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カテゴリ:家族
ローラは夜泣きがひどい赤ちゃんで、 1時間毎に泣きました。 昼寝もせず、しかも夜更かしでした。 なのに元気いっぱい!30分も寝れば充電完了!といった子でした。
そんなローラの世話に追われている最中、 年子でドロシーが生まれました。 2人が交互に泣くので、私はほとんど一睡も出来ない日々が続きました。 少しでも寝て欲しくて、早朝から夕方暗くなるまで、 おんぶ紐でドロシーを体に括りつけ、 ローラを外遊びに連れて行きましたが効果はなく、 私の子育て24時間体制(眠らない日々)は永遠のように続くのでした。
プーは仕事が忙しく、 たまの休みに、ちょっとでも何か頼むと、露骨に嫌な顔をしました。 せめて話を聞いて欲しいと思っても、 彼の目はテレビに向いていてました。 そしてすぐに、 「だから結局何がいいたいの?!」とイラつきました。 俺の休みは俺が休むためにあるんだ!と・・
専業主婦の鏡のような母に育てられた私は、 手抜きの仕方もわかりませんでした。 たまにどうしても出来ないことがあると、強い罪悪感に苛まれました。 妻とは母とはこうあるべき、 そのこだわりが、私を縛り付けていました。
私は、完全に自分を失い、 自分の欲求が何かすらも忘れ、 日々、「~せねばならない」に追われていました。 子どもに愛情を示す一方で、憎しみさえも感じ、 そんな自分を責めました。
私は別人になりました。 私は私ではなく、母親という生き物になりました。
生活のこともあり、また、この苦しい日々から少しでも解放されたいという思いで、 私は再び仕事を始めました。 ところが私はいつも、自分が仕事をしていることで、 子どもに寂しい思いをさせているのではないかという 罪悪感を持っていました。 だから、家にいる時はその罪滅ぼしのような気持ちで、 一層、子どもに尽くしました。 必要以上に手をやき、世話をやきました。 朝は4時半に起きて、家事のほとんどを済ませ、 毎晩(ローラが5年生になるまで)欠かさず40分、本を読み聞かせ、 2人が眠るまで添い寝をしました。 プーの帰りは深夜なので、帰ってくると、晩酌と食事の用意をしました。
プーは土日も出勤なので、 私は一人で子どもをどこかしらに連れて行きました。 私にとって土日は、仕事のある日より ハードな出勤日のように感じていました。 平日に休んで、のんびりしているプーを見ると、 やはりプーにも、憎しみのような気持ちを感じました。
外でお金を稼ぐ仕事を持っていない時は、 働いていないことに引け目を感じ、 外で働き出すと、子どものそばに居られないことに罪悪感を持ち、 また、プーほどの稼ぎを得ることが出来なかったので、 ちょっとグチをこぼしたり、協力を頼むと、 「俺と同じだけ稼げるなら、いつだって代わってやるよ。 俺だって出来ることなら代わりたいよ。だって楽だもん!」 と言われました。
私は友人たちとストリートダンスチームを結成し、 自分を取り戻しつつありました。 でも、その時間を作るために、 私の睡眠時間は平均2、3時間になりました。 自分の好きなことをする分、 家事や育児は一層頑張る必要がありました。 そんな生活に疲れ、結局、私はダンスを続けることを断念しました。 そのうち、友達と出かける体力も気力もなくなっていきました。
ある日私は、全身の激しい痛みで、立ち上がることが出来なくなりました。 横になっていても痛くて、泣き叫けぶほどで、 あらゆる病院に行きましたが、原因不明とされ、 「ストレスだろう」と言われました。 でもその時の私には、 自分がストレスを感じているという感覚すらありませんでした。 私にはストレスなんてない!ましてや、 こんなにひどい痛みの原因が、ストレスだなんて考えられない!と、 私は医師に抗議しました。 重症ですね。
母親は自分自身を傷つけている。 まるで汚れ物をため込むように何年間も自分を殺し続けているうちに、 やがて自分を完全に見失う。 自分のやりたいことなんてたいしたことじゃないと考えるのが 自分をなくした女性であり、人間らしさに欠けた女性である。 偽りの自分を持つ母親は、 おそらく自分が抱えている問題に気づいていないのだ。 問題はないと否定するか、 子どものためなのだから仕方ないと言い張るかもしれない。 でも、偽りの自分を持つ母親は、知らず知らずのうちに苦しみ、 静かな怒りと苦痛を溜め込んでいる。 わたしは子どものために常に自分を後回しにしていたが、 自分では決してそれを認めなかった。 そして、私は大人としての自信を失った。 しばしば不安と混乱を感じたが、憤りの火を燻らせることに時間を費やした。 そういう母親は、信念や自信を失い、 憂鬱と悲しみの発作を抱えている。 心だけでなく、いずれ身体を壊すことになるだろう。
