(6) 2004年 6月2004年の6月から2003年分と並行して書き始めた日記ですが 記録性と読みやすさを考えてフリーページでは時系列に並べることにしました。(6) まえへ(5) つぎへ(7) 発病した年の暮れ 在籍していた会社から「復帰に及ばず」の知らせを受け それから半年あまり記録もつけない生活をしていましたから 2003年の12月から2004年の6月まで日記もとんでいます。 2004 6/14(月) 昨日までに気持ちの整理がほぼできていたので、今日はスッキリしている。shinはOTのリハビリ、子供たちは学校と我家の普通の週明けがスタート。 義母が「あ、今日で1年ね」と呟いたが、あまり深く話す自信が なかったので静かに頷く。 2004年 6/15(火) 梅雨の晴れ間が続き、お天気なのはありがたい。 久々に予定の無い日だが、義父のPCの先生が来る。 shinは昼食後、walkingに出る。 ついでに市民税の払い込みと書類のコピー、書店での買い物を頼む。 市民税は昨年8月より所得が無い状態なので、病前の一月分よりも少ない年額だった。(複雑な気分) メモして行ったこともあり3つの用事はすべてクリア。 こんな事ならスーパーの特売洗剤も頼めばよかったかな…と ちょっと欲が出る。 元気な人には何でもない事も、脳出血や交通事故等の後遺症から起こる高次脳機能障害がある人には、順番に何かを行ったり、その順番を覚えたりする事が困難な場合があり、shinもそれにあたる。 高次脳機能障害については、いずれまた。 2004 6/16(水) shinは午前中、昨年11月より通っている地区のリハビリ教室へ。いつもは午後からなのだが、今回はスポーツメニューらしく時間変更だとか。 昨日コピーし封筒の宛名書きをした書類を「配達記録」で出してもらう。この「配達記録」がなかなか覚えられないらしい。 書類のコピーや宛名書き、郵便局での投函は私がずっとやっていたが、少しずつshinに任せることにした。 「高次脳」は新しい事は苦手なのだが、何度か繰り返すうちに 行動パターンが定着していくらしいので、仮に失敗してもあ きらめずにチャレンジしてもらおうと思っている。 両親も外出するので、「お昼はリハの仲間の方と外食でもしたら…」と言っておいたのだが、汗をかきかき1時ごろ帰宅した。 2004 6/17(木) 退院後ずっとお薬は一包化にしてもらっていた。特に朝食後の薬は降圧剤を含め種類も量も多いので飲み忘れが恐く、一袋にまとめてもらっていたのだが、お薬の管理能力を高めるためにも、いつかキリの良いタイミングで一包化を止めてみようか・・・と話をする。 shinはまだ自信がないらしく、今後の課題となった。 2004 6/18(金) 2時がリハ科のK先生の診察予約だったが混んでいて、診察室へ入ったのは3時だった。 1ヶ月に1度の診察だが入院以来、丁寧に話を聞いて下さる先生です。 「昨年7/16の入院から、いろいろありましたが発病から1年経ちましたね。ここまで来てあせってこけても勿体無いから、 これからも社会復帰を目指してゆっくりがんばりましょう」と しみじみと言って下さった。 そうなのだ。先週のH病院の脳外の受診の際、患者の家族として聞きたかった言葉は、この、1年を振り返る言葉だったのかもしれない。 この1週間ずっとモヤモヤしていた気分がK先生のこの言葉ですっきりと晴れていった。 患者だけでなく家族の気持ちも軽くする・・・これも医療の一部だと私は思うのだが。 病院の帰りに寄ったスーパーで「あの素晴らしい愛をもう1度」が流れていた。この曲はICUでshinがよく口づさんでいた。 本人は覚えていない・・と言ったが、好きな曲だったらしい。 2004 6/19(土) 両親は二人で内科へ。 shinは午後からKさんと身障者の集まりへでかけるので次女と 三人早めの昼食をとる。 shinが用意をしている間、迎えにきてくれたKさんと雑談。 Kさんは脳梗塞2年目で、装具は着けているが歩行も自立。運転ができるので行動範囲が広く、身障者グループとの交流も活発に行っている人だ。 暑い季節でもマヒ側にはつらいのでエアコンはかけないとの 事。扇風機の風でもイヤという人もいるらしい。 その点shinは感じているのかいないのか・・・病前と変わらないようだが。 昼前に出かけたが帰りは道路も混んでいたらしく、7時過ぎだった。病後初めての(遅い)記録かも。こんな事も、本人も家族も慣れていかなくては。 特別疲れた様子もなく、人前に出るのもだんだん慣れてきたようだ。 2004 6/20(日) 長女の弓道の応援に東京武道館まで行く。 かなり遠いので8時に家を出て、10時過ぎに最寄の駅に着いた途端、「終わったから」のメール。 競技時間が分からないので何となくイヤな予感がしていたのだが。 武道館に着くが、剣道の試合も同時に開催されており、漸く人ごみの中から探し出した娘はすでに着替えも済ませ、写真も取れなかった。トホホ。 しかし初めての所なのでむせ返る若者の熱気の中を探訪することにした。 剣道場は、弾ける「動」。大きなスペースを12ブースに区切り 熱戦が繰り広げられている。 対して弓道場は「静」の場。 特に競技の順番を待っている間は「静謐」そのもの。 今どきの女子高生がこんなにも静かにできるのか・・・と意外な 一面を見た。 座って帰りたいので行きとルートを変える事になり、ルート選択はshinに任せた。 すると路線図を見ながらあれこれ考え、簡単に決定できたのにはちょっとびっくり。 乗り換え時もいつもより足取りも軽くスムーズに歩く。 そうか、「任せるね」の一言がこんなにshinを生き生きとさせたのだ。 