ココロノセンリツ vol.1 レポート
6/23(金)ももクロの緑、有安杏果のソロライヴ「ココロノセンリツ ~Feel a heartbeat~ Vol.1」の、名古屋公演に参戦してきました。僕は音楽人として、ももクロの中でも最も音楽性の高いメンバーである有安さんのソロコンは是非とも観てみたかった。ももクロの中でも唯一、自ら楽曲を作詞作曲し、少しだけ楽器も演奏し、歌唱力も最も高い。元々音楽に対する思いも人一倍強いのもあって、ソロ曲も圧倒的に多い。そんな彼女が、ももクロという呪縛から解かれた、一人のアーティストとしてパフォーマンスを魅せてくれるライヴを、この目でどうしても一度は観てみたかった。しかしそこには、「推し」という障壁がある。僕はももクロでは、あーりん推しだ。有安さんのソロコンは去年初めて「vol.0」として開催されて、その時点で僕はとても行きたかったのだが、ほぼ同時にあーりんのソロコンの開催が発表されたこともあって、「最初ぐらいは緑推しに譲って、自分はあーりんのソロコンに全てを賭けよう」という気持ちが強かった。秋に開催された追加公演、vol.0.5は、大分県なので場所的に現実的ではない。そして今年。何と、名古屋・大阪・東京で、追加公演含め5公演も開催してくれることになった。そこまであれば1ヶ所ぐらい行かせてもらっても良いだろうという気持ちと、地元である名古屋に来てくれるので、是非そこに入りたいという気持ち、そして何より、緑推しの人たちが、去年のソロコンを受けて、「これを他推しの人たちにも見てもらいたい」という意見の人が多かったのもあり、僕は今年は躊躇なく、堂々と名古屋公演に申し込みをすることが出来た。しかも、追加公演である初日は、推し関係なく、チケットは一般抽選だったので、当選する可能性も高い。しかし僕は、落選してしまった。結局、心優しい方に拾ってもらうことができ、連番という形で、名古屋公演の初日に参戦することが出来た。その節に関しては、本当にありがとうございました。以下、激しいネタバレを含みます。閲覧の際は十分にご注意ください。まず、何度か書いているように僕は現在、前の仕事を辞め、音楽の道へ進むため専門学校に通っているのだが、今回の会場というのが、僕の通っている学校から徒歩10~15分程度で行けてしまう場所であり、帰り道に寄ることも出来るため、何度も前を通っているというほど身近な場所だった。そんな場所に、遠くからやって来たオタクたちが集結するだけでも、感慨深いものがあった。「地元のよく知っている場所にオタクが集まる」という経験をしたのは、実は初めてかも知れない。去年、ももクロがナゴヤドームで公演したが、ドーム方面へ行くことはあまり無かったので。当日の僕は、念のためのギガライトを1本。ただそれだけ。僕は、以前「あーりんやす推し(あーりんと杏果のダブル推し)」だった時期があったため、緑のグッズを少しは持っていた。が、敢えて完全に封印した。これは、推しではないものの僕なりの解釈で、今回のソロコンに、緑の要素は全く必要無いと考えたからだ。「ももクロの緑」としてのライヴなら、緑に染めて参戦したところだったが、有安さんのソロコンは、そういうわけではない、と思っている。なので、ギガライトも一応持って行ったが、初めからあまり振るつもりは無かった。僕は、この日の思い出を大切に刻み込むため、知る人ぞ知る、キャンパスノートのTシャツに、先日新調したばかりの、真っ白なクロックスでライヴに臨んだ。座席は2階席の最後列。2階と言えども、横アリのアリーナのような構造で、距離的には1階席の最後列のようなものだった。肉眼で表情まで確認するのは難しいものの、一挙手一投足はかなりハッキリと見える。もっとも僕はこの日、音楽を楽しみに来たので、どちらかというと目より耳を働かせていたのだが。緊張の中、遂に1曲目が始まった。