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2023.08.19
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カテゴリ:旅行
今年と同じ干支だった兎年の2011年に、
リバーサルフィルムを詰めたコンタックスT3を携えて、
地元の諏訪から長野駅へ向かい、
そこから長野電鉄に乗り換えたのは、
屋代線が廃止になる前に乗って見たかったからだ。

それ以前に、群馬に出張した帰りに滅多に来られないと思い、
難所だった横川ー軽井沢間にある有名な碓氷峠の眼鏡橋を眺めて、
1997年に廃止となった信越本線の、
まだ現役そのままのような鉄道設備が残されている碓氷線も見てきた。


地元の諏訪にも国鉄北山線/通称で諏訪鉄山鉄道という路線が昔あった。
正式には”日本鋼管鉱業諏訪鉱業所専用側線”と言い、
人を乗せない鉱石運搬専用の鉄道だった。

昭和15年にアメリカの屑鉄対日禁輸に始まり、
昭和16年からの太平洋戦争によりアジア圏の鉄鉱資源が途絶えていた日本は、
戦前には釜石と倶知安の2か所くらいしか目ぼしい鉄鉱山が無く、
中国の満州と国内の低質鉄鉱石を活用せざるを得なくなった。


諏訪鉄山の元を辿ると、
明治12年に柳沢幸助氏らが石遊場(いしやすば)で赤油岩なるものを発見し、
それを内務省で分析した事により酸化鉄が確認されたのが始まりらしい。

やがて諏訪鉄山は日中戦争勃発の昭和12年に、
日本鋼管(現JFEエンジニアリング)により本格的な採掘を開始した。

この年は日本で4つの鉄鉱山が開発されただけだったのに、
その後の昭和13年以降になると2桁に増え昭和18年以降は3桁となり、
ピークの昭和19年には147の鉄鉱山が日本で開発された。

これを見ても、割と初期に開発された諏訪鉄山は、
品位が45%未満の褐鉄鉱とはいえ国内では高品位な方だったと見える。

利点は蓼科湖の東南1Kmにあり露天掘りで採掘ができた上に、
鉱床自体がかなり豊富だったのだろう。
その鉱石自体は石遊場に酸化還元の為に簡易焼却炉を20基設置して、
品位を45%以上に上げていたらしい。


その石遊場には鉱石を保管する為の600tの貯鉱槽があり、
別に渋川南岸段丘崖に2000tの貯鉱槽1基を設置して、
明治鉱床から石遊場への (全長22.9 Km)と、
石遊場からトラック基地の花蒔(はなまき)への (全長4.6Km) に、
鉱石輸送用のバケットを設け索道と呼ばれたロープウエイを設置して運ばれ、
やがて採掘量の増加に伴い複線化される事になる。

北八ヶ岳産の鉄鉱石は空中を40分ほど掛けて、
鉄山から花蒔まで運ばれていたのだ。


昭和18年には鉄道省東京鉄道局茅野自動車区貨物自動車路線、
通称で”国鉄北山線”を開設するも運搬が追いつかなくなり、
軍需省が日本鋼管に鉄道敷設を依頼し運輸通信省が鉄道事業を受託する。

学徒動員と勤労奉仕で戦時中の昭和19年1月に着工し、
10月には花蒔<ー>茅野駅間を開業させるという突貫工事で完成。
そこで鉄鉱石を専用で運んでいた鉄道が”諏訪鉄山鉄道”だ。


所が、元から中央線の輸送能力が貧弱だったのと、
京浜地区の戦禍で貨物輸送が混乱を極め、
既に計画通りに川崎への送鉱は出来ない状態になってしまい、
加えて地方都市にも空襲が及ぶと鉱石輸送はストップ。

軍部は、”諏訪地方決戦製鉄設備急設要項”なるものを策定すると、
山梨の日本電化工業日下部工場で銑鉄と化学肥料の生産を目論むも終戦。


戦前の最盛期と思われる、
昭和19年8月の諏訪鉄山の鉱山労働者は1639名に及んでいた。
鉱山部門の人員は作業工員が328名で徴用工が221名に加えて臨時工が69名。
建設部門の人員は作業工員が339名で徴用工は682名。

徴用工の内訳は諏訪地域で兵役に関わっていなかった700名と、
朝鮮半島の出身者が200名だった。

更に立命館の大学生が20名と、
地元の旧制諏訪中の4年生100名という学生達が、
勤労奉仕隊として動員されていて、
石遊場にある品位を上げるための鉱石焼結炉に2交代で従事。

他にも連合国(米・英・蘭)の捕虜250名も、
近くの収容所から採掘作業に関わっていた。

戦後の9月10日になると、
朝鮮半島出身者と連合軍の捕虜は、
本国への帰還の為に博多と横浜へ移動していった。


戦後まもなくは鉱石の採掘は一旦中止。
昭和22年になると日本鋼管は国内の鉄材不足を補う為にレールを撤去。
諏訪鉄山鉄道はたったの3年で廃線になった。

その後、諏訪鉄山を管理していた日本鋼管鉱業諏訪鉱業所所長の高野太治郎氏が、
新たに諏訪鉱業開発株式会社を立ち上げて鉄鉱石の採掘再開は昭和24年だった。

同じ昭和24年に鉄山の鉄路跡地は無償で払い下げられ、
地元では北山鉄道として復活を試みるもとん挫。

昭和36年以降はビーナスラインとして自動車道開発がされ、
当初は有料道路だったのが解放されて、
今では元鉄路らしい花蒔から先の開けた道路は主要な観光道路として、
県の内外から訪れた人達にも親しまれている。


