大和物語 百二十
【本文】太政大臣、大臣になり給てとしごろおはするに、枇杷の大臣は、えなり給はでありわたりけるを、つひに大臣になりたまひにけるおほむよろこびに、太政大臣、梅を折りてかざし給て、をそくとく つゐに咲きける 梅の花 たが植へ置きし 種にかあるらんとありけり。【注】・太政大臣=藤原忠平。・枇杷の大臣=藤原仲平。忠平の弟。・かざす=(ここでは手紙の)飾りにする。・種=植物のたね。人の子孫。【訳】太政大臣、藤原忠平様が、大臣におなりになってから、もう何年にもおなりになるのに、枇杷の大臣、藤原仲平様は、大臣になることがおできにならずにずっと過ごしていらっしゃったが、とうとう大臣におなりになったお祝いに、太政大臣が、梅を折りて飾りになさってそれに結びつけてお送りになった歌、遅かったのと、速かったのと、いずれにしても、結果的には咲いた梅の花、いったい誰が植えて置いた種なのだろうか(二人とも、ほかならぬ父上基経さまの子だ)と書いてあったとさ。【本文】その日のことどもを歌などかきて斎宮にたてまつり給とて、三条の右の大殿の女御、やがてこれにかきつけたまひける、いかでかく としぎりもせぬ 種もがな あれゆく庭の かげとたのまむとありけり。その御返し、斎宮よりありけり。わすれにけり。【注】・斎宮=宇多天皇の皇女、柔子内親王。・三条の右の大殿の女御=藤原定方(三条右大臣)のむすめ仁善子。・としぎり=果樹が実を結ばない年があること。【訳】その日の出来事などを、手紙に歌など書いて斎宮に差し上げなさるというので、三条の右の大殿の女御、仁善子様が、そのままこれに書きつけなさった歌、なんとかして、こんなふうに、年によって実を結ばないようなことが無い種があればいいのになあ、そうすれば、荒れていく庭の恵みと当てにしようものを。と書いてあったとさ。その返歌が、斎宮様から、あったとさ。けれどもその歌は忘れてしまったとさ。【本文】かくてねがひ給けるかひありて、左のおとど中納言わたり住みたまひければ、種みなひろごり給て、かげおほくなりにけり。さりけるに斎宮より、はなざかり 春はみにこむ 年切も せずといふ種は おひぬとか聞く【注】・左のおとど=藤原実頼。忠平の子。中納言在任は(九三四……九三九年)。醍醐天皇の没後、その女御、仁善子と結婚した。【訳】こうして、願をおかけになった、その甲斐あって、左大臣になられた中納言藤原実頼様も、仁善子様とお屋敷に来てお暮らしになったので、基経様のご一門は、みな、まいた種から芽が出て葉が広がるように立派に成長なさって、繁栄なさったとさ。そんなふうだったので、斎宮様から送ってきた歌、花が盛りを迎える春が、私どもの身に、やって来るだろう、実を結ばない年がないという種は芽生えたとか聞きましたから。