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カテゴリ:福井県図書撤去問題
この本も、福井県生活学習館に置いてあります。家族単位をシングル(個人)単位に変えることが、男女平等だそうです。少子化を何とか食い止めようとする、国や県との考えとも大きく乖離すると思われます。それ以上に、全体に流れる考えが、普通でないです。皆様、是非ご覧ください。
なお、県は、この本についても、男女参画にふさわしいかどうか判断を回避しています。本当に無責任です。 ●「シングル単位の社会論」 副題:ジェンダー・フリーな社会へ ○はじめに(3ページ)の記述 カップル(家族)単位社会を、シングル(個人)単位の社会に変えること が、男女平等を進めるということだ。 ○8ページの記述 結婚も家族も幻想だ。愛し合い、話し合い、理解し合い、深い関係を作り、一生添い遂げるということや、子供を愛するすばらしさなんてのも、幻想に過ぎない。 ○106~107ページの記述 個人単位は家族の義務を消滅させる シングル単位の社会では結婚制度はなくなる。結婚に際しての届出がなくなる。国家・行政は、誰と誰が生計を一つにしているか、扶養義務があるかを知らない。関心を持たない。 親子関係も扶養義務ではなく、むしろ権利として整理し、子供は好きな人に育てられる権利、親は子育てをする権利があるとする。 「無償の愛」や「身内」「母」「父」「夫」「妻」などの論理ではなく、まずニーズある当事者の権利保障として、国家との関係で介護や育児がある。これは育児や介護といった再生産労働を社会的に承認するということであり、従来の「家事労働を無償にしていた家族単位という仕組み」を根本的に変革することになる。 こうして個人を単位として考えていくならば、当然名前も本人が選べるべきであり、夫婦や親子で同姓を強制することは廃止される。 財産は個人財産制で、身内・夫婦・親子に財産を贈与する場合も、それは「相続」概念ではなく、通常の「贈与」と同一扱いすることになる。こうしたシングル単位政策は、家族という意味を限りなく薄くしていく。 ○268~269ページの記述 ジェンダー・フリーの具体像としての「シングル」 僕の主張は、ジェンダー概念の先には、ジェンダー・フリーでジェンダーを超克する概念、すなわちシングル概念しかないだろうということである。 ◇ 副題で、ジェンダー・フリーな社会へと謳い、本の中身もジェンダー・フリーの社会を目指すものである。「判断基準B(近藤 注)」に間違いなく該当する。 ◇ この本は、家族制度、社会制度を根本的に変革しようとするものである。国の基本計画(第2次)では、社会制度・慣行の見直しを行う際には、社会的な合意を得ながら進める必要がある。「判断基準A(近藤 注)」家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる。「判断基準C(近藤 注)」 となっているが、この本の主張は、社会制度・慣行の見直しではなく、まさに変革(革命)であり、家族の否定そのものである。なぜ、県はこのような本を所持し県民に閲覧提供するのか理解出来ない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.09 07:19:38
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