根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内は色々な人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんな形で残っています。古代から近代までねむろの歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えしていきたいと思います。
わたしと一緒にちょっと昔に想いを馳せてみませんか?
第6回に引き続き、第7回の今回も、「根室の名城:根室半島のチャシ跡群」を巡りながら、アイヌの歴史をご紹介いたします。
ノッカマップからさらに納沙布岬の先端へ進んだ場所に「ヲンネモト・チャシ」はあります。
<地図の出典>
この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。
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「ヲンネモト・チャシ。赤いラインがチャシです」
ヲンネモト・チャシは珍しく、土を持ったような形になっています。
ヲンネモト・チャシに限らず、チャシの詳しい使用目的についてはまだよく分かっていません。なぜなら、アイヌ民族が文字を持たなかったからです。
そのため、アイヌの歴史を知るために次の3つの方法が用いられています。
1.発掘調査から推察する
2.口伝の伝承から推察する
3.和人が記した史料から推察する
「3」の記述者の殆どは武士階級でした。反乱を起こしたアイヌが立てこもる描写を行った史料も多くあり、「チャシ=砦」という認識の源流でもあります。
一方で、「2」に記されたチャシの用途はアイヌの神々の活躍の場として登場するなど様々です。ヒストリー・ハンターとして心躍るのは、「宝物(イコロ)」に関する記述です。実際、「1」の結果、瀬棚町や増毛町のチャシでは当時の宝物が出てきたそうです。
ちなみに、前回ご紹介したノッカマップ・チャシには、
「足踏みすると、ボーンボーンとうつろな反響がする通称ボンボン山の地下がアイヌ人の倉になっていて、戦いのとき、宝物を隠した」
という伝承が残っています。
宝物を探しに出かけたくなりますよね。
「ヲンネモト・チャシから港を望む」
「ヲンネモト・チャシの沖合に浮かぶ小島」
前回、チャシは岬などの先端部に多いとご紹介しました。ヲンネモト・チャシの沖合にはカモメの営巣地になっている小島が浮かんでいます。
「ゴメ島」と呼ばれるこの島は、大潮(潮の干満の差が最も大きい状態のこと)のときだけ、歩いて渡れるようになります。
今となっては知る術はありませんが、アイヌの人々にとって、ゴメ島は神聖なものであったのかもしれません。
次回は納沙布岬の先端です。
参考文献:アイヌ伝承と砦(宇田川 洋 著)
参考文献:アイヌのチャシとその世界(北海道チャシ学会 編)
参考文献:新・北海道の古代3 擦文・アイヌ文化(野村 隆、宇田川 洋 編)
ここでヒストリー・ハンター(仮)からお知らせです。
■2012年12月1日より「第7回日本最東端の豊かな水と大地のフォトコンテスト」の応募が始まります!
前回「第6回日本最東端の豊かな水と大地のフォトコンテスト」では、大潮のゴメ島を写した「渡り初め」が、見事、大賞に輝きました。あなたも自慢の写真をご応募ください!
応募方法は、こちらから。
・「渡り初め」が表紙の根室の概況「根室の姿2012」はこちら。
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