僕は去年のソロコンをBDで一通り観て予習したのだが、去年とは打って変って静かな空気の中、幕も無く、有安さんは舞台袖から歩いて登場した。静かな拍手に包まれながら、何やらステージ中央にセッティングされた機材(?)に向かう有安さん。肉眼では、それが何なのかは、すぐには分からなかった。しかし、モニターに映った有安さんの手元と、この耳に飛び込んで来た1音目に、僕は我が目と耳を疑った。有安さんが、あろうことか、ピアノを弾き始めたのである。一瞬、これは違う人なのか、と思った。しかし、有安さんは歌い始める。これは紛れもなく、本人だ。ステージのどこを見渡しても、他の人はいない。有安さんが、自ら、一人でピアノを演奏しながら、歌っているのだ。そしてその歌というのが、ももクロで最初に彼女が与えてもらったソロ曲、「ありがとうのプレゼント」である。僕はこの時点で、感動などという概念をもはや超越した、衝撃、戦慄とも取れる感情を覚えた。涙など出ない。その代わり全身に鳥肌が立ち、震え上がった。有安さんは、今までギターとドラムを演奏して来た。レパートリーを増やして来ているので、上達も手に取るように分かる。ももクロの中でピアノというと、玉井さんの担当だ。有安さんは確かに、音楽的な素質は他のももクロメンバーと比べると頭ひとつ抜けているとは思ったが、「楽器を器用にこなす」という印象は、あまり無かった。それはどちらかというと、玉井さんの印象だった。だから僕は、有安さんは現状使うことが出来るギターとドラムの腕を磨きつつ、作詞作曲でレパートリーを増やして行くものだと思っていた。そこにまさか、新たな楽器を増やすなど、僕は想像だにしていなかった。ほとんどコードを押さえるだけではありながら、有安さんが、誰の手も借りず、完全に一人で、ピアノで引き語りをしていたのだ。1発目からとんでもないものを見せられてしまった僕は、この時点で「土下座したい」という感情に襲われた。この感情は、富士見市で行われた春の一大事の、1日目の夏菜子さんの最後の突然の涙を流しながらのコメント以来だった。それぐらいの、尊敬を通り越した畏怖のようなものすら感じた。そんな衝撃があまりにも大きかったので、有安さん自身の異変に関しては、曲の途中で、ようやく気付いた。たまにモニターにアップで映る有安さんを見て、「何か、いつもよりかわいくないか?」ここでようやく気が付いた。髪をバッサリ切って、ショート(正しくはボブか)になっている!!!この時点で、情報量が多すぎてもはや脳が追い付かない。ステージ上で、ピアノを弾きながらのびのびと歌っている子は、僕の好きなタイプの子になっていた。ショートは5割増しである。これに気付いたとき、もはや曲中にも関わらず、変な声が何度も漏れそうになっていた。そこから続く、有安さん自身が初めて作詞作曲をしたという楽曲、「ハムスター」と、自身初のソロ曲「feel a heartbeat」。この時点で僕は完全に、ソロアーティスト有安杏果のコンサートに呑まれていた。新曲「遠吠え」はとにかくカッコイイ。「愛されたくて」に続く、Jazz色のとても濃い曲。最終的に今回は新曲を4つも用意してくれたのだが、僕はその中ではこの曲が一番好きかも。度肝を抜かれたのは「教育」。この曲をそもそもやるかどうかも分からなかったが、まさかまさかの、この曲で有安さんはドラムを演奏しながら歌い始めた。正直、この発想は完全に無かった。vol.0ではももクロの「黒い週末」でドラムを叩いており、今回も当然、なにか1曲、もしかすると2曲ぐらい、ドラムを叩くことは間違いないと思っていた。しかし、まさかのここに来て教育とは。僕は最近、ドラムもほんの少しだけ触っているので分かるのだが、この曲のドラムはかなり難しい。ドラムの村石さんはと言うと、この曲が始まる時に前座としてソロを魅せてくれたが、有安さんがドラムセットと共に登場し曲が始まった瞬間、立ち上がってタンバリンをカッコ良く叩くのみだった。