カテゴリ:健康・ハンディ・リハビリ・高次脳機能障害
2005 5/22(日)
こんにちは、minminです。 今日もちょっとリハビリ系のお話です。 連休中に猫通りさんから教えてもらった番組が、舘野泉さんの「左手のピアニスト」でした。 舘野さんはフィンランドに住み北欧に縁の深いピアニストですが、数年前に演奏会のステージ上で脳出血で倒れました。 番組はその後の舘野さんの様子のドキュメントでした。 左側の出血だったのでしょう、右にマヒがある舘野さんですが、現在では歩行も自立、日常の動作では右手も普通に使っているように見えました。 ステージへの復帰、これが舘野さんの最大の目標でした。 プロの音楽家ですから、当然の思いでしょう。 初期の治療、リハビリ、自宅復帰までは出来たものの、彼の右手はなかなかピアニストの右手として働いてくれず、長い間苦悩の日々が続きます。 毎日毎日大好きなピアノを触っても思うような音色が出せない…プロのピアニストとして言葉では言い尽くせない気持ちだった筈です。 そんな時、バイオリニストとして活躍する息子さんから舘野さんはある楽譜をもらいます。 それが、左手のためのピアノ曲との出会いでした。 それからの舘野さんは、左手でピアニストとして復活すべく練習を重ねました。 と、簡単な説明ですが2004年に復活コンサートをするまでの日々は、本当に大変な毎日だったと思います。 舘野さんのご両親も音楽家で、小さい時から恵まれた環境で音楽の研鑽を積まれたようです。 音楽大学を卒業後、北欧でピアノを続けたいとの舘野さんの希望もご両親は理解し応援してくださったそうです。 チェリストのお父様はもうすでにお亡くなりになっていますが、ピアニストのお母様は90歳でまだまだお元気。 東京で一人暮らしだそうです。 舘野さんが日本でリサイタルをする時は必ず実家に滞在し、小さい時から使っているピアノで練習なさるとか。 病後初めて帰国し、実家でピアノを弾いたとき、お母様は 「あら、下手になったわね」とおっしゃったそうです。 フィンランドと言えばシベリウスが有名な作曲家ですが、彼が後半生過した家がヘルシンキの郊外にあるそうです。 彼が愛した奥さんの名前をとってその家は「アイノラ」と呼ばれていますが、舘野さんはお父様の訃報を受け、いたたまれない思いでアイノラまで来て、シベリウスのピアノを弾いたそうです。 「病気をしてから初めて来ました」とアイノラのお庭で穏やかに語る舘野さん。 またピアノが弾けるようになった喜びを、「ひとつ、ひとつの音が……とても、いとおしかったです」と語っておられました。 左手のための演奏会で弾けるような曲はなかなか無いそうです。 そのために、友人の作曲家へ委嘱し新曲へも果敢に挑戦する舘野さんの笑顔は何処までも穏やかでした。 シベリウスのピアノの前に座り、ピアノを弾き出す瞬間。 右手も左手と一緒に鍵盤へ乗ろうと緩やかな奇跡をえがきました。 「左手のピアニスト」として復活を果たした舘野さんですが、きっと数年後には新たなレパートリーを携えて再復活をなさると信じています。 -------* 放送時間が外出と重なったので次女に録画を頼み、ゆっくり見たのは放送日から10日あまりもたってからでした。 番組はブラームスが左手用に編曲したバッハのシャコンヌを舘野さんが弾く場面から始まりました。 小さなサロンコンサートの会場のようでしたが、舘野さんの奥に実家の母の姿が見えた時はイスからコケ落ちそうになりました。 そういえば、昨年の秋、「舘野泉さんの復活コンサートへ行きました」と興奮ファックスが届いたのですが、どうもその時の映像のようでした。 フィンランド語を始めて聞くこともできました。 日記友達のhassuさんはフィンランド語を勉強中で、時々あちらへも行かれるようですが、他の北欧の言葉とは違う、もちろんゲルマンでもラテンでもない言葉、を聞けて満足でした。 また先日のボーマンさんのプログラムで気になったエンリコ・マイナルディを検索していたらチェリストの舘野英司さんにたどり着きました。 おお、舘野泉さんの弟さんでした。 日記友達の猫通りさんから始まった矢印が次々に連鎖し、まあるく繋がりました。 こんな事もあるのですね。猫通りさん、ありがとう♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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