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2014年10月14日
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大人で賢明なコストナー選手は、グランプリシリーズでしっかり手を抜いた・・・じゃなくて、不調だったが、五輪までにはきっちり調整をし、ちゃんと高い演技構成点を出している。グランプリファイナルに出られなかった彼女が、五輪ではファイナル女王をあっさり上回る。グランプリシリーズは、彼女にはもう不要だったことが、この事実からも明らかだ。

若手が世界に名を売るためには、グランプリシリーズは格好の場だが、ある程度実績を出したら、あるいはベテランの域に達したら、ほとんど意味はない。逆に、どこかで調子を落とせば、それをきっかけに演技構成点を下げる口実にされかねない。キム選手は出場機会をできるだけ減らすことで、体力を温存して怪我のリスクを避け、かつ点を下げる理由をジャッジに与えなかった。

先日のオープンフィギュアでチャン選手は90点超の演技構成点を出した。五輪とほぼ同水準の点をもらったから、グランプリシリーズは全休しても、ワールドで同様の演技をすれば、当然同じぐらいの点が出てくる。他の選手がグランプリシリーズで消耗している間に、しっかりコンディションを整え、一発勝負にかけるだけだ。もともと何回練習試合をしようと、本番というのは常に誰にとっても一発勝負なのだから。

羽生選手も、本当は同じなのだ。彼にはもうグランプリシリーズは必要ない。昨シーズン、ヤグディン以来となる、ファイナル・五輪・ワールド制覇という偉業をなしとげた後となればなおさらだ。怪我でフィンランディア杯の出場を取りやめたが、本当は次のグランプリシリーズも大事をとるべきだ。長期的な視野に立ち、かつ羽生選手の弱点が何かということを考えるならば。そして、そのうえで、本当に彼に五輪二連覇という偉業をなしとげてもらいたいならば。

五輪王者がそれなりの演技をすれば、ちゃんと演技構成点は出てくる。だが、無理して試合に出て、そこから調子を崩せば、逆にマイナスの評価がつき、「羽生選手はオリンピックイヤーだけの一発屋」にされかねない。仮に彼の類まれな精神力が、怪我の痛みを一時的に補ったとしても、生身の人間が何年もそれを続けられるワケがない。昨季の日本ワールド試合後、いかにも痛そうに腰を押さえている羽生選手の姿は、とても19歳の若者には見えなかった。

佐野稔以来、久方ぶりに出た日本男子でワールドトップを争える選手として注目された本田武史もキャリアの後半は、痛み止めを飲みながらの試合出場だった。高橋選手もあの怪我、小塚選手も深刻な故障で力強いジャンプが跳べなくなっている。次は羽生選手の番だろうか? 同じことを繰り返してほしくない。

いくら能力の高い選手でも、本当にいい演技が出来るのは、年に何回もないのだ。五輪後に日本で開催されたワールドにソトニコワ選手は来なかった。コストナー選手は参加はしたものの、フリーのジャンプの出来はひどいものだった。

だが、スケート連盟もスポンサーも、是が非でも羽生選手にはグランプリシリーズに出てもらいたいところだろう。奇しくも今日、高橋選手が現役引退を表明したが、今季は浅田選手もいない。集客は羽生選手頼みだ。「選手本人が出たがっている」などと言って、よほどのことがない限り休みを与えないであろうことは目に見えている。羽生選手の大活躍でフィギュアスケートファンになったという人も多いだろうから、やはりどうしたってそうしたファンは王者・羽生結弦の大活躍を見たがるだろう。

羽生結弦の人気は本当に凄いとしかいいようがない。初DVD「覚醒の時」(フジテレビジョン・ポニーキャニオン)はオリコンのDVD & Blu-rayランキングで首位を獲得。スポーツ選手として史上初の快挙だという。カレンダーもバカ売れだったし、展示会やら写真集やら、羽生選手の人気を当て込んだ企画は枚挙にいとまがない。