諏訪鉄山の産出量は昭和25年の朝鮮戦争の煽りでピークでは年に5万tに達し、
概ね年に2~4万tを日本鋼管の川崎製鉄所に送られていた。
それは鉄を脆くする燐を除去する為に石灰を使ったトーマス転炉用であり、
全産出鉱量は120万tであった。

因みに昭和27年の出鉱量は3万tで、
鉱石は鉄52%、燐2.7%、硫黄2.3%、水分23%の品位だった。
トーマス転炉による燐が石灰と珪酸と結びついたものをカラミと呼ばれ、
それはトーマス燐肥として肥料として用いられる事もあった。


諏訪鉱業開発はピークだった昭和31年には150名の従業員数を数えて、
岐阜、青森、秋田にあった低品位鉱山にまで関わったものの、
昭和28年以降は安価で高品質の輸入鉄鉱石により規模を縮小。

付近の観光開発が進んだ昭和40年になると、
諏訪鉄山の閉山と共に全ての鉱山は閉鎖された。


今でもありがたい事に諏訪鉄山鉄道は茅野駅構内の東側に、
貴重な文化遺産として錆ついた線路で往時の痕跡を残してくれている。

それに鉄路の軌跡そのものであるビーナスラインの花蒔方面から、
駅に近づくとファミレスの先の交差点付近を左折した辺りから茅野駅に至る、
緩いカーブの引き込み線のラインまで今でもなぞる事が可能だ。

それに加えて、茅野駅東側ロータリーに展示されている、
当時は鉄鉱石の運搬に使われていた予備機のC12機関車が展示され、
諏訪鉄山鉄道は往時の記憶を留めてくれている。


他に長野県内の主な廃線を拾ってみると、
1959年の草津軽井沢鉄道の廃線に始まり、
1962年の上田丸子鉄道の西丸子線に続き、
1963年には松本電鉄の浅間線廃線。

1968年には上田丸子電鉄の大規模な廃線が実施され、
善光寺白馬電鉄も廃線となった。
1971年には上田交通の菅原鹿沢線が廃止。

これらの廃線は、
自家用車の普及とバス事業の台頭が主な原因だった。

更に21世紀なっても長野電鉄の河東線が2002年に廃線になり、
続いて2011年に冒頭の屋代線が廃線となっている。


今は無い廃線には現用鉄道とは違う、
郷愁を伴った何とも言えない甘美な魅力があって興味が尽きない。

信越本線の見事な眼鏡橋を眺めた時には、
その付近は元鉄路も含めて綺麗な遊歩道へと整備されていて、
何というか鉄道の遺構という感覚は希薄だった。

そこから近い場所にある近代的な碓井線に立った時には、
まだ現行の鉄路のような綺麗な架線とかバラストに驚いて、
古びた感じが全くないレールを触って見たりしていた。

この時は単純に現用の鉄道施設に足を踏み入れてしまったような後ろめたさと、
暗いトンネルの向こう側からは列車がこちらに向かっていて、
今にも突進して来ているんじゃないかという恐怖心まで感じていた。

個人的に廃線旅というのは現地に行くまでもなく、
遊歩道としてキチンと整備されていたり、まだ生々しい痕跡を眺めるよりも、
茅野の鉄山鉄道のように、現代の生活に埋もれて淡い痕跡を留めている位の廃線跡を、
当時の資料を読んだり眺めながらアレコレと思い浮かべている方が性に合っている。

何より鉄道本は下手な小説よりも読み物として面白い。


手元にある最初の一冊は”しなの鉄道むかし話”。
長野県に於ける計画で終わったものまで含めたダイジェスト版で、
この1冊があれば往時に於ける信濃の鉄道事情の概略が分かる。


こちらは地元の新聞社が監修した鉄道資料としては一級のもので、
長野県の鉄道に関して貴重な資料となってくれる。
特に上巻は廃線ファンには必携で、
待望のリニューアル復刊というのが何ともありがたい。


左の本は上田電鉄の別所温泉駅で入手したもので、
ここで購入するとオマケに付いてくる別所線開業100周年のポストカードが嬉しい。
廃線になった上田丸子線に関わる部分も豊富で興味深い。

右側は草軽電鉄の本だけど、
今でも路線と形を変えて軽井沢の町中を、
路面電車として走っていたら良いのになと思う。


長野県は長野新潟間の信越本線が第三セクターになったり、
大糸線と小海線が赤字続きという状況になっている。

どれも個人的には大好きな路線で、
いきなり廃線は無いと思うけど少し心配している。





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最終更新日  2023.11.09 10:50:00
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