歌
私の幼少時代は、ひたすら、何か、修練に励んでいた時期であった。多分、私の縁が深い女性、彼女から、私は、厳しく歌を歌うことを教えられた。その歌は、時代遅れな感じがする、男性の声を際立たせる、低音を特に、丁寧に歌えなければ、ならないので、声変わりしてない、私には、とても大変なことであった。 しかし、世の中では、そういう時代に乗り遅れた感じの、技術を疎む傾向にあった。人間とは、適応することで、その力を最大限に発揮できるのである。歩みを止めたら、そこで、終る。私には、他にやるべきことが見えていた。しかし、それを言葉にすることはできなかった。そんなある日、彼女に出会った。今、という時代に生きる人間の心を、常に形にするのが、歌である。 …彼女の世界は、物憂げで、儚く終る。けれど、人々の心は、そこにあるのだと、私は思った。私の歌を、水面に投げ掛けて、そこに、一つの幻が浮かんだ。幼い私よりも、少し大人の彼女は、私の声を私だとは気づかなかった。喉が痛む。少し、無理をしてしまった。でも、やらなければ、彼女の心を繋ぎ留めることはできない。光あるところ、闇あり。彼女は、幻想の世界に囚われた。そして、私の存在は消えた。私という、真実を、常に存在していながら、世界は忘却していた。長い、長い、私の記憶。そこには、私の彼女に対する思いがある。彼女は、長い時間を経て、私の気持ちを理解してくれた。私は、自分という存在を、隠して生きてきた。だから、彼女の目を通して、私は、私という存在を改めて、いたのだと思い、回想してみた。 深い闇の底に、私はいる。私は、光の当たる世界に生まれ、人として生きるつもりであった。しかし、世の中が不条理にも、人間性を無碍にして、私という人間に対しても、否定していた時代。そこには、未来はなかった。未来を信じられない私は、あらゆる可能性に否定的で、心を閉ざしていた。だが、私の心の中で、人として、希望を信じて生きようとする、心が芽生えた。 私という人間の役割は、人から都合良く替わりのすぐあるような、使い捨てのものばかりであったが、彼女は、私という人間が、この世に一人しかいない、素晴らしい人間であることを教えてくれた。私の人生を、改めて思い返して、私という人間は、どれだけ頑張って、結果は出せずとも、周りの人間に思いやりと厳しさを併せ持って接してきたのを、私は知っている。私自身に対しても、私はそうありたいと、人からおかしくみえる行動でも、意味があることであると、今は、思える。 …彼女、幼い少女の心にも似ている人。自分の人生を、よりよく生きる為に、他人が押し付けた幻想を、一度は受け入れて、自由を得る機会を待っていた。もし、私の様に、頑なな心で、拒絶して、そこで、自分の人生を終えてしまえば、今、私はこうして、生きてはいないだろう。私が、私という存在を否定されて傷ついた時、都合良く、私の少女の様な心を利用しながら、それを隠す為に、押し付けられた男性性すらも、彼女は受け入れていた。私は、そこまで心が広くないので、彼女の器の大きさに、ただ圧倒されるだけである。かって昔は、男性の声で歌うのは嫌いであった。しかし、今は、その歌は、彼女が歌っているのだということを知っている。私は、その深い心と強さに敬服する。ただ、表面的なことだけでなく、内面までも理解し、今も、彼女は広い世界へと羽ばたこうとしている。私も、まだ、未来を見つめて、彼女が、私の心に投げ掛ける波紋を、どこまでも、いつまでも、眺めていたい。