多くのファンはフィギュアの試合そのものを見たいのではなく、贔屓の選手の試合での演技が見たい。それが本音だ。だから、高橋大輔、浅田真央に続いて羽生結弦の名前まで消えてしまえば、その大会の視聴率はガタ落ちになるだろう。

今の日本フィギュアを覆い尽くしている商業主義は、実際のところ、プラスの面も多くある。引退した選手がテレビで活躍の場を得ているのも、商業主義のもたらした恩恵だろう。メディアが煽るから世間の注目も集まる。注目が集まれば、選手の金銭的なメリットも増える。それも事実だ。全日本選手権に多くの観客が押し寄せるようになったのも、メディアの後押しがあったからこそだ。

だが、最高の舞台である五輪で日本選手を活躍させるという、競技としての本来の目標を思うとき(そのためにフィギュアには多額の税金も投入されている)、オープンフィギュアに始まり、グランプリシリーズ参戦、ワールドを経て最後は団体戦(国別対抗戦。2015年もまた日本で開催予定)まであるような日本選手の過密スケジュールは、利よりも害が増えているのが実情であり、何より日本選手のソチでの演技の出来がそれを証明している。








最終更新日  2014年10月16日 19時15分41秒

2014年10月13日


グランプリシリーズなど、もはや熱心に見ているのは日本のファンぐらいではないだろうか? 莫大な放映権料を払うから、日本人選手には是非とも活躍してもらわなければならない。視聴率が欲しいから、テレビ局はこれでもかというぐらい盛り上げる。

グランプリシリーズで若手の日本人がいい点をもらっても、他の有力日本人選手と一緒に出場するワールドや五輪になると、あ~ら不思議、点が伸びない。急に回転不足が増えたり、演技構成点が伸びなかったり。かつての織田選手、小塚選手、最近では村上佳菜子選手。みんな同じパターンではないか。しかも、何年も同じことを繰り返している。

例外は、「ISU指定強化選手」に入れる、ごくわずかな選手のみ。しかも、それは純粋な選手個人の才能だけではなく、コーチの名前や大きな大会の開催地によって決まる。このつまらない出来レースに付き合わされるファンも、たいがいアホらしくなっているはずだ。

キム選手はソチ五輪に向けて、グランプリシリーズに背を向け、年間の試合を極力絞る作戦で来た。彼女は数年かけて、自分にあった試合数を計っていた感がある。さすがにワールド1回では、調整がうまくいかなかったと見るや、国際大会への出場をほんの少し増やした。五輪直前のグランプリシリーズを欠場したのは、表向きは怪我のためだが、あの程度の怪我だったら、日本選手なら出場を強要されて、それがまた美談のサイドストーリーになっていただろう(そして、肝心の五輪を最悪のコンディションで闘うハメになるというオチ)。

ソチ前のチャン選手は、「フィギュアの選手組合ができたら入りたいよ。ISUは僕らでいったいいくら儲けてるの?」などとブーたれながらも、ちゃんとシーズン通して試合に参戦し、その結果、日本選手同様、本来の彼には程遠いボロボロの出来で、ほぼ手にしていた金メダルを逃した。

あれほどまでにチャン選手が心理的に追い詰められたのは、これまでミスをしても勝たせてくれていたジャッジが、急に羽生選手の「肩」を持ち始めたからだろう。チャン選手というのは、非常にクレバーな人だし、またいかにも中国人らしい率直さももっている。自分の状態や他の選手に対する評価を自分の言葉で明確に語る。

グランプリファイナルで羽生選手に負けたときに、彼の自信の崩壊が始まった。おそらく、あの敗北は、チャン選手にとって予想外で、本音を言えば受け入れがたいものだったのかもしれない。五輪前のインタビューで、チャン選手は、羽生結弦はいつも自分の肩に重くのしかかる「悪魔のような存在」だと述べている(多くの日本人にとっては天使にしか見えないと思うが・笑)。

さんざんミスをしても勝ってきた彼が、五輪を目の前にして、「自分が完璧な演技をしても負けるかもしれない」選手に遭ってしまったのだ。あの羽生選手のトンデモなジャンプ構成。もし、ジャンプだけの選手だけなら、演技構成点で差をつけられるから勝てる。だが、羽生選手に対しては、ジャッジは演技構成点も高く出すようになってきた。

