カテゴリ:空手
新年早々、ツイッターで昔所属していた極真会館時代の師範と出会う事が出来て感激のみけマンマです。 みけマンマ、もともとは浜松で極真に出会いました。 まあ、何回もブログに書いてますけど「天下一品」のラーメンに釣られて入門した女です。 当時あった天下一品の隣にあった道場は今はもうありませんが、初めて見学しに行った時の事は今でもよく覚えていますね。 I垣先生がちょうど指導をしていて、入り口のところで見学させてもらってたんですが、大の大人がスパーリングで入り口のところまで吹っ飛んで来てましたね(爆)
そのぐらい当時はほんまに激しかったです。 みけマンマは緑色のTシャツで、 胸にニワトリが卵産んでる絵柄のTシャツ着てまして(しかもGood morningって書いてあった)、マジで弱そうでした(核爆) 一体どんなセンスしてるんでしょうか…。 とにかく分けも分からずやってましたね。
西遠東三河支部という支部は範囲が結構広くて、静岡の西から愛知県の東側までをカバーしていましたので、旦那の転勤で浜松から岡崎に引っ越してきても、同じ所属で空手をする事が出来ました。 支部長のI黒先生はほんまにいい先生で、わがまま言い放題のみけマンマを怒る事無く、妊娠しても出産しても空手を辞めさせる事なく続けさせてくれました。 ユーコを妊娠した時は、まだ安定期でもないのに
型試合に出る
って言ってきかなくてですね~~(汗)先生たちを困らせました。 選手権大会で負けた時は、その足で先生の所に行って 「勝ちたいから試合を作ってくれ」 とお願いしましたし(汗) よっぽど悔しかったんでしょうね。試合数が少ないなら、試合を増やしてくれって直談判に行ったんですよ。 I黒先生は 「そうだね~~~、試合したいよね~~女子は試合が少ないからね~~。」 で、2ヵ月後に本当に支部内で新しい大会を作ってくれまして。 その試合でみけマンマは帯上の先輩たちを破って初優勝しました。 それからみけマンマ、試合に勝てるようになったんですよね。 I黒先生は大山総裁の最後の内弟子、という事で、内弟子さんならではの訓辞も多かったです。 みけマンマの極真スピリットの原点は、このI黒先生と言っても過言ではありません。 当時はなんだかよく分からないけど、ええ事言ってるわぁ~と思って聞いていましたけど、今になってその言葉の重みをしみじみ感じますね。 いい道場に入門したと思います。 だから、最初は西遠東三河支部を引越しで去らなくてはいけなくなった時は凹みましたよ。 お別れ会を所属していた東三河の道場で開いて頂いた時は、みんなの前で「ここで黒帯を取りたかった」と号泣しましたもんね…(遠い目) 確かチーコを出産して2ヶ月もたたないぐらいで昇級試験も受けさせてもらいました。 とにかく、引越しして他支部に移籍したら、すぐには昇級審査は受けさせてもらえないかもしれなくて苦労するかもしれない、とみんな心配してくれまして。 何とか帯だけ茶帯にあげて移籍させたい、という事で強引に昇級審査を受けました。 産後の肥立ちもへったくれも無い状態で逆立ち審査などの体力審査も連続組み手もやって、茶帯をもらって現在の道場に移籍していきました。 だから、移籍先の道場が極真会館から脱退する、となった時はマジで
もうみんなに会えなくなる
と泣きましたよ。旦那にも 「もう一緒に稽古とかでけへんの?」 と聞くと 「もう出来ん」 と返答。 以後しばらくはみけマンマの道場は様々なパワーバランスの中で迷走する事となります。
が。
3年前。道場は極真館として出発。この出来事がみけマンマの人生を本当に変えました。 H支部長の元でしごきにしごかれて(爆)全日本初優勝。以後、全日本を3連覇し、世界大会でロシア人と戦い、アジア大会で3位になる…。 人生、ヤッパリ運命に抗ってはいけませんね。 いい人にいっぱい出会えて、今の自分があるんだとホントに思います。
神様は信じてないけど、もしいたら感謝しておきます。
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