1人分のコロッケ
月末なので、できるっかぎり仕事してたら夜になり今日の夕食は、昨日一昨日の残り物。それだけじゃかわいそうかなと思って、○ナカで、お惣菜でも買おうかと立ち寄る。おいしそうなコロッケを、買ってしまった。コロッケといえば・・・・若き青春の日の思い出・・・その1(その2もあるのか?学生時代、京都の東山区に下宿していた。東山通りの五条よりももっと南、東福寺よりちょっと北。道沿いに昔ながらの商店街があって、八百屋や雑貨や、お肉屋さんに魚屋さんが軒を連ねていた。1人暮らしを始めたばかりで、ちょっとの心細さと、大きな開放感と冒険心いっぱいだった。おばちゃんたちに混ざって市場に行って、ちょっとづつお肉やお野菜を買って、買い物籠にいれて帰った。下宿先のアパートに上がる道のかどにコロッケを揚げているお肉屋さんがあってその前を通るといつもいいにおいがしていた。なんだか恥ずかしくてなかなか買えなかったのだがある日意を決して「ひとつください!」と言った。おばちゃんは揚げたてのコロッケをわら半紙に包んで「熱いから気いつけてな」といって渡してくれた。暖かいコロッケを胸に抱いて私は走ってアパートに帰った。あの頃は、早く家を出て1人になりたくて、誰も私のことを知らない遠い町に行きたかった。最初は友達もいなくて、どこにいても1人だったが寂しさよりも、開放感の方が強かった。誰にも気をつかわず、のびのびと町を歩いていけた。それでも、夕暮れ時買い物をするおばちゃんたちやまっすぐに家に帰っていく子どもたちを見ると、灯りのついた家のそばを通る時ご飯のにおいがして、にぎやかな声が聞こえたりすると、真っ暗な一人の部屋に帰るのがちょっとだけ寂しい時もあった。自由気ままな暮らしは、孤独と仲良しにならなければできない。冷めてきたコロッケを1人で食べながら、いつか家で待つ誰かのためにもう一つコロッケを買う日がくるのだろうかとふと思ったりした。子どもだったあの頃は自分の好きなものを自分だけで食べたいと思っていた。誰かのために食事を作るとか美味しいものは一人で食べるより、誰かと一緒に食べたいとかそんなことは考えてもいなかった。今、買い物にいくと子どもが喜びそうなもの、主人が好きなもの家族の健康のために身体にいいものいつのまにか、そんなものを選んでいる。自分勝手で欲張りだったあの頃の自分が今の私を見たら、きっと驚くことだろう。今日は娘の好きなクリームコロッケと肉じゃがコロッケを買って帰った。コロッケが好きではない息子には母の手作りホワイトソースのクリームシチューの残りを食べてもらう事にする。すまんね、明日も仕事が忙しいから何を食べさせてもらえるか・・・期待しないでおくれ。今の家族と暮らすようになって、もう17年。1人暮らしをしていた年月よりもずっと長くなってしまった。時々ふと、1人になりたいと思うときもあるがきっと寂しくて1人暮らしはできないだろうな。