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深谷育ちのねぎっこが、ゆるーく深谷の話題を紹介します。
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こんにちはチェです 今日は暑いですな さて、渋沢栄一の没後80周年のことは前回お伝えしましたが、 渋沢栄一を語る上で欠かせない人物がいます。 その名は尾高 惇忠(あつただ・じゅんちゅう)といいます。 この人です
彼は文政13年に武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)に生まれました。 チョースピードで彼の歴史を紐解くと 若くして自宅で尾高塾を開き、栄一に論語を教えた学問の師です。 幕末は尊王攘夷論者で、栄一と共にナント高崎城乗っ取りなんて無謀な計画もやろうと していました 明治になってからは、一転、栄一の信頼厚く、富岡製糸場の初代場長や第一国立銀行 仙台支店支配人など歴任し実業の人となりました 彼の子孫は芸術家肌で 息子は漢学者・銀行家の尾高次郎です。 また、郷土教育家の尾高豊作・法哲学者の尾高朝雄・東洋美術研究者の尾高鮮之助・ 社会学者の尾高邦雄・作曲家の尾高尚忠のそれぞれ祖父でもります。 曾孫に同名の作曲家、東京芸大教授・尾高惇忠と、その弟の指揮者、東京芸大教授・ 尾高忠明がいます。有名人ばかりですね。 今回は駆け足で彼の事跡を追いましたが、人生の節目節目にそれぞれ面白い エピソードがありますから、調べたらチェに教えてくださいね 渋沢栄一記念館に程近い彼の生家は、尾高家のご当主の計らいで 時々公開もしています。今度は11月13日(日)に公開します。
機会があったら見てくださいね
それではまた、バイバイねー