初日ということもあってまだ少々ぎこちない点もあったが、何よりも「この曲でドラムを叩く」ということに物凄い意義を感じた。何というか、教育という曲が、5年越しに新たな命を吹き返したような、そんな感覚だった。衝撃的だった新曲は「色えんぴつ」。まず歌詞の世界観がすごくて、そこに引き込まれるのだが、音楽をやっている人間の視点から見るとこの曲、メロがとんでもないことをやっている。1番、2番ともにとても切なく悲しい詩があり、それが泣くようなメロに乗っているのだが、3番になると詩の内容に希望が見えて来る。すると、メロディも3番のサビだけ分かって来るのだ。そこの部分の歌詞を思い出せないのだが、サビの後半「尖った先が~」へ行く前のロングトーン。これが、1番2番では不安定な音へ行くことにより、とても悲しい情景を生み出しているのだが、3番だけはここが最も解決感のある音へ戻り、これによって「救われた感」がすごい。これ、音楽を感覚だけでやっていたらなかなか出来ることではないと思う。恐らく有安さんは、作曲ということを続けて行くために、音楽の基礎的な理論も学んでいるのだろう。そんな有安さんの努力が、詩と曲に垣間見えた逸曲だった。ライヴは後半に差し掛かり、有安さんは客に着席を促す。僕は基本、ライヴで最初に立ち上がったらもう終わるまで一度も座りたくない人なのだが、パフォーマンス側がそういうコンセプトだと言うのなら喜んで着席しよう。ここで静かな曲やバラードが続く。有安さんの声、バンドさんの演奏にしっかりと耳を傾けることが出来る。有安さんは「みんなに見せたいものがある」と言い、ステージ脇にはけてから、ギターケースを持って戻って来た。彼女はケースからギターを丁寧に取り出し、ステージ中央に置かれた椅子に座り、「ペダル」を弾き語りで歌い始めた。この曲、僕が有安さんのソロ曲の中で1,2を争うほど好きな曲なのだが、それは原曲やvol.0でやったような、本間さんのアレンジが加わったバンドバージョンだ。今回はそれとは大きく異なるのだが、1曲目のありがとうのプレゼントと同じように、バンドさんは一切参加せず、今度はギター1本で彼女が一人で弾き語りをしている。これは、vol.0では無いことだった。フォーク村やラジオではやったことがあったが、観客がいるライヴでは初めてだ。この曲も、彼女自身が作曲した曲なので、元々はこうして、ギターで作ったのかな、と想像することが出来た。ここで僕は「もしかして」と思ったのだが、曲が終わってから全てが分かった。このギター、有安さんの私物なのであった。最初一瞬「見せたいもの」とは…?と分からなかったのだが、有安さんは自分のギターを遂に買ったのだ。そして彼女はギターのことを「この子」と表現した。小さな手で、ギターを優しく抱きしめながら、「これからこの子と一緒に音楽をやっていく」という旨の話をした。僕は音楽人として、これには堪えられず、MC中に号泣してしまった。有安さんは確かにこれまでも、幾度となくギターを演奏して来たが、それはライヴ用に用意されていたり、番組でプレゼントされたりというものだった。しかし今回は違う。親と一緒に楽器屋さんへ行って選んだ、完全に自前の楽器だ。それを「この子」と表現し、これから一緒に歩んで行くであろうことを考えると、音楽人として涙を禁じ得なかった。このギター、もしかすると有安さんにとっての「ペダル」だったのかも知れない。さて、このあたりで僕はとんでもないことに気付いていた。ここまで11曲が披露されて来たが、vol.0とは違い、カバーがひとつも無い、全て彼女のソロ名義の曲だ。そして、少し考えたら、彼女のソロ曲はまだ4曲ほど残っていることが分かった。ペダルの前のあたりで、僕は「まさか・・・」と思っていた。ここで有安さんがMCで、本編が残り3曲、しかもその中に新曲を含むということを宣言する。