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テーマ:今日聴いた音楽(74036)
カテゴリ:心に花を
小椋佳のベスト・アルバムを借りて聞きました。
先日読売新聞でインタビューが取り上げられていたのが、きっかけです。ニューアルバム「夢歌詩(むかし)」が発売されたことを受けてのものです。 彼の歌は、大切に、日本語を扱っている感じが伝わってきて、きれいだと思っていました。先日の読売新聞のインタビューでも、最近の歌は日本語が乱れてきていることを嘆いていて、彼にとって「真剣な遊び」である歌を発表したい旨を答えていたと記憶しています。 「夢芝居」は、私の好きな歌でしたが、CMで使われた「さらば青春」(過ぎ去っていくものへの諦念)や、美空ひばりが歌った「愛燦燦(さんさん)」をちゃんと聞いたことがありませんでした。 インタビューで、「愛燦燦」を歌った美空ひばりに触れて、彼女は、歌をまるで自分のことのような形で歌うことで、歌にリアリティを持たせる偉大な歌手だったとコメントしていたと記憶しています。 彼の歌は、一見フォークっぽく歌謡曲のようで、古めかしく感じるかもしれません。 しかし、しっとりした声で、人生の機敏に触れた美しい歌詞を聞いていると、言葉のもつ力に惹かれます。 小椋さんは、最近は、日本語と英語での「夢」が、「将来の目標」の意味と同時に、「夜見る」夢と、2つの意味を持っていることに関心を持っているそうです。 小椋さんが語る夢歌詩 (引用) 「こうありたい、こう望みたい、そんな思いである昼の夢にしても、自分の中の何によって形作られているかといえば、根っこは無意識世界から来ていて。それに意識的世界が若干加担して作られているわけです。ですからやっぱり昼の夢も、大切に思って、あきらめることなく育てていきたいですね」 (引用終わり) 夜の夢も、昼の夢も、無意識でつながっている指摘にはっとさせられます。 また、彼も夢追い人ですね。イタリア人のブルネッロ・クッチネッリ氏、ブラジルのパオロ・コリーニ氏と共に、「やっぱり昼の夢も大切に思って、あきらめることなく育てていきたい」というのは、いい言葉だと思いました。 ブルネッロ・クッチネリ パウロ・コエーリョのアルケミスト 自分にとっては、歌詞という観点で、全くタイプは全然違いますが、井上陽水と同じぐらい気になるシング・アンド・ソング・ライターです。 PS:俗な話ですが、カラオケで「夢芝居」を歌うと、どの年齢層からも受けがいいのでお薦め(歌詞そのものがよいことと、テンポがよいことが要因でしょうか?)。今度は、「愛燦燦」をチャレンジしたいです。 <歌詞についてのメモ> (1)「夢芝居」 「恋のからくり夢芝居 台詞ひとつ 忘れもしない 誰の筋書き 花舞台 行く先の影は見えない 男と女あやつりつられ 細い絆の糸引き引かれ 稽古不足は幕は待たない 恋はいつでも初舞台 (以下略)」 (2)「さらば青春」 「僕は呼びかけはしない 遠く過ぎ去るものに 僕は呼びかけはしない かたわらを行くものさえ 見るがいい 黒い水が抱き込むように 流れてく 少女よ 泣くのはお止め 風も木も川も土も みんな みんな たわむれの口笛を吹く (以下、略)」 (3)「愛燦燦」 「(中略) 愛 燦々と この身に降って 心秘そかな嬉し涙を 流したりして 人はかわいい かわいいものですね ああ 過去たちは 優しく睫毛に憩う 人生って 不思議なものですね ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月14日 08時35分17秒
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