり得ない妄言
読売新聞のトバシ記事で大騒動になり、メディア各社の記者は、渡米していた森口某を探し回り、ついに森口某はニューヨークで記者会見に追い込まれた。
だがその席上でも、6件の「移植手術実施」のうち5例の虚偽を認めたが、まだ1件、昨年6月に実際に行ったという詭弁を弄していた。しかし、その実施病院も、実際に実施した医師たち6~7人などの関係者も明らかにせず(森口某は医師免許を持っていない)、詰めかけた記者の失笑・冷笑をかって、これも虚偽と記者たちに烙印を押されて1件落着、となった。
ところがくだんのメールでは、まだ嘘と言い切れない、というペテン師擁護の意見を寄せてきた。無邪気というか、ここまで行けば阿呆である。
まず看護師資格しか持たず、研究実験すらしたことがない森口某がiPS細胞を作れるわけはないという科学的常識を欠いている。細かい実験ノウハウがなければ、化学反応1つ進められないことを理科系の素養がないからご存知ないようだ。ちなみに大学時代、初歩的な実験で試験官を振り、あるいは動物実験を行ったリブパブリは、何度、失敗したことか。
◎施設は? 人脈は? あり得ない手術を誰が実施できるのか?
作れたとしても、人体に臨床応用するには、大量に培養しなければならず、そのための無菌状態の完全な施設を森口某は利用できない。そしてiPS細胞バンクも出来ていない現在、臨床応用しようとしてもオーダーメード医療にならざるをえないから、そのために数千万円もの費用がかかる。その資金をどうやって工面できたのか。
さらにアメリカに1カ月しか留学したことのない森口某が、どうやって臨床応用を実施してくれる医師団を組織できたのか? そんな人脈など、ありはしない。
さらに森口某は、肝臓がんで肝臓移植を受けた患者に、心臓バイパス手術と併せてiPS細胞で育てた心筋細胞を移植した、と言っているが、肝臓を移植した患者は拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を使っており、そのような患者に心臓バイパス手術は細菌感染のリスクが高いため決して行わない、と移植専門家は指摘している。
◎説明責任を果たさない点でペテン師の烙印はやむなし
そうした疑問に、森口某は何1つ、具体的証拠で証明できなかった。社会からの支援で研究する科学者なら、何か疑問が出されれば、説明責任が生ずる。実際、後述するように森口某の給与は、国費、すなわち我々の税金で出ていた。
その説明責任を果たせず、証拠データも出せない以上、科学者ならペテン師、もっと言えば詐欺師、すなわち犯罪者と烙印を押されて当然だ。なぜなら科学者は、提示した成果の正しさを第三者に追試してもらうことを何よりの利益と考えるからだ。
「疑わしきは被告人の利益に」という刑事訴訟法による法廷ではないのだ。
森口某の弁明は、子どもでも明らかな虚偽にすぎないことを、あらためて明示しておく。
◎1年半で1000万近い国費を受け取っていた
このような大ペテンを行った動機だが、新聞やテレビで報道されることで、虚栄心を満たし、それが何物にも代え難い悦楽であることは事実だ。
虚名であっても、世間ではそれなりに有名になれる。テレビや雑誌に招かれれば、出演料や稿料を得られ、基本的にフリーターであった森口某にとって、どこかの大学・研究機関から常勤職の声がかかるかもしれない。
その経済的動機も、分かってきた。特定の大学・病院に常勤職を持たない森口某は、東大病院特任研究員として国支援のプロジェクトから昨年3月から今年9月まで、計967万円もの給与を得ていた。有期雇用のため、「成果」を出さねばならない圧力を強く受ける立場だった。ちなみに森口某をここに特任研究員として雇ったのは、このプロジェクトに関わる助教(かつての助手)だった。まともで一流の研究者から相手にされていなかったことが透けて見える。
◎12年前の旧石器遺跡捏造事件
10月13日付け日記で、森口某の称するiPS細胞臨床応用を捏造と断定したが、その後、リブパブリは、科学史上に残る大捏造事件を思い出した。
