国鉄旧型客車:高崎線 普通列車
国鉄旧型客車:高崎線 普通列車地元で鉄道写真を撮り始めた昭和48年頃~53・10改正くらいの時代、高崎線客車列車の記憶というのは殆どないのですが、時刻表によると昭和53年10月改正まで、上下2往復の客車列車が設定されていたようです。53・10以降は朝の下りと夜の上りの1往復になってしまいます。昭和50年頃 蕨~西川口 高崎線 上り普通列車 2322レ当時の記録は全くありませんので、編成と時間帯からの推測になります。EF58が牽引する客車列車で、次位からマニ37+オユ10(非冷房)と続き、10系客車ばかりが連なった編成です。今でも目玉列車が走ると賑わうことがある自転車橋。この区間の西側は線路に沿って幅2mくらいの水路があり、線路との間には柵もありませんでした。この写真では、それまでは設置されていなかった有刺鉄線の簡易な柵が設けられ、川にはドロが投げられているようです。沿線の道路に下水道が整備され、雨水の排水路としての機能が不要となったため、この後徐々に埋められていくことになります。そして埋め立てられた水路は拡幅の道路用地となり、現在の姿に変わりました。短命であった10系客車とともに、失われた過去の光景です。昭和53年頃 蕨~西川口間にて EF5886牽引 高崎線 2322レ上の写真と同じ列車のようですが、10系客車だらけだった客車は先輩の古い客車だらけになってしまいました。カマの次位にはマニ37とオユ10?が連なっており、昼間の郵便対応を行っていたようです。昭和57年8月 大宮駅 EF58175牽引 下り 2321レ大宮駅8番線に到着した高崎行きの客車普通列車。早朝に設定されていた下り普通列車で、115系化直前は12系に置き換えられてしまったようです。この列車、早朝に上野駅を発車しますが、次々と名前を変え、最終的にはその日のうちに信越本線経由で新潟駅まで到達していました。最後まで客車列車で残っていたのは、信越本線系統の郵便輸送を担っていたためと思われます。昭和53年10月以降は1往復だけ残っていた高崎線の客車列車ですが、上越新幹線大宮暫定開業の昭和57年11月改正で115系化されてしまいました。