カナダのチャン選手にとっては「敵地」と言っていいロシア。そこで勝つためには、曖昧な「表現力」だとか「スケーティングスキル」だけでは無理。誰にも文句を言わせないような高難度のジャンプを跳ばなければ。チャン選手はそれをわかっていた。だから、4回転をショートにも入れ、フリーでは2回跳ぶという、文句なしのジャンプ構成を組み、かつ(ここが彼の偉大な部分だが)、ジャンプの完成度もこれ以上ないというくらい高めてきた。

実際、ソチのチャン選手のフリー冒頭の4回転+3回転は、高さ・幅ともに異次元の素晴らしさ。五輪史上もっとも素晴らしい連続ジャンプとさえ言えるかもしれない。王者にふさわしい高難度連続ジャンプを決めながら、次のちょっとした躓きが、どんどん連鎖していった。

それでも、「あと数年は世界トップクラスでいられるだろうと思う」と自ら語るチャン選手。今シーズン彼がグランプリシリーズを欠場するのは、正しい選択だ。もう実績は十分にあり、かつベテランの域に達して、怪我が心配な彼が、「過酷なサバイバルレース」などに乗っかる必要はないのだ。

先のオープンフィギュアを見ると、4回転ジャンプこそ1回に抑えたが、彼の高い「滑りの技巧」を最大限生かすプログラムを作ってきている。ピタッと止まって体をひねりながらポーズを入れ、そのあと滑り出して、もうすぐにスピードに乗っている。スピードをまったく落とさず、安定した滑りのまま体を上下に大きく使う。あんなことができるのは、世界広しと言えどもチャン選手ぐらいだろう。

演技構成点も高く出たから、ますます彼にとってグランプリシリーズなど、もはや無用の長物だろう。キム選手同様、ワールドには出てきて、タイトルを目指すほうが得策。日本ではグランプリファイナルのタイトルをことさら喧伝しているが、やはりフィギュアスケーターにとって大事なのは、五輪の金メダル。次はワールドのタイトルなのだ。

五輪のタイトルは確かに商業的な利益を選手にもたらすが、五輪はあくまで4年に1度。選手生命の短いフィギュアスケートでは、運も多分に作用する。長い目で見ると、五輪の金メダルより、ワールドのタイトルを積み重ねた選手のほうが尊敬されるという傾向も出てきている。カナダのカート・ブラウニングやアメリカのミシェル・クワンは、どちらも五輪では勝てなかったが、いまだに母国では破格の扱いだ。

若い選手が世界に名を売るためには、グランプリシリーズには出る必要がある。だが、いったん評価が定まったら、たいした意味はなくなる。フィギュアスケートでは20歳を超えてきたら、もう若手ではなくなるし、体力的にもシーズンとおしてフルに闘うのはきつくなってくる。そういう選手には、グランプリシリーズは負担なのだ。

高橋選手が肝心なときに怪我をしてしまったのも、年齢のわりにはハードな試合数をこなしてきたせいもあるだろう。彼ほどの選手なら、別にグランプリシリーズでアピールしなくても、ジャッジは高い演技構成点を出してくれる。実際、五輪での高橋選手の演技構成点は、あのジャンプの出来にしては破格だった。ショートの点は、「4回転ジャンプやめたら銅メダルは君のものだよ」と言わんばかり。もちろん、高橋選手はあくまで自力で金メダルを獲るジャンプ構成で来ることはわかっていたが。

理想を言えば、彼こそキム・ヨナ選手のように、試合数をできる限り制限しながら、大舞台だけに照準を定めて調整させるべき選手だった。だが、そんなことをしたら、選手層の厚い日本では、「高橋だけ特別扱いか」などと言われてしまう。高橋選手に出てもらわなければ、視聴率は取れないし、チケットも売れない。日本では五輪切符を得るためのグランプリシリーズの重みは他国とは比較にならないから、選手は息つく暇もない。

