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2006年12月07日
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カテゴリ:朝倉遺跡あれこれ

朝倉遺跡の義景館跡は、建物配置や間取りが分かるほど良い状態で礎石群が残っており、戦国時代の貴重な遺跡として関係者の注目を集めています。とはいえ、日常生活に欠かせないトイレの遺構がまだ確認されていません。義景館跡の謎とされています。当時の貴族は「清箱」(しのはこ)に用をたすのが常識だったともいわれていることから、清箱という、今でいうオマルを使っていたとみるむきもありますが、一方では「当時の義景館にもトイレはあった」との見方も根強く、今後の確認調査に期待を寄せる声もあります。

もっとも、それらしいものは発掘されているようです。同館跡常御殿の東北隅で発掘された石積をトイレと考えるむきもあります。また同館跡内ではないのですが、義景の母の屋敷と伝えられる「中の御殿跡」でも、トイレとみられる石積が発掘されているようです。それも、尿が雨水と一緒に館の外へ流れ出る、水洗便所を想定させるようなものらしい。ただ、これらの石積については、ゴミ溜説など石積がトイレと言い切れない事例も若干あるため、トイレと断定するには至っていないようです。

ところで、義景館跡ではトイレの遺構が確認されていないものの、城下町全体でみると、それらしい石積が数百基確認されているといわれ、トイレはかなり普及していたと考えられています。それらの石積が戦国時代のトイレと確認される決め手となったのは、城下町内で発見された「金隠し」です。「金隠し」とは和式トイレの前部に必ずついているあれで、昭和55年(1980)、武家屋敷や小さな町屋などの建物跡が残る奥間野地区の一角で発見されました。

このように見ていくと、「当時の義景館にもトイレがあった」と考える関係者の思いが理解できます。城下町全体でトイレがかなり普及していたと考えられていることからも、当時の義景館にもトイレがあった考えるほうが的を得ているようにもみえます。例えトイレが存在していたとしても、既に破壊されていることも考えられますが、同館跡遺構の保存状態がよいことから、当時のトイレが残されている可能性も高いわけで、今後の確認調査に期待を寄せたいものです。






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最終更新日  2006年12月07日 10時21分52秒
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