巫病(ふびょう)体験の続き3
キリスト教の教義や、聖書の内容について、(当時16歳~)わたしは読み込んでは、疑問だらけでした。今だから言えることですが、いわゆる教典のたぐいのものは、理解するためには、やはり違う次元からの叡智が必要になってゆくものだと思います。幾恵にも簡単には理解できないようにプロテクションがかけられていますし、それは、ある意味安全のためでもあり、逆に言えば曲解もいくらでも可能なのだと思います。人間の精神的な進化に関することは、簡単には、理解や説明は出来ないのだと思います。ゆえに太古では、一人一人が理解するというより、神の代弁者に従うという方法が、採られていたのであり、集団的思考が、今では想像できないレベルで為されていたのだと思います。それが、まあシャーマン由縁というか、神権政治の在り方ですね。でも、現在宗教となっているものも、元を探ってゆけば、シャーマニズムが元になっています。シャーマンが特別な人であるとすると、その精神的な賜物を、そうでない人も均等に受け取れるために宗教というものが、発生するのだと思いますが、これが、だんだん本質から逸れてゆくことが、問題になってしまうのだと思います。だんだん本来の「宇宙の真理の、神界のエッセンス」が、書きかえられてしまうのですね。で、書き換えられないために、ある一定の部分は、秘されているのだと思います。この「宇宙の真理の、神界のエッセンス」に、どのようにすれば再び触れることができるのか?そして、それは何なのか、それを教える教師となる人と、いわゆる神の意思を伝えるシャーマンの違いは、その内的な成熟度なのでは?と思います。う~ん、ちょっと難しくなってしまいましたね、笑。ですから、今のわたしの考えでは、特定の宗教や、特定のチャネラーさんのいうことではなく、その根底に流れる共通の「真実のエッセンス」を探してゆくことが、鍵なのではないかな~と思っています。でも、ここまで書いたことは、自分の外側に「宇宙の真理、および神界のエッセンス」を求めるやりかたです。で、わたしが、とても大切だと思っているのは、この「宇宙の真理、および神界のエッセンス」というものは、わたしたち一人一人の誰もの内側にも存在しているということです。これは、わたしたち自身が、目覚めさせるのを待っている、わたしたちの「真実のエッセンス」とイコールだということです☆一人ひとりが、自分のチャネラーに、そして全員がシャーマンになってゆく時代が、これからの時代の方向性なのではないかな?と、わたしは思っております。これは、これでアップして、少し切り口を変えて、続きを書くことにしますね~♪