つい効率や失敗を考えてshinの能力を過小評価していたのかもしれない。反省。 これからはどんどん任せる事にしよう。 2004 6/21(月) 今日はST,OT,PTの3本立てリハの日で、10時過ぎに家を出る。 私は1日のんびり過す。 たまにはこんな日もなくっちゃね。 2004 6/22(火) 今日から次女(中1)の中間テストが始まる。2学期制になったので夏休み前のテストはこれだけらしい。 結構緊張しているらしく、朝からソワソワしていた。 かわいいものだ。とても暑い1日で、shinも予定がなく昼寝をしていた。 2004 6/23(水) 水曜日は地区のリハビリ教室の日だ。 今日は新しい方の参加があったらしい。 その方は脳卒中に当たったのは5年ほど前らしいのだが、「高次脳」と分かったのはつい最近の事らしい。 今月はTVでも「高次脳」関連の番組が多かったが、病院によっては脳卒中や交通事故などでも「高次脳」の指摘がなく、適切なリハビリが進まない患者さんも多いとか。 2004 6/24(木) 特に予定のない日。 次女の中間テストも最終日なので、今日は部活もあり。 やはり弁当を持って出かけてくれた方がありがたい。 2004 6/25(金) 3月に受けた人間ドックのつながりで、今日はピロリ菌の呼気テスト。1週間除菌薬を飲み、その効果を見るようだ。 朝食抜きの為、9時前に病院に着いた時から調子が悪い。 私は食事を抜くと不調になる体質らしく、ある時間を越えると、その後食事を摂ってもリセットできない。 だから人間ドックも検査も好きではないのだが、今は私が病気になる訳にもいかず、仕方がない。 今日はshinはフィットネスの日だ。水曜日の夜、入院仲間のTさんと電話で約束をしていた。 退院後しばらくは電話で話すのは苦痛だったようだが、最近は取ったり自分から積極的にかけたりするようになってきている。それでもshinにとって電話で約束をしてどこかに出かけるなんてスゴイ事なのだ。 雨が降ったり止んだりの天気だったが、帰りがけに見かけたshinはキャップを被って傘はささずに駅へ急いでいた。 後から聞くと、駅も間近だったので折りたたみ傘を出すのが面倒だったらしい。 雨の日の外出は杖と傘があるので、何かと大変だ。 2004 6/26(土) 今週は私の体調が悪い。 今日は中学校の授業参観だが、たった10分の距離なのに歩いても歩いても学校に着かないような気がする。 数学の授業だったが立って見ているのがつらい。 帰りもシンドイ道のりだった。 昨年shinが倒れた日、彼は長女の授業参観を終えて帰宅後 自宅で倒れたのだった。 もしかしたら私も血管切れちゃうかも・・なんて思ってしまうほど不調の1日だった。 2004 6/27(日) 日曜日は、まず求人広告に目を通す。 仕事を辞めて1年が経つが、shinと少し距離を作り、私がいない事に慣れてもらうためにも仕事を始めたいと思っている。 しかし両親は万一の時のためにスタンバイして欲しいらしいので、とりあえず土日の仕事を探しているのだが、なかなか条件が合わない。 何より最近は、一年間の疲れか、私の体調が悪く、これで働けるのか…不安になったりするのだが。 決まるときは決まる・・そう思う事にしている。 2004 6/28(月) 数日前から血圧が高かった義父が病院へ行き、腎機能を指摘されて帰宅。 アルコールは棚に上げて、 「食事の塩分じゃないの」ときた。 shinの退院後から1日の塩分量は7gを目標に料理をしていたので、塩分過多は有り得なかったが 「あら大変。じゃあお義父さんのは特別うすく作りましょうね」と答えた。フフフ、私は意地悪なのだ。 shinは午後OT。 退院後は暫く一緒に行っていたが、最近はほとんど一人で通院している。 駅まで徒歩20分。JRと私鉄を乗り継いで約1時間で着けるようだ。当初はパスケースの出し入れから始まり、階段の位置取り、電車の乗り降り、信号の確認・・など課題も多く、車で行ったがよほど楽だったが、退院後8ヶ月経ち、外出に関しては殆ど問題もなくなってきている。 リハビリの先生方も退院後は、「○さん、早く一人で来れるようになってね」 「今日はどうやって来たの」等とshinの外出にはいろいろと心配してくれたが、もう一人が当たり前になってきたので、とりたててこの件については質問もないようだ。 2004 6/29(火) 今日から長女の期末試験スタート。 修学旅行があるため、他学年より早くあるらしい。 買い物の途中でヒマワリと朝顔が咲いているのを見た。 今年は梅雨らしくない天気が続き、お水も心配でもあるが もう植物は夏を感じているのだ。 季節が変わるのは好きだったが、今の気持ちは微妙。 ゆっくり進みたい気もする。 2004 6/30(水) 高校のバザーの準備会へ行く。 毎年この季節のようだが、去年はさすがに行けなかったので。 午前中は雨と雷がひどく、新幹線も止まったらしい。 shinは午後から地区センターの日だ。 「出かける時間、昼食の時間をよく考えて準備してね」と言って私は出かけた。両親も外出の予定があり、shinが一人。 帰宅後聞いてみると、天気も悪く地区センターは休もうかと思ったらしいのだが、天気予報では午後から晴れると言ったので出かけた・・・と言う。 おお、そうそうそれでいいのよ。 今のshinに必要なものの一つは、この判断力。 地区センターではお習字があったらしく、団扇に 「望」と書いて持って帰ってきた。 もともと字は上手くない人なのだが、なかなかよく書けている。長女の「お父さん、上手いじゃん」の言葉にもまんざらでもない様子。 まえへ(5) つぎへ(7) |