女性は生物学的にも、他人の感情に敏感なのだそうです。 そのため、子どもの要求や不安を自分のことのように感じ、 何かで子どもの感情が傷つくことがあると、 自分にも責任があるのではないかと思ってしまいがちです。 そしてそのうち、自分の要求と子どものそれとの区別がつかなくなります。
多くの母親は、子どもが苦労のない、 幸せでよりよい人生を送れるよう、献身します。 睡眠時間を削り、友人とのつきあいを控え、 自分の洋服を買うことにさえ、罪悪感を覚えます。 また、そういう犠牲を払うのは、母親の義務であり、 それが子どものためになると信じているのです。
子どもたちの要求を満たし、 子どもたちに出来得る限りのものを与え、 幸せで間違いのない人間にしようと考える。 子どもに尽くし、支えとなる母親でなければと思うのです。
もちろん妻として母として、家族に尽くすことは決して悪いことではなく、 むしろ褒められるべきことだと思います。 でも私は、家族に尽くすことで、家族の人生を生きてきたことに気づきました。 私が生きるべきなのは、私の人生なのに・・・
だから私は子どもの人生に夢中になり、 子どもの人生を間違いのない完ぺきなものにしようとしていたのです。 子どもの問題の所有者は、子ども自身なのに、 子ども以上に悩み苦しみ、 必死になって、自分の価値観を子どもに押し付けていました。
つまり、自立出来ていないのは、実は私だったのです。
もう子どもに、家族に、憑依して生きるのはやめよう。 私は私の人生をもう一度生き直そう。そう思いました。
そして私は、子どもの問題と自分とを切り離せるようになり、 おかげで、子どもはようやく、私の憑依から逃れ、 イキイキと自分の人生を生きるようになりました。
私は自分を許せるようになり、 「やりたくないことはやらなくていい」と心から思えるようになった時、 本当に楽になりました。
でも、私が私自身をもう一度取り戻すことは、想像以上に難しく、 私はどんな人間なのだろう?何が好きで、何がしたいのだろう?と、 考えてもわからないのです。
私は、かつての自分を思い出してみました。 若い頃の私は、マイペースで自信家でした。 他人が自分をどう思うかなんて考えたこともなかったので、 思ったことはそのまま口にするし、 私の破天荒なアイデアや行動に、 いつも周りはビックリしていました。 望めば夢は叶うものだと思っていたし、 実際、そのように行動して、叶えてきました。 いつも周りには友達がいて、 みんなを驚かせたり、爆笑させるのが常でした。 歌うこと、表現することが大好きで、 バンドをやったり、お芝居やイベント等を開催しました。
でも妻・母になった私はまるで別人になっていました。 大胆無敵、夢いっぱいの私は、どこにいったのでしょう。
もう一度、私が私を見つけるためには、 ゆっくり自分と対峙する時間が必要だと思いました。 そのためには、自分の負担を家族にも、 少しずつ背負ってもらえたらと思いました。 また、私の心の奥底で燻ぶっている思いを、 家族にもわかってもらいたいと思いました。 私はもう、罪悪感や迷いを感じることはなく、胸を張って宣言しました。
私は家族を大事にすると同じように、 これからは自分自身も大事にします。 なので、私が一身に背負ってきたものを 家族で分担、ヨロシクお願いします!
罪の意識を捨てるのは、挑戦であり、鍵となる。 それによって母親は、自分について多少考えられるようになり、 ひいては子どものためにもなる。 母親が年中行っている犠牲的行為が、 娘には害を与えている可能性がある。 犠牲を払う母親は、娘に偽りの自分を持つよう勧めて、 知らず知らずのうちに、娘の自尊心を損ない、 自分の意見を持てないようにさせているのである。 また、母親が家事をやり過ぎると、自分が苦しむだけでなく、 家族のためにもなっていないのが実情である。 家族から母親は自分たちより劣る存在であり、 自分たちに仕える者だという見方をされるようになってしまうのだ。 母親が家事をすべて引き受けることは、大きな間違いであり、 家庭生活に参加する機会を夫から奪うものだと考えなければならない。 楽しいことだけでなく毎日の嫌な仕事もこなさない限り、 夫は家族の一員とはなれないのである。
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