ここで僕は確信した。その「まさか」だ…!!と。最後はアップテンポな盛り上がる3曲で、怒涛の終盤を迎えた。新曲「TRAVEL FANTASISTA」で残りの曲を考える。「心の旋律」「Another story」「Catch Up」「愛されたくて」の4つだ。本編は残り2曲。恐らくこの中で盛り上がるであろう、Another storyとCatch Upが来て、アンコールのラストを心の旋律で終えるのだろう、と思った。Catch Upが来た。となると、本編ラストはAnother story……かと思いきや!!まさかの愛されたくてで本編ラストを迎えた。初めはあまりに意外だったが、いざ曲が始まってみると、なるほど確かにこの曲も、かなりノれる!そして最も納得した瞬間は、曲中にメンバー紹介を挟んだ時だった。なるほど!この曲はJazzなので、バンドメンバーのソロ回しが非常にしやすいのである。そのためにこの曲を使うというのは考えていなかった。いや~、実に音楽を楽しむ、有安さんのソロライヴらしい演出だ!あっという間に本編は終わってしまった。僕はいつもの現場通り、全力でフルアンコールを叫ぼうとしたら・・・なるほど、周りは「アンコール!」ではなく「ももか!」の連呼だった。これもソロコンの文化のひとつか。ここはひとつ、郷に入れば郷に従え、と、普段「有安(さん)」呼びなので少し言いづらかったが、「ももか!」コールに混ざることにした。僕はここまでほとんどペンライトを出していなかったのだが、この時は有安さんにオーラを送るようにギガライトを緑に灯しながら、フル「ももか」を叫び続けた。残る曲はAnother storyと心の旋律。アンコールは3曲ぐらいやりそうだから、また新曲をひとつ挟みつつ、最後に心の旋律で締めるのかな、と思っていた。アンコール1曲目、やはり「Another story」。これも僕がとても好きな曲のひとつ。アンコールでペンライトを出した流れで、「もうこのままでいいや!」と思い、この曲では全力でペンラを振りながらヘドバンしていた。楽しい!!このライヴ中で一番ブチ上がった。ももクロで言うところの、ガンズやキミセカ、PUSHあたりのようなノリ方をしていた。そこからそのまま、謎のメドレーが始まる。数曲と思いきや、どんどんやる。どんどんやる。途中で「これ、ソロ曲全部やる気だ…」と気付き、最後の方になってようやく、これが今回のセトリの逆順になっていることに気付いた。特に曲の中身とは関係無いのだが、途中で、「有安さんがもうこんなにもたくさんソロ曲を持っているんだ…」とハッとなり、そこで泣きそうになった。このメドレーもまた、実に練られていて、これまでの本編で歌ったものとバージョンが違うものになっている。例えば「Drive Drive」はサビが高速になっていて、高速でタオルをぶん回すのがとても楽しい。本編で弾き語りだった「ペダル」は、原曲に忠実なバンドアレンジに。「小さな勇気」はアカペラで完全に泣かせに来る。「feel a heartbeat」は「ヲウヲウイェイイェイ」のコール&レスポンスの繰り返しが楽しい!そして本編1曲目にピアノで弾き語った「ありがとうのプレゼント」は当然、このメドレーで最後の曲となり、こちらはがっちりとしたバンド演奏で、しかも何ならちょっぴり重めのロック。こういうありプレも凄く良いなぁと思った。そしてこのメドレーで凄かったのは、曲に合わせてモニターに当日の本編の有安さんのパフォーマンスが映し出されていたこと。映像さんがそれまでの短い間に編集していたことになる。これが、それまで本編で見て来たものがフラッシュバックされるようで、でもアレンジだけは新しくて、とにかく有安さんの音楽の世界観の広がりを見ているようでとても心に来るものがあった。セトリだけは逆に戻っているのだけど、螺旋のように、上昇しながら戻っているのではないか、と。