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2023.09.16
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カテゴリ:時計
8日巻きの時計から発展した、
一回の巻き上げで殆ど1か月動き続ける30日巻きの柱時計は、
当時、最先端の高性能クロックとして瞬く間に一般家庭に普及していった。

他にも愛知や明治などの掛時計製造の大手も販売していた割に、
今見られるのは殆どがセイコー製というのを見ても、
同社の製品が量産に適して価格も含めて良い出来だったという事だろう。

昭和40~50年代までの電池時計が台頭してくる前は、
これが一般家庭における最高の柱時計であり、
大概は玄関かリビングに掛けられていて、
家中に時刻の告知をしていた。


最初の印象に残っている30日巻きと言えば、
親戚の酒屋さんの帳場にあった時計だ。

掛時計と言えば茶色の木で出来た古い8日巻きしか知らない身には、
角ばって艶のある木目模様のプリント合板が外装に使われ、
日付と曜日の表示まで付いている最新時計は、
新しい時代を感じさせて何ともカッコ良く見えたのを覚えている。

そういう30日巻きは酒屋に限らず、
商いをしている場所では必ずと言って良い程見掛けた時計で、
馴染みの駄菓子屋、八百屋、床屋などでは、
表に向かって良く見える所にぶら下がって稼働していた。

そのお陰で時計を持っていない子供達は、
時々店外から窓越しに30日巻きの顔を覗いて、
外で遊んでいても時刻を知る事が出来たのだ。

また、そういう店頭の30日巻きは、
必ずテレビやラジオで正確な時刻に合わせてあるので、
大人達も出先で自分の腕時計のズレを確認をしていたのを覚えている。

それでも、やがて電池で動く時計が安くなって出回り始めて、
そいつが30日巻きと入れ替わって同じ場所に掛け変えられたのだけど、
壁や柱には元30日巻きの白く抜けた痕跡が残っていた。

それを見た自分は、
ついにネジ巻きが要らない電池で動く正確な時計が出てきたかと、
更なる新時代の到来を無邪気に喜んでいたのだ。


あれから何十年も経ってから、
ある日、鳥取の骨董屋さんで今まで殆ど興味が無かった、
セイコーの30日巻き時計を見掛けた。

それは余り日の当たらない場所で使われていたのか、
当時のイメージそのままの綺麗な外観を保っていて、
そいつを眺めていたら、なぜか子供の頃の昭和を思い出し、
何とも言えない懐かしさで一杯になった。

そのきっかけになったのが30日巻きに使われている
当時の先端素材だった表面が硬いプラスチックのような木目の合板だ。

この時に思い出したのは同じ様な素材で作られた、
タンスとかコンソール型のステレオセットなどが、
30日巻きと共に現役で使われていた昭和の景色。

あの頃の日本は公害とかオイルショックがあったとはいえ、
今と違い活気があって明るい未来がまだ見えていた。

機械式の掛時計に興味を持ってからは、
ずっと無垢の木で出来た時計しか見て来なかったのに、
改めてプリント合板で出来た昭和の30日巻きだって、
良い時計だなと見直したのである。


その骨董屋さんで見掛けた個体はピカピカだったけど
あの時代には最先端で輝いていた30日巻きは、
今では落ちぶれてしまい相場もかなり安い。

後日、別送で家に届いた30日巻きは、
さっそく動かして見たのだけど実用には及ばず、
そのまま掛かりつけの時計屋さんへオーバーホールに出す事になった。

主治医の時計屋さんによれば、
元々30日巻きはゼンマイが蓄えているパワーが大きい上に、
この頃のセイコーは地板が柔らかいので、
それにまつわるトラブルが多いとの事。


どうもピカピカの外観とは裏腹で大分酷使されていたらしい。
やはり、2つある強力なゼンマイ軸のパワーに耐えられず、
中心軸が相当ずれてしまっているので、
かなり前からマトモに動く状態ではなかっただろうと診断された。

今では気を使って保管状態の時はゼンマイを使い切り、
時々動かす場合は余り巻き上げない様にしている。

表面が硬くて手入れも簡単だった当時の最先端素材は、
今時の細い繊維で紙のようなパーチクルボードに、
薄っぺらいシートを貼ったものより頑丈なのは間違いない。


鍵穴の脇にある赤いインジケーターは、
ゼンマイのパワー状態を表示するものだ。

ゼンマイをキッチリ最後まで巻き上げると青に変わり、
やがてゼンマイが緩んでくると白になり、
最後には赤へと変化する凝ったものだ。

基本的な使い方としては、
インジケーターが赤になったら巻き上げをする。

歳を取ってから今まで顧みなかった、
プリント合板で出来た30日巻きを改めて眺めてみると、
こいつは当時の一般家庭の中では相応の地位を持った、
大切な耐久消費財だったのだなと理解出来る。


この30日巻きを、
時々ゼンマイを緩めに巻いて稼働してみる。

そうするとTVからはその年を代表する歌謡曲などがバンバン流れ、
ドリフやウルトラマンとか仮面ライダーが活躍していて、
日本中が元気で活気があった頃の昭和が蘇えってくる。

時代を知る者にとってセイコーの30日巻きは、
あの頃に友達と味わった駄菓子の色とか味とか匂い、
銀玉や紙火薬を使った玩具の手触りとか音とか匂いまでを、
振り子や時報の音と共に開放してくれるタイムカプセルなのである。



追記:上記の30日巻きを始め、このブログでも取り上げてきた、
家中のあらゆる古時計のオーバーホールをお願いしていた、
諏訪というより日本でも特Aクラスの時計修理工房だった、
”平賀時計店”の主人である平賀名人が先日亡くなってしまった。

誠実で間違いのない仕事のレベルは極めて高く、
時々工房へ顔を出す度に珍しい時計が入庫していたのは、
その道のプロも含めた県の内外から多くの依頼があったからである。

持ち込まれたのは、小さな腕時計から大きな掛時計に至り、
電池式やクオーツまで古いのから新しいものまで色んな時計を相手にして、
これは無理かもしれないというものを直してしまう圧倒的な技術とノウハウ。

多少仕事で時計に関わった目から見ても、
個人的には平賀さん以上のマルチで一級の時計職人を他には知らない。

これからまだ十年は余裕で頑張ってくれるだろうと思っていて、
工房に伺う度に色々と時計に纏わるお話を伺える事を楽しみにしていたのに、
言葉にならない位に残念で仕方がない。

心よりご冥福をお祈りします。





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最終更新日  2023.09.16 19:30:11
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