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2006年12月05日
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カテゴリ:朝倉遺跡あれこれ

庭園を取り囲むように配置された接客施設跡     常御殿など北東部の建物跡
主殿など接客用施設のある南東部     常御殿を中心とした北東部

東山麓にある義景館跡は朝倉氏最後の城主、第5代義景の館跡です。義景館跡は、建物配置や間取りが分かるほど良い状態で礎石群が残っており、戦国時代第一級の資料として関係者の注目を集めています。義景館跡とされる根拠は、館の外堀から義景時代の永禄年号が入った木簡が出土したことや、義景館の東北に南陽寺が存在したという「朝倉始末記」の記述に符号していることにあるようです。

同館跡は谷幅が最も広くなる所に位置し、背後の山には山城が存在します。館跡の広さはほぼ80m四方、三方には高さ1~4.5mの土塁を廻し、その外側には上幅約8m、深さ約3mの濠を巡らしています。門は西側の正門のほかに南と北にそれぞれ1ヶ所、館内には建物16 ~17棟の礎石跡が残っています。主殿など公に使う接客用施設は東南部に、城主が普段使う常御殿や台所など日常生活施設はその北側に、警護施設や射場は正門西側に配置され、大部分の建物は廊下でつながっていたと考えられています。正門のある西側土塁の両隅には隅櫓、南門付近の武者溜には武器庫を兼ねる石畳の蔵もあったようです。厩は館北側の土塁の近いところに2ヶ所(7間厩と5間厩)あり、馬の尿は溝などを通って自然に外堀に排泄されるようになっています。ちなみに西側正門にある「唐門」は朝倉時代の遺構ではありませんので参考まで(11月29日の日記参照






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最終更新日  2006年12月05日 22時52分52秒
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