ここで改めてメンバー紹介も挟み、挨拶してバンドさんたちはステージから去って行く。村石さんがいつまでもカッコ良すぎてズルい。さて、流石にここで終わるわけがない。「あの曲」だけを残しているのだから、最後にやることは分かっている。ここで有安さんはMCで、自分の音楽に対する思いを語り始める。ここは、ライヴ全編を通して最も僕が心を打たれたシーンだった。彼女は語る。人間はただ生きて行くだけなら衣・食・住があれば事足りる。しかしそれだけでは心という部分はどうしてもカバー出来ない。心が弱ったときに、それを救ってあげられるものは何か。それに対して彼女が導き出した答えが、「音楽」だった。もちろん彼女が語った全てを覚えているわけではないのでこれは僕の言葉による概略になってしまうのだが、そう信じて彼女は「音楽」の道に進み、「歌い続ける」のだと宣言した。そのためには、ステージに立っている自分やバンドメンバーだけでない、照明、音響、美術などのスタッフさんたち、そしてもちろん自分をいつも支えてくれる仲間たちやファンの人たち。みんなのおかげで、自分は今ここに立って歌を届けることが出来るのだということを踏まえながら。これ、実は僕がいま音楽をやっている理由と、全く同じだった。ここから少し僕自身の話になってしまって申し訳無いのだが、僕は、エンターテイメントというのは人類における最高概念だと思っている。人間は最高に知能の高い生き物で、恐らくは生物の中でもトップに立っていると言える。豊かな感情を持つことができ、「笑うことの出来る唯一の動物」とも言われている。また、日本のような先進国では戦争や病気で不本意に命を奪われることも少なく、一定の範囲の年齢の死因としては「自殺」が最も大きいウェイトを占めているという結果もある。我々は、生きることだけなら、衣食住があれば事足りる。しかしそれは本当にただ生きているだけで、先進国で豊かな生活環境に置かれるほど、それだけでは足りなくなってしまう。そこに何が必要かと言うと、「心の栄養」だ。つまり我々人類は、豊かな生活環境になればなるほど、心の栄養を欲する生き物だと僕は思っている。これは、生きるのに必死な動物や人々(これを同列に置くのは失礼だとは承知の上)には、なかなか縁遠い概念だろう。我々は幸いにも、豊かな生活環境で生きることが出来ている=生物として高等な環境で存在することが出来ている。高等な環境で存在している人類には、心の栄養が必要だ。それを満たすことが出来ること、それこそがエンターテイメントという概念であると、僕は信じている。つまり僕は、「エンターテイメントを提供し享受することが出来る」というのは、生物において最高の条件下に置かれているからこそ出来ることだと思っている。だから僕は、エンターテイメントというのは、生物の上で最高点の環境に介在することが出来る概念だと信じている。回りくどい説明を長々としてしまったが、平たく言うと、エンターテイメントというのは、「生き物として(知能・生活環境ひっくるめて)最もレベルの高いことをやっているんじゃないか」ということである。これが、僕がエンターテイメントの一種としての音楽を仕事にしようと考え始めた動機の根底にある考えである。…話を戻すと、有安さんは、このようなマクロな話を持ち出していたわけではないし、エンターテイメントという広い括りではなく、あくまで「音楽」「歌うこと」というカテゴリにおいて話をしていたわけだが、生きるための衣食住とは別のところにある、人間の心の部分を救うことが出来る方法のひとつが「音楽」である、という結論を導き出し、その道に進んだのは同じだった。だから僕はミュージシャンの卵として、ステージに立ち、その思いを語っている彼女を、ミュージシャンとして心から尊敬することが出来た。