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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
イフタルを待つスルタンアフメット広場の人々 2006.10撮影 【9月10日・水曜日】 おとといの夜の電話で、急にスルタンアフメットに行くことになった私は、昨日の昼少し前家を出てトラムワイに乗った。 ラマザン中はあちこちの繁華街で臨時の屋台店が出現する。夕方は特にイフタル・ソフラス(日没の断食明けの食事)を外で取ろうという人達でごった返している。 スルタンアフメット広場周辺でも例年のごとく可愛いスタンドや小店が立ち並び、各店とも夕方に備えて忙しく準備を整えている。 トラムワイを降りて広場を突っ切り、アクブュック通りの後ろ側にあるマルマラ・ゲスト・ハウスの呼び鈴を押した。 ファイクさんとアイシェさん夫妻、娘のエリフとアイシェさんの姪エシンが、久々の私を温かく迎え入れてくれた。 D子さんの手紙はエリフが宿帳の間に挟んで大事に家族の居間に運んできた。私は封筒を指で千切って開けることはしないので、はさみを探して貰った。エアメールの封筒からは2通の便箋が出てきた。 「寒中お見舞い申し上げます・・・」としっかりした文字で書かれた最初の便箋は、ヘルパーさんに代筆をお願いしたもので、D子さんが11月中旬に夫と共に日本に到着、友人宅に泊めて貰い、その友人達の世話で介護保険や生活保護の手続きをとって貰ったとのこと。 また家を借りるに当たっての費用なども立て替えて貰い、なんとか年が越せたこと、いまは土日を除く週5日、毎日ヘルパーさんが来てくれて、デイサービスも始まり、生活が落ち着いてきたこと、などが書いてあった。 加瀬さんの住所がわからなかったために手紙が長らく出せず、お礼と報告が遅くなってすみません、と、彼女の自筆で書き添えてあった。 私は、そうしたD子さんの状況に思い至らず、ナシのつぶてだ、と不快に思っていた自分を反省した。 2通目は全部自筆で、筆跡が乱れに乱れていてやっと判読できた。左半身不随に伴ってのことか、左目の視力がほとんどなくなってしまい、何か読むにも文字を書くにも不自由なのだそうだ。 トルコ人の夫とは7月に離婚、彼女は1人暮らしとなって、今はまだヘルパーさんがいないと何も出来ないけれど、来年の夏、トルコへ行かれるようにリハビリを頑張るつもりです、という。 トルコの田舎で暮らした1年半、面倒を見てくれた夫の両親に捧げるつもりで、自分の闘病記を書いています、とも記されていた。 そして、2通の手紙のどちらにも、夫の兄であるファイクさんとアイシェさん夫妻や家族の安否を尋ね、どうかよろしくお伝えください、と結んであった。 私がトルコ語に直して読み上げるのを聞いていた夫妻は目を潤ませた。エリフも「私、D子さんに手紙を書くわ。11月に挙式するのも知らせたいわ」と言った。 手紙の中には、別れた夫に対して恨みがましい言葉は一言もなく、それだけでもほっとさせられた。以前は口を開けば夫の非難に明け暮れていたからだ。 D子さんばかりでなく、ダーリンが外人だから私は国際結婚したのよ、とうきうきしている女性も多いだろう。 D子さんの結婚生活は「口先だけうまい絨毯屋の客引きと、騙された日本人の年増女」カップルの典型的な例でもあり、間違っても「国際結婚」などと言えるものではない。 どちらにも教養があり、互いにその国の文化と礼節を身につけた同士が結ばれてこそ国際結婚と言える、と私は認識している。 彼女の人生観や行為・行動、そして今の状況が、周囲に反面教師として作用し、今後こういう問題で泣く日本女性が少しでも減るのに役立つとすれば、彼女がしてきた苦労にも意味があるのだが。 先ほど私は彼女に電話をかけてみた。喜んだ彼女があれこれ話をするので、なかなか電話を切ることが出来ない。 彼女は夫が秋になったらきっと私を訪ねてきてくれるわ、それを楽しみに1人でリハビリ頑張るわ、もう一度青いトルコの空を眺められる日が来るように・・・と言う。 私も祈った。どうぞ神様、それだけでも実現させてやってくださいまし、と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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