みなさんこんにちは。チェです。
昨日、深谷上杉・郷土史研究会の会長さんから
「深谷上杉・郷土史研究会 会報」の第131号をいただきました。
毎号 楽しく読ませていただいていますが、
今回は「渋沢栄一翁の祖先を訪ねて」
という一文が掲載されていました。
これによると、
渋沢氏の祖先は、山梨に本拠をもつ、甲斐源氏だそうです。
常陸の国にいた源義清・清光親子は
国司との争いにより朝廷の命によって
甲斐に流されたそうです。
ここからが甲斐源氏です。
清光の長男 光長は、
逸見庄(現山梨県北杜市)に城を築き、逸見氏を名乗りました。
その後、逸見氏の一族又三郎義継は、旧渋沢村に移住し、
以後、渋沢姓を名乗ったそうです。
武田家滅亡後、織田信長が侵攻してきたため、
渋沢一族は北杜市から佐久市、富岡市を経て
深谷市血洗島へ逃れ、武士を捨て農業に従事したとのことでした。
これは、歴史学者の織田完之が
明治33年発行の「青淵先生60年史」に
書かれた説だそうですが、
近年、これを裏付けるような資料が見つかりつつあるそうです。
渋沢栄一翁に縁の深い富岡市ですが、
ルーツも富岡経由とは驚きました。
それではまた。