深夜ブログ便
またまた、ひさびさ、ブログを開けてみる。だれもいないが、訪問は相変わらずあるようです。昨年末の小田さんの「クリスマスの約束2021」はよかった。なかでも、緑黄色社会の晴子さんがとてもよかった。オフコースがいたあの時代には、まだ生まれてもいないし解散したときもまだ生まれていない。正月を過ぎるあたりから、ずしんとくるのは、阪神大震災の思い出亡くなった多くのひと。昨年末、店の売り上げ補填のために、バイトをした夜中中。5日間、年賀状のバイトだ数時間しかねれない。若い人がきていて、話をしたみんな、2000年以降に生まれた連中。もちろん、地震はしらない。地震の時の話をはなしていると、なぜか思い出したことがあった。ぼくが学生のとき、バイトしていた新大阪駅60前後のじいさんと働いていた。彼らは多くは戦争にいって、帰ってきた人だ。南方のひとはすくなかったが、大陸と、シベリアのことは聞いた。戦争の話はあまりしたらがなったし、もう、おなかいっぱい聞いていたのでまた、戦争の話か、と思ったものだ。ソレが40年後、逆にぼくがその爺さんになり、若い子に語っている。そんなぼくも夜中、郵便局で年賀状の束を輪ゴムに止めながら60歳になった。時間というのは、ループしてるようにも思えるし若い子たちにもまた何かがおこり、また、それを乗り越えていきてゆく。オフコースの「さよなら」が流れていたあの寒い冬。すきだった方おもぃの女の子としか頭になく、戦争とかそういうのは、ぴんとこなかった。