そして、五輪では皆、力尽きている。






最終更新日  2014年10月31日 11時50分41秒

2014年10月12日


浅田選手が団体戦のトリプルアクセルで転倒し、「あの子は肝心なときに必ず転ぶ」などと、言わずもがなの一言を言ってバッシングを浴びた森元首相だが、さすがに一国の総理にまで上り詰めた政治家だけあって、「日本が戦略を誤った」という見方は非常に的を射ている。政治家の「失言」ばかりをことさら取り上げ、そこばかり報道するのはマスコミの常套手段だが、それにうかうかと乗せられ、ヒステリックに攻撃する大衆も、少し冷静になるべきだ。

http://www.xanthous.jp/2014/02/21/mori-yoshirou-slip-of-the-tongue-problem/

「発言の本意が伝わってないな。私が言いたかったのは、女子フィギュアが戦略を間違えたということ。浅田選手は団体戦に出る必要はなかった。勝ち目が薄い中、浅田選手が 3 回転半を跳べばメダルに手が届くかもしれない。そんな淡い期待があったのだろうが、結果は転んだ。ミスは選手のトラウマになる。実際、( 個人 SP で )また転んだ 」

「 彼女がかわいそうだ。団体戦のため、開会式からずっと現地に入らされ、調整が難しかった。キム・ヨナみたいに本番直前に現地に入ればよかったんだ 」



「政治」の世界を泳いできた森氏は、フィギュアスケートに関しては無知かもしれないが、団体戦から個人戦までの流れを見て、その背景にある「政治的な思惑と駆け引き」、そこでの日本の「敗北」にある程度気付いている。連盟のメンツも考えれば、立場上、すべてを率直には語らないだろうが。

団体戦のメダルなど、よっぽどのことがない限り日本には来ない。淡い期待をもって浅田選手を出したのは間違い。その必要はなかった。そこは、森氏の言う通りだ。浅田選手だけはなない。足の状態が悪かったという鈴木選手ともども、女子シングルは「共倒れ」に終わった感があった。

全日本で鈴木選手を浅田選手の上に置いた日本スケート連盟。「浅田真央がトリプルアクセルで自爆したら、鈴木選手を台にのせてね、お願い。銅でもいいよ、メダル欲しいのぉ~」という思惑がアリアリだったが、団体戦でもう、鈴木選手は回転不足を容赦なくダウングレードされ、ボロボロ。団体戦で鈴木選手の点数が表示されたときの長久保コーチの呆然とした表情が忘れられない。採点傾向をまだ知らない状態で、「もしかしたら、回転不足を取られたかも・・・」と解説してしまった八木沼氏も、アンダーローテーション判定が3つに加えて、3ループはアンダーローテどころかダウングレード判定という結果をみて、「厳しいですねぇ」と、できるだけ明るく言うしかなかった。

Mizumizuも何年も前から、「団体戦など無意味。特に日本にとっては百害あって一利なし」と、言ってきた。いくら五輪に向けた団体戦をいつもいつも日本で開催しようが、そこでまずまずの順位をもらおうが、ISU会長が日本に来て、わざわざ団体戦の意義を安倍首相に説明しようが、はたまた安倍総理がソチの団体戦の会場に足を運ぼうが、ペアやダンスにも厚い層をもつロシア、アメリカ、カナダの間に入れる可能性はほとんどない。

日本はさんざんキャッシュディスペンサーがわりにされてきただけだ。空前のフィギュアスケートブームを背景にISUにたんまり上納したからといって、その見返りがあると思ったら大きな間違いだ。欧米人というのは、そんなお人よしではない。日本だって高いチケットをバンバン売って、儲けた人間がいるだろう。

ソチ団体戦では、ISUの意向に沿う形で、そして「もしかしたらメダルがもらえるかも」という、ありもしない期待をかけて、日本はシングルのエースを次々投入。キム・ヨナ選手が冷静に、「(自分には)団体戦がなくてよかった」と述べた通りの個人戦の結果となった。それは点数という結果というより、日本選手の演技の出来という結果に出た。金メダルの羽生選手ですら、フリーの演技は本来の出来ではなかった。チャン選手が、より本来の出来から程遠かったから勝てたという側面もある。