僕は彼女のように、ステージに立って歌を歌うわけではないけども(そういうことをしたいという思いも少しはあるのだが)、「音楽」に対する思いというのは同じで、彼女がこの時のMCで話していた内容一字一句に対して頷きが止まらなかった。「歌いたい 歌いたい 握ったマイクもう離さない」。そんな彼女の思いを踏まえた上での最後の「心の旋律」、僕はこの日、これを観に来たと言っても過言ではないのかも知れない。いやもちろん、音楽人として、彼女の歌声以外にバンドサウンドも心の底から楽しむことが出来たのだが、その楽しみの根底にあるものが、ここに集約されていたと言っても過言ではない。遡ること1年前。vol.0が開催された時、僕は参戦出来ないながらも、生意気にセトリ予想をしたものだった。予想というか、自分の希望みたいなものも入っていたのだが、多くの人が「ありがとうのプレゼント」をオーラスにやると思っていた中、僕は敢えてそれを1曲目にやるのもアリなんじゃないか、と思っていた。この曲はあくまで「ももクロの有安杏果」としてのソロ曲なので、まず「ももクロからの旅立ち」としてこの曲を最初にやることでこれまでを清算し、そこから「feel a heartbeat」で有安杏果の真のソロが始まり、最後は彼女の「歌」に対する思いの原点が詰まった「心の旋律」で締める。これが僕の予想、というか半ば希望に近い流れだった。かくしてvol.0は終演し、結果は僕の予想とは全く違うセトリだったのだが、これがまさかの、1年越しに帰って来た。そう、vol.1こそが、僕が思い描いたこの流れとそっくりだったのだ。僕が思い描いていた有安杏果のソロコンは、vol.0ではなく、vol.1だった。これは、ある意味他推しだからこそなのかも知れない。BDで観たvol.0では主に、これまで応援して来た人たちへの感謝という側面が強かった。それまでを、このライヴで清算する。だからこそ、「0」なのだと、このことに1年越しに気付いた。この時有安杏果はまだ、「1」に立っていなかったのだ。それは、まだそこに及ばないというわけではなく、それまでのことを清算するために敢えて「0」を作ったのだと、僕はそう解釈した。vol.0.5も、セトリを見る限りではあくまで0の延長上なので、ここで1になることはない。だから0.5だったのだ。そして1年後に迎えたvol.1。僕が途中で勘付いた「まさか」の正体である、「全曲有安さん自身のソロ曲のみで構成されたライヴ」だ。これが僕の中で、ピアノや自前のギターをも超えたぶっちぎり一番のサプライズだった。恥ずかしながら、「ゴリラパンチ」等は当然のようにやるものだと思っていた。有安さんはもう、自身の楽曲だけで2時間半もの尺のライヴを持たせられるようになっていたのだ…!!これこそが、彼女のソロ活動のスタート地点と言えるのだろう。だからこれを「1」としたのだろう。だから、それまでの清算を込めた「ありがとうのプレゼント」を、ただの0からの延長ではなく、ピアノという完全に真新しい形で始めることが出来て、彼女のソロワークとしての原点である「心の旋律」で締めることが出来るのだ。ライヴ全編が終わってから、僕の中で全てが、紐が解けるように解決した心地だった。そしてこの瞬間を迎える現場に自分が居ることが出来たのは、とても幸運だったとしか思えない。相変わらず記事を書くのに時間がかかって、これを書いている今現在は既に千秋楽前日の7/19なのだが、実はこの後僕は、「これは何としてももう一度観たい」という気持ちがあまりに強く、結局7/2の大阪公演で更に成長した有安さんを見届けることが出来た。僕は察した。自分が、「有安杏果のファン」になっていることを。「グループの中の推し」とは違う。僕はあーりん推しだ。だが、「ソロアーティスト有安杏果」のファンだ。僕はこれからも、ファンとして、また音楽人として、有安杏果のソロ活動を追って行きたいと思っている。