ジム城住民としての10年半
stoicさんやドラゴンサマーさんがジム城デビューしてからちょうど5年ぐらいが経ったらしく、彼らが自分のこれまでのジム城生活を振り返りだしているようです。(stoicさんこちら、ドラゴンサマーさんこちら)僕はというと、自分のこれまでを振り返ったりするのは好きなほうだけど、パーティ単位だったり、一年単位だったりはしたことはあっても、そういえばそもそもジム城デビューしてからこれまでを振り返ることって無かったような気がした。去年の11月、僕はデビューして10年が経ち、その時にやっておけば良かったなと思いつつ、それから約半年が経ったこのタイミングで、完全に便乗という形だけど僕もやってみようと思う。(※公開が遅れましたが5月の頭に書き始めた記事です。)因みに僕は、stoicさん等のようにデビューしてからコンスタントに記事を書いたりしていたわけではないので、特に初期に関しては資料が残っておらず自分が何をしていたのかかなり曖昧だったりします。一応、パーティ・ログ軍団には年代順にパーティを並べてあるので、これを見ながら進めて行こうかな。あと大会か。〜2006年〜11月3日、文化の日にジム城デビュー。それまでサイコロや電卓を使った原始的なシミュレーション対戦はしたことがあったけども、こんなサイトがあるなんて夢にも思っていなくて青天の霹靂だった。早速、当初自分が強いと思っていたポケモンでパーティを組んでみて、11連敗ぐらいするという洗礼を受けた。年の終盤だし、まだ頻繁に通っていたわけではないのでこの年にしたことはほとんど無いと思う。〜2007年〜色々なパーティを試し始めました。「受け」ということの重要性が分かって来て、組むパーティも受け思考になり始めます。と同時に、頭文字統一などのネタパも組み始めていたと思います。ブッ飛んだ技構成の変態ポケモンもよく使ってました。ハピムドを軸としたカルテットエース暴走四天王をよく使っていたはず。ガン受けに徹して、ハピナスとラッキーが両方入ったパーティを大真面目に使ったりしていました。2000以外のローカルルールや、2茶で99なんかもよくやってました。3月に開かれた大会では、まだデビューして4ヶ月なので敷居が高く感じて、参加しませんでした。8月には大会初参戦。ねむねご気合溜めカイリキーとかいうよく分からないエースを使い、見事な初戦敗退を期しました。()なお、元々チャットでの交流好きだったので、雑談もたくさんしてました。逆に、多分2chに某スレが存在することを知ったのもこの頃で、自分が叩かれてるのを初めて見た時のショックは流石に大きかったですね((〜2008年〜資料が残っているのはこの辺から。フルアタ家鴨さん等のマイナーエースから、隠密カビのような変態ではありながらガチめなパーティまで幅広く使っていました。それなりに臨機応変な立ち回りが出来るようになって来ていたと思います。響さんのチャット(海月茶)に顔を出すようになったり、3代目魔人島を開設したりと、色々アクティブになって来たのがこの年か。ガチな人たちとの交流によって、刺激を受けることも多々ありました。~2009年~今振り返ると、色々転機が訪れた年かも。まず、昔からやってみたかったオフ会というものに初めて参加して、コミュ障拗らせながらもクソ楽しかったです。その中でちょうど日程が被ったVictory Cup2009のウルトラカップの部に携帯から参戦して、初めての大会優勝というものを、オフ会中に経験してしまうというハチャメチャなことをしていました。優勝出来たのはウルトラカップでしたが、2000でも自分の腕にそれなりに自信が付いて来ていたかな。順番が前後しますが、春にはピースさんとの共同で、初めての大会「Clove&Peace CUP」を主催しました。今になって見ると、カビパルクインが誕生したり、寝言サンダーパの強さが認識されたりと、我ながら重要な位置付けな大会になったかなと。パーティはやりたい事やりましたを組んで使うことによって、それまでガン受けや、逆に猛攻一辺倒だったのが、受けと崩しの絶妙なバランスを詰めて行くことの強さにようやく気付き、当時の自分の最高傑作であるおぢいちゃん等のパーティを組めるようになりました。3代目魔人島では、両立不可一覧や、ローカルルール等の、魔人島らしいコンテンツ(何それ)がどんどん増えて行きました。~2010年~この年は個人的に蟹さんワールドが炸裂していたかも知れません。まず変態パーティが極まっている。着せ替え七変化のテクスチャーポリ2、雷鸚鵡のものまねサンダー、骨枕のいびきガラなど。更には暴走おかあさんの分身まるころタンクもこの年に生み出していて、当時はただの変態型の一種のつもりでした。一方で春に行われた大会、ヒツジ杯2ではガラプラスを使って初めて2000(一撃無し)大会で優勝し、ガチ方面でも少しずつノって来ています。