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カテゴリ:Lucia Popp
さて、二枚目である。
といっても、残念ながら、というか、当然ながら、私のことではない。 が、ひょっとすると、そのような勘違いをされた方が、 百人のなかに、五億人くらい、いらっしゃるかも知れないので、 年のために、いや違った、念のために、おことわり致します。 EMI CLASSICSの2枚組CDのことであり、前回の続きなのである。 前回記したとおり、1枚目のCDでは、既に持っている別のCD’sと同音源の曲が多かったのだが、この2枚目は、1960年代の若きルチア・ポップの歌が多く、音源として重複しているものは、全20曲の内、3曲だけであった(クレンペラー盤『魔笛』第二幕の夜の女王のアリアと、ハイティンク/バイエルンによる、同じく『魔笛』のパミーナのアリア“Ah, ich fuehl’s”、及び、ロッシーニの小ミサ曲)。 その点で、私には、この2枚目のCD(三十年から四十年ほど前にレコードで発売されていた音源をCD化してくれたもの)は非常に価値の高いものと思える。 「ラウダーテ・ドミヌム」 [ゲオルク・フィッシャー指揮/イギリス室内管(1967年)] この、モーツァルトの作品『聴聞僧の厳かな祈り』は、20年以上前にFM放送で初めて聴いて、たいへん気に入った音楽である(その演奏は、ザルツブルク音楽祭のライヴで、ペーター・シュライアー指揮によるものである)。 ルチア・ポップの歌で聴くのは初めて。 さらに蛇足だが、ポップの最初の夫君、フィッシャーの指揮による音楽を聴くのも初めて。 実に清純な感じの、27歳のルチア・ポップの声が好ましい。 カラヤンが、当時23歳のポップをウィーンに招いたときに、『魔笛』の三人の童子の役を割り振ったのも、自然なことだったのかも知れない(それまでに、故郷では既に「夜の女王」を歌っていたポップにとっては、かなり屈辱的であったのだろうが。但し、後年のスピーチで、ポップは、このときのことを、うまくジョークに使って、聴衆の笑いを得ている)。 「鱒」 ピアノはサヴァリッシュ(1984年)。 シューベルトの「鱒」に関しては、これまでずっと、エリー・アーメリンク盤がベスト、と思ってきた。なんといっても、その歯切れの良いドイツ語が素晴らしいし、歌の躍動感が良いからである。 ポップの歌の、はつらつとしたところは、さらに素晴らしい。 この「はつらつ」としたすがすがしさ、若々しさは、同じCDに収められた、ヘンデルの3曲(『セルセ』『ロデリンダ』『ジョシュア』からの各1曲)に関しても感じたことだ。 硬質な部分を持ちながらも、暖かい、ポップの高音が耳に心地良い。 『メリー・ウィドウ』~ヴィリヤの歌 [マリナー/アカデミー(1988年)] 1981年のザルツブルク音楽祭のリーダーアーベント(ピアノ伴奏)でも、アンコールの最後に歌った曲。 今回の、このCDでは、合唱が加わってくるところが楽しい。 『こうもり』~ふるさとの歌 [ドミンゴ指揮/ミュンヘン放送管(1986年)] 『こうもり』も、ルチア・ポップが得意とした音楽で、ロザリンデとアデーレとを演じたことがある筈。 このCDに収録されているのは、第2幕、ロザリンデの歌。 40代後半、円熟期のポップの声。 録音の立体感も最高に良く、オペレッタの楽しさが伝わってくる。 ルチア・ポップは、この録音から7年後に、50代なかばで帰らぬひととなる。 運命といえばそれまでだが、神とは、なんと理不尽なことをしてくれる存在なのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月11日 00時28分31秒
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