団体戦がプラスに作用したかもしれないのは、シーズン最初に調子が悪かった(したがって試合数が少なくてすんだ)コストナー選手ぐらいだろう。体力のある男子選手ですら、シングルのフリーまでもたなかった感がある。それは、パトリック・チャン選手にも言えることだが、カナダはちゃんと団体戦のメダルを持ち帰った。団体戦で日本側がもらえたのは、テレビの視聴率ぐらいだろうか。

団体戦でいかに選手が消耗するか。そして、そこでミスした場合、そのマイナスイメージを短期間で払拭するのがいかに難しいか。そんなわかり切った事実から、日本のメディアは全力で目を背けてきた。日本スケート連盟も同様だ。連盟の御用達ライターは、羽生選手のインタビューを引き合いに出して、団体戦の意義を強調した。だが、羽生選手がよかったのは、シーズン通して安定していたショートだけで、フリーではフリップで失敗という信じられないミス。もともと試合で確率の悪かった4サルコウは、やっぱり転倒。

それでも羽生選手が勝ったのは、4トゥループの確率と精度に加えて、トリプルアクセルの圧倒的な安定度がモノをいったと思う。チャン選手は逆に、元来苦手なアクセルジャンプがうまく決まらなかった。金と銀を分けたのは、4回転ジャンプではなく、トリプルアクセルの完成度だったとMizumizuは見ている。

それにしても、チャン選手の滑りの巧さは、金メダルを直接争ったのが羽生選手だったこともあって、ことさら際立って見えた。これが調子のいいときの高橋選手だったら、それほど感じなかったかもしれないが、フリー後半、顔に疲労と落胆の色が濃くなりながらも、チャン選手のスケートはやはり伸びていて、「よく滑っている」という感想が一番ピッタリきた。

羽生選手とのスケーティングスキルの差は明確かつ圧倒的だと思ったが、フリーで演技審判が出してきたSS(スケートの技術)の点は、チャン選手が9.39で羽生選手が9.07と、ビックリするくらい差が小さい。ここでもジャッジは、五輪王者を争う2人に、「順位はつけるが、差はつけない」という原則で来たのだ。演技構成点全体もチャン選手が92.70、羽生選手が90.98で1.72点差。このぐらいの差なら、十分「勝負させてもらえる」。これが10点差とかふざけた点差に広がったら、タラソワじゃないが、誰も勝負させてもらえなくなってしまう。

http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Men_FS_Scores.pdf

今の採点システムは、一見、1つ1つの点の積み重ねの結果に見えるが(実際、その通りではあるが)、ことに演技構成点で大切なのは、ある選手とある選手にどのくらい点差をつけるかなのだ。解説の本田氏が団体戦のプルシェンコの最初の演技のときに、「これが基準になる。これでどういう点が出てくるかわかる」と言っていたのも、つまりはそういうこと。絶対評価なのだから、有力選手の点が「基準になる」というのは、おかしな話なのだが、実際のところ、基準となる選手を決め、そこからどのくらい点差をつけて評価するかといった「手続き」が、事実上出来上がっているということだ。

「色白は七難隠す」じゃないが、羽生選手の金メダルという偉業と、彼のルックスやスタイルのよさ、カリスマ性・スター性が、オリンピックでの日本スケート連盟の数々の「戦略の失敗」を覆い隠している。

そして、羽生選手の金メダル1つに終わったフィギュアの総括として、連盟は団体戦が個人戦の前にあったことが選手の負担になった、今後は各国と連携して開催時期を検討していくなどと言い出した。

初めっから見えていたことです! 