ある意味、一番「何も考えずに楽しめていた時期」なのかも知れません。因みに魔人島では、確かこの年に「蟹茶」というチャットを設立して、当時自分が仲良かった人たちをスカウトして、8人ぐらいの常連でひっそりと盛り上がっていたりしました。色々「自分が代表になって、やる」ということに慣れ始めた時期かも知れません。~2011年~この年はジム城の人の変動が激しくて、それによって対戦環境も大きく変わりました。まず春の大会で、当時全く対策されていなかった分身まるころタンクが無双してしまって、2006の部では優勝、2000の部では確か準優勝?という謎の好成績を叩き出してしまいました。その後もコガネジムや牛骨でその型のミルタンクは活躍し、他にもエンジュジムでのハメ殺し、ライコウファミリーズでの毒守アンコドンファンや太鼓リザ、レインボウ・バンギや地獄の番獣での広範囲特殊型バンギ、G.S.insectorでのバトン戦術、おぢいちゃんIIでの冷凍パンチフーやクソカビ・カウンタサイドンの実戦登用、そして極め付けはCH流トキワジム(当時まだ未完成)に代表される、壁爆破+ガラガラ戦術や、エースの苦手な相手を一掃する広範囲型WAなどなど、良くも悪くも一番調子に乗っていた時期です。実際、野試合での勝率も高かった。ただ、この頃ジム城ユーザーのうち、自分の周りの身内がかなりの割合を占めるようになってしまったので、情報を外に発信しようという共通の意思のもと、文鳥さん・水野さん(当時)と共同ブログ「あやみがなどほろべばいい」を始めました。最初の頃はとにかく、身内に情報が溜まりに溜まっていたため、週2以上のペースで更新していました。良くも悪くも、一気にガチ方面へシフトして行きました。この年は3代目魔人島の発展もかなり大きくて、年初めには「変態ポケモン図鑑」に始まり、春には「いわゆるダメージ計算ツール」、年末には「我流・個別分析」の前身となる「自己満型サンプル」と、今の魔人島の主要コンテンツが次々とこの年に出来て行きました。お察しかも知れませんが、大学を留年した年です。((((((((()()()()(()()()()(()()()(((888((((~2012年~2011年に発掘した色々なものを更に掘り下げて行く年でした。CH流トキワジムはこの年に原型が完成し、僕史上最高傑作のパーティとなりました。広範囲特殊型バンギは魅惑の怪獣を経て王パCH流アレンジへと進化して行き、エース追加型シリーズに代表されるようなサポートのフシギバナもこの年に頭角を現して来ました。また、2010年にガラプラスで優勝した大会で使っていたいばみがサンダーが気になっており、未完などのパーティで試していましたが、結局いばみがサンダーは他の人がもっと良いものを組み始めたので諦めました。その代わり、いばみがサンダーや当時猛威を振るっていたクソカビにまとめて強い、悪夢スターミーをバランス2012等で使ったりしてました。そんな色々な戦術が生まれたり見直されて行く中で、「逆に55カビってそろそろ軽視されて来ているのではないか」と思い、今こそ寝言カビのようなパーティを組んだりもしていました。その他ジムシリーズにもハマっていた時期ですね。一方で、2011年のG.S.insectorあたりで味を占めた僕は、「カビガラさえ居ればあとはマイナーなサポートキャラでどうにかなるんじゃないか」という暴論を思い付いてしまい、遂に(!?)ガラガラ予備校を設立するに至りました。その他、CH流セキチクジムや夫婦砂塵のような、広範囲型エースにもハマり初めてましたね。大会に関しては流石にそうそう続けて優勝も出来なくなりましたが、この頃は自分が一番アクティブな常連だったこともあって、主催はよくしていました。客観的に見ても、良くも悪くも、自分の行動や発言がジム城ユーザーに与える影響は一番大きかったと思います。「2012」というローカルルールを仲間と共に作り上げ、大会を開いたりもしてました。3代目魔人島では、遂に「自己満型サンプル」が「我流・個別分析」に進化しました。また、この年に参加したオフ会によって実機のクリスタル版の内蔵電池を交換してもらえたため、それからしばらく実機での厳選・育成にも没頭していて、実機への理解も深まりました。~2013年~年初めの正月に3日間連続で大会「蟹杯2」を主催するという新しい試み。1日ずつの参加者数は知れていますが、合計すればなかなかの対戦数を積み上げることが出来て、盛り上がったんじゃないかなと。ここで遂に爆誕したmarioさんのTA。僕はこれにジム城生活史上最大の衝撃を受けて、少々アレンジしたマリオパーティ13も組みました。TAをはじめとした爆破速攻の全盛期で、エース追加型2のようなパーティをよく使ってました。