その日記でも言及した韓国初のノーベル賞自然科学3賞を狙ってヒトES細胞を捏造した韓国の世紀のペテン師・黄禹錫は、最近のスキャンダルと言えるが、他に日本とイギリスの2つの科学史上の捏造事件を思い出したのだ。ちなみに黄禹錫の捏造も、最初は告発した側が熱心な支持者から大反撃をくった。しかし科学的虚偽は、追試をすれば再現性がないので、必ずばれる。
1つは、2000年11月5日付の毎日新聞朝刊がスクープした旧石器捏造事件である(写真=1面のほぼすべてを潰して特報した当時の毎日新聞。本箱の奥から探し出した)。
当時の考古学、特に旧石器考古学界を席巻していたアマチュア考古学(学識から考古学者とはとても言えなかった)の藤村新一が、当時注目されていた宮城県の「前期旧石器遺跡」の発掘現場で、早朝、こっそりと石器を埋めているのを、かねて疑いをかけて張っていた毎日新聞取材班が目撃、ビデオも撮った。
◎日本考古学界に大激震
この物証をつきつけられて、藤村某はその前にやはり毎日新聞取材班に目撃されていた北海道の「前期旧石器遺跡」で石器を埋めたのを認めた(この時、取材班は写真撮影に失敗した)。
しかし藤村某が認めたのは、物証と目撃を突きつけられた2件だけ。それ以前の100個所にあまる「遺跡捏造」を否定した。そして行方をくらまし、やがて病院に入院してしまった。
これは、学界に大問題となった。藤村某はアマチュアだったが、活動を始めてから、一部の考古学者も巻き込み、彼の「発見」した「前期旧石器」(実は貝塚などで採集した縄文石器)と同じような石器が、正当な考古学者が正当な発掘手順で発掘調査した「遺跡」中から「発見」されたことで、「前期旧石器」は考古学史に学問的に正式に位置付けられ、日本の歴史は60万年前にも遡るとして教科書にも書かれるほどになっていたからだ。
◎旧石器研究が根底から揺らぐ
正当な考古学者は、藤村某を信じ込み、彼の「発見」した「遺跡」を発掘したのだが、そこはふつうの火山灰堆積層のある場所で、藤村某が事前に縄文石器を埋めておいたに過ぎなかったのだ。
考古学で、「前期旧石器」は正式な市民権も得ていたのである。
藤村某の弁明するように、捏造が毎日新聞取材班に目撃された2個所だけではないことは、誰が考えてもはっきりしているが、捏造がどこまで広がっていたのか、誰も分からなかったからだ。捏造だとすれば、彼の関与した「遺跡」の資料は使えない。始末の悪いことに、ほとんどが「旧石器研究初」という金字塔的な重要遺跡・資料だった。3万年前以前の「前期旧石器」研究は、藤村某の関わった「遺跡」の資料に全面的に依拠しているので、研究は全面的にひっくり返るか否かの瀬戸際に置かれたのだ。
◎偽りの歴史が20年間も続いた汚点
このために考古学研究者の唯一の公的組織である日本考古学協会は特別委員会を作り、多数の専門研究者を動員し、多額の費用と研究者のマンパワーを何年も投入して究明作業に当たり、やっとすべてを「捏造」と断定できたのだ。
この偽りが、約20年も続いた。
そして日本の旧石器時代は、再び3~4万年前という若い時代に逆戻りした。その間、多くの学者によって書かれた研究論文、研究書、一般向け啓蒙書は、すべて無に帰したのだ。
長くなるので、イギリスの大ペテンも含めて、後は翌日への続きとしたい。
ただ言いたいことは、アマチュアであろうが、一流でない研究者であろうが、特異なパーソナリティーの持ち主であれば、誰でも研究捏造を行うことはあり得るということだ。
昨年の今日の日記:「山中湖畔散歩の記と二酸化炭素排出量で自己チュー中国は世界の4分の1に」
追記 東京医科歯科大学は、18日、森口某の大学院時代の指導教官で、森口某と19本の共著論文のある佐藤千史教授(総合保健看護学)を、「データの検証もせずに論文に名を連ねるのは、研究者にあるまじき行為」として処分する方針を決めた。
具体的処分は、懲戒委員会を開いて決めるそうだが、共謀共同正犯に当たるので、懲戒免職が相当と考える。