Mizumizuのような素人さえ、何年も前から指摘している。五輪の団体戦導入に日本を絡めてくるISUのやり方のいやらしさ。ほぼありえないメダルをエサにされ、うかうかと乗っかるほうが頭が悪いのだ。

団体戦で女子のエースを温存して女子金メダルを獲得したロシアと、エースと消耗させて女子のメダルを逃した日本。これほど層の厚いシングル女子にメダルなしというのは、もうそれだけで、日本スケート連盟の全面敗北と言っていいのではないか。

言うまでもなく、選手は全員、五輪にかけてきている。五輪で最高の演技をするために。だが、日本選手の中で、一人でも「シーズン最高」の演技を披露できた者がいただろうか? そこが大きな問題だ。何かというと、「オリンピックの魔物」だとか「メンタルの弱さ」などと言うが、五輪でシーズン最高の演技を披露した、ソトニコワ選手、(団体戦の)リプニツカヤ選手、コストナー選手、キム選手、テン選手といったメダリストと比べたとき、日本人選手の出来の悪さは際立っている。

日本人選手の試合数の多さが、まずは一番の原因だろう。キム選手の演技を見て、アナウンサーが、「シーズン3試合目でこの演技」などと言っていたが、3試合目だからこそ、いい演技ができたんです!

羽生選手、高橋選手、チャン選手がシーズンでもっともよい試合をしたのは、何番目の試合だっただろうか? それを分析すれば、おのずとその選手に合った年間の試合数は分かるというものだ。ベテランになってくればくるほど、試合数は制御したほうがいい。コストナー選手やキム選手を見れば明らかだ。

<続く>






最終更新日  2014年10月15日 09時07分21秒

2014年10月10日


ソトニコワ選手が、フリーの冒頭の連続ジャンプのセカンドにどのジャンプをもってくるか? それについては直前の予想では、某元女子フィギュアスケーターでさえ、「ダブルループではないか」と言っていた。ソトニコワ選手は連続ジャンプのセカンドにトリプルループをつけることのできる数少ない選手だが、ここのところ不調で、セカンドにループをつけようとしても、そもそもまともな連続ジャンプにさえならないことが増えていた。ショートでやったトリプルトゥループ+トリプルトゥループは素晴らしい質だが、あれをフリーでやったら後半に2A+3Tができなくなる。

それに、ループは回転不足を取られやすいジャンプだ。安藤選手や浅田選手など、セカンドにトリプルループをもってきても、バンクーバーの前からほとんど認定されなくなったのは、Mizumizuが何度となく問題にしてきたとおり。

となれば、冒頭の連続ジャンプのセカンドはトリプルループではなく、確実にダブルループで来るだろう・・・という予想はもっともだが、Mizumizuは懐疑的だった。当時、世間の注目は団体戦で好調だったロシアの美少女リプニツカヤに集まっていたが、オリンピック直前のロシア選手権を制したのは彼女、つまりロシアの「本命」はソトニコワなのだ。

オリンピックで優勝するためには、連続ジャンプのセカンドは是非とも2回とも3回転が欲しい。だから、ソトニコワ選手は大半の予想に反して、最初の連続ジャンプのセカンドにトリプルトゥループを持ってきたのだ。3回転ルッツ(フリップでもいい)に3回転トゥループをつける。つけて、回り切る。これが浅田選手にもできたなら・・・というのは、もう数年前にくどいほど書いたので、もう繰り返さないが、バンクーバーもソチも、結局のところ女王に輝いたのは、セカンドにもってくる3回転トゥループを確実に決めることのできた選手だった。

このことにまったく驚きはない。むしろそうなるだろうと思っていた。3+3の連続ジャンプのセカンドに3回転ループをもってきても、現行ルールのもとではまず認定は難しい。回転不足と判定されれば、GOEが伸びないから、結局のところ、セカンドにもってくる3回転ループは、よほどでなければ武器にならない。今回のオリンピックで、あれほど見事なセカンドの3回転ループを決めた浅田選手でさえ、やはりこの「壁」は崩せなかった。

