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カテゴリ:ジェンダー(ジェンダーフリー)批判
「子ども手当」は育児支援でも少子化対策でもない」
背後にあるのは、常識では理解できないイデオロギー 『明日への選択』11月号より 民主党政権の看板政策「子ども手当」。大金持ちの子供にも、貧しい家庭の子供にも、等しく月額2万6千円を中学卒業まで一律に支給する。それに必要な財源の一部は、扶養控除と配偶者控除を廃止して得られる税収を充てる――。これが民主党政権が掲げる「子ども手当」の骨子だ。 「子ども手当」については、所得制限を設けるべきだとする異論が政権内にあるほか、控除廃止で負担増となる家庭が出てきて不公平だという批判もある。しかし、「子ども手当」をめぐる問題は、そうした損得勘定の次元に止まるものではない。 ◆普遍的な手当の狙いは「子育ての社会化」 ここで指摘したいのは、「子ども手当」の政策理念に対する疑問である。「子ども手当」の注目すべき特徴は、親の所得制限のない「普遍的な手当」であるという点にある。仮に「子ども手当」の目的が育児支援や少子化対策にあるとすれば、一定の所得制限を設けても不都合はないはずだ。敢えて所得制限を設けないとするのは、そこに何らかのイデオロギー(理念)が潜んでいるからであろう。 それを理解する重要な手がかりとなるのが、民主党の『未来世代応援政策―育ち・育む○応援○プラン』(平成十八年)である。この政策文書は「子ども手当」の趣旨を「チルドレン・ファースト(子ども第一)」とした上で、その理念を「子育て世帯の経済的負担を軽減するという以上に、子どもが育つための基礎的な費用を保障するためです」と説く。すなわち、「子ども手当」の狙いは、「家族の経済的負担の軽減」よりも「子供の基礎的な費用の保障」にある。ここに窺えるのは、家族ではなく国が子供の最低生活を保障すべきだという社会主義的な発想だと言えよう。 この文書を読んで記者が想起したのは大沢真理著『男女共同参画社会をつくる』(十四年出版)である。後ほど述べるように、大沢氏は小宮山洋子議員とは密接な関わりを有するが、この著書には「子ども手当」と良く似た提言が存在するからだ。 同著の中で大沢氏は「普遍的な児童手当と子育て支援を」と題して述べている。「児童の最低生活を、親の所得による支給制限なしの児童手当によって保障するよう提言する。これにともなって所得税の扶養控除、母子世帯等にたいする児童扶養手当…は廃止する」と。 注目されるのは、所得制限のない「普遍的な児童手当」の趣旨についての大沢氏の次の解説である。 「普遍的児童手当の趣旨は、親にたいする出産奨励や育児支援ではない。というのも、まず、国家は児童労働を禁止し義務教育制度をとって児童の稼働機会を閉ざしているのだから、児童にたいして補償すべきである。しかも、児童は健やかに育ち教育を身につけることによって、将来の社会の担い手となる。次世代の成長と社会の持続可能性が、現在の生産年齢人口の全員にとって肝要な関心事であることを、普遍的な児童手当は制度として表現する」 つまり、中学卒業までの「普遍的な手当」は、子供から労働機会を奪っていることに対する国家の「補償」であると同時に、「次世代の成長と社会の持続可能性」への社会の関心の証であって、少子化対策でもなければ育児支援ですらないと言うわけだ。かつてマルクスやエンゲルスは、家族の廃止を展望して子供の養育を家族から社会の手に移す必要があると唱えたが、大沢氏の提言に共産主義的な意味での「子育ての社会化」の意図を指摘するのは穿ちすぎだろうか。少なくともここには、子供を育む場として家庭、あるいは子供が健やかに育つために大切な母性や親子の絆への配慮といった視線は微塵も感じられない。 民主党のマニフェストに「子ども手当」が登場するのは平成十六年の参院選からだ。大沢氏の著書が、その二年前に出されたことを考えると、「子ども手当」のネタ元は大沢氏と考えることは決して根拠のないことではなかろう。事実、大沢氏は小宮山議員が民主党男女共同参画推進本部長代理だった十八年、同党男女共同参画オンブッド会議座長として報告書をまとめているが、その中で前出の『未来世代応援政策』を「斬新である」と讃えている。 こうした事実を踏まえると、「子ども手当」の背後には、家族擁護とは全く逆のイデオロギーが潜んでいるように思われてならない。(日本政策研究センター研究部長 小坂実) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.28 14:15:08
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