マリオパーティのサンダー昆布に触発され、サンダー昆布シリーズも始めました。夏のオフ会では、僕のポケモンが入ったポケスタ金銀が起動しなくなるというアクシデントにより、急遽他の人用に育成したポケモンを寄せ集めたパーティナマステひつまぶしの原型を作り上げ、自演優勝しました()このあたりのパーティのように、エースは色々使いながらも、サポメンは爆破主体に、良くも悪くも使うポケモンがかなり限られて来ました。まだまだいろんなパーティを組んではいましたが、サポメンはどのパーティも似たり寄ったりになりがちに。いまパーティを振り返っていて気付きましたが意外とこの年はネタ(縛り)パの勢いが息を吹き返してますね。オールバリエーションは我ながらネタパの中でも1,2を争うほどの傑作。他にも種族値縛りの準速軍団やテクニシャンなど。マイナーなポケモンで相性が良さそうなもの同士をWAにした麒麟幕府のようなパーティは、は次年への布石になります。因みにこの年の春から就職しましたが、最後の休みとなる3月に、鬼のように個別分析を更新していました((就職してからは流石に、対戦も更新も頻度が落ちていくことになります。2011年以降にジム城デビューした人たちも定着化して来て、2011~12年のように、僕が良くも悪くも目立つようなことはあまり無くなって行きました。~2014年~この年は(厳密には2013年の秋頃から)個人的にマイナーポケモンエースが豊作でした。前年の麒麟幕府やまるいやつらに始まり、とても美しい芸術作品、野獣と野獣、俺の電磁波を喰らえ、大好きクラブ副会長など、マイナーポケモンを、数年前とは違った、時代に沿った使い方で新たに開拓して行くのが楽しい時期でした。夏には大規模大会「Victory Cup2014」が開催され、呆気なく初戦敗退を期したものの、敗者復活ブロックで前年のオフ会で組んだ「ナマステひつまぶし」をジム城用に強化したものを使ったら優勝してしまい、本戦に復活してそのまま総合準優勝を手にすることが出来ました。これはかなり嬉しかった。この年からももクロの現場に行くようになったものの、まだ夏と冬の大規模ライヴに行ったぐらい。~2015年~年初めにドラゴンサマーさんと共同で開いた大会「年越しバトル大会」に、CH流セキチクジム3を使って全勝優勝を果たしました。これが今のところ、僕が残したガチ方面の最後の記録かな()前年と同じく、マイナーポケモンエースも組んでみるものの、前年ほどは上手く行かなかったり。ガチ方面にはそろそろ限界を感じて来て、また2010年以前のように色々好き勝手やるようになり始めました。この頃、仕事が忙しかったり、ももクロ関係のイベントに一気にのめり込むようになったりで、ポケモンに割く時間は一気に減って行きました。対戦数も更新頻度もこの年にかなり減ったと思います。ただ、夏にはしっかりトーナメントシステムを使った大会「蟹杯4」を主催し、3年ぶりに2012の大会も開いたりはしていました。~2016年~マイナーエースとして重い副作用が久々にヒット。組んだのは前年末ですが、この年の前半はかなりこのパーティを使っていました。いま魔人島に公開されている最新のパーティがこれですが、それ以降はあまり大したパーティは組めていません。対戦はしていても、あまり良いログが取れずにパーティとして公開せずに解体してしまったものが多いです。(これ以降現在まで公開するパーティが無いというわけではなく、まだ公開していないものがいくつか溜まっています。)ももクロ関係で、現場へ行くだけでなく、仲良くなった人とプライベートで頻繁に遊ぶことまでしだし、更にポケモンへ割く時間が減りました。2009年以来、年1回以上は参加していたオフ会もここで途切れましたね。この年の春に仕事を辞め、専門学校に通い始めましたが、それがポケモン関係に与える影響は特に無かったです。~2017年~相変わらずポケモンにはそんなに時間を割いていないものの、自分がエンターテイナーであることを意識して色々やっています。まず久々に魔人島の大型コンテンツとなる「超絶・技辞典」を裏で細々と作り、公開。ジム城では、属性統一カルテットエースパーティを複数組んで、対戦しています。2007~08年頃、「暴走四天王」のようなQA編成をよく使っていて、「蟹さんと言えばカルテット」等と言われるほどでしたが、久々にカルテットの蟹さんが戻って来ました(爆何秋には金銀のVCが発売されるということで、ソフト自体を買う予定はありませんが、主に実機関連で培った知識と経験をもとに、盛り上げるのに一役買えればいいなと思っています。2015年あたりからポケモンに割く時間はめっきり減ってはいますが、やめる気は更々ありませんので、色々他の趣味などと折り合いを付けながら、末長く続けて行こうと思っています。