現行ルールでは、そういうことになるが、だが、そもそもキム選手が優勝を逃した遠因は、3ループを単独でさえ入れることができなかったことにもある。3ループがないから、得意のセカンド3トゥループを最大限生かすジャンプ構成を組めなかったのだから。また、五輪女王のソトニコワ選手は、セカンドに3ループをつけようとして何度も失敗している。ジュニアのころは跳べたが、シニアに上がってからは、つけることさえできずに失敗することも多かった。それをあれほどの完成度で入れてきた浅田選手がいかに偉大か。それは何度でも指摘しておきたいし、才能あふれるロシアのフィギュアスケーターが、なぜこぞって浅田真央を偶像視するのか。その理由がわかろうと言うものだ。

ソトニコワ選手の最初のルッツの踏切エッジとセカンドジャンプの回転は微妙だったようにも見えたが(というか、テレビ放送ではカメラの位置は踏切のエッジが判断できにくい角度にあったので、よくわからない)、公明正大かつ正確無比は技術審判は、エッジ違反なし、回転不足なしと判定し、公明正大かつ正確無比な演技審判は加点を気前よくつけた。

http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Ladies_FS_Scores.pdf

最初の3Lz+3Tの得点だけを抽出すると、キム選手が11.70点、ソトニコワ選手が11.10点。GOEの差(つまり質の差)で0.6点というのは、Mizumizuには極めてまっとうに見える。

単独のフリップの点は、余裕をもっておりて、すぐさまポーズを入れたソトニコワ選手が6.80点で、回りきってはいたものの、余裕がなかったキム選手が6.50点で0.3点の差。Mizumizuには多少キム選手に対する加点が好意的すぎるようにも見え、両者のジャンプの質の差を見ると、もう少し点差がついてもいいようにも思えるが、それでも、質によって細かくGOEで点差をつけていくという、新採点システムのもともとの理念がうまく機能した採点例だと言えると思う。

話をもとに戻す。

団体戦に出られなかったことを、ソトニコワは「くやしかった」と語ったが、それは別の見方をすれば個人戦に向けて、ロシアが掌中の珠を温存しておいたとも言える。あまたの才能を輩出してきたロシアという国は、常に「そのときに最も調子のよい選手」を見極める目が、ある意味でとてもドライだ。

オリンピック直前のヨーロッパ選手権では、明らかにリプニツカヤ選手のほうが調子がよかった。たとえばフリーでは、演技構成点ではソトニコワ選手のほうが、1.6点上回っていたが、技術点では、リプニツカヤ選手のほうが9.72点も上。10点近い技術点の差は、いくら演技構成点が上げたり下げたり融通がきく(もちろん、そんなことはございませんとも! 採点は公平ですから!)とはいっても、そう簡単にひっくり返せるものではない。

http://www.isuresults.com/results/ec2014/ec2014_Ladies_FS_Scores.pdf

団体戦には、若くて波に乗っているリプニツカヤ選手を使い、ソトニコワの「ソ」の字も出さない。一方で、団体戦で活躍したリプニツカヤ選手が、世界中の注目を浴び、その結果、本人の強い意志とは裏腹に、個人戦で力尽きるであろうことは、個人戦の前に多くのフィギュア界のレジェンドたちが予想していた。「どれほど彼女(リプニツカヤ)が強くても、あの年齢の少女にこの重圧は耐えられない」。

百戦錬磨のロシア・スケート連盟の重鎮とて、当然それは予想していたはずだ。リプニツカヤは団体戦で「消耗しきって」しまっても仕方ない。個人戦で活躍させるのは、もう1つの「珠」であるソトニコワ。団体戦に「出られなかった」という屈辱も、ロシアの国内選手権をすでに複数回、あの若さで制している天才少女には、必ずプラスに働くだろう。

これはロシアが打って出た「賭け」だっただろう。勝負というのは、常に伸るか反るか。「国の威信をかけて金メダルを獲る」と宣言した団体戦で、リプニツカヤ一人に賭けたロシア。それは見事に当たったのだ。ジャッジも好演技をしたリプニツカヤに高得点で報いた。それを見て、ベテランのコストナーにメダルを賭けているイタリアは解説者が猛反発。まだ「少女」であるリプニツカヤに、こんな高い演技構成点を与えるのは時期尚早だと大ブーイング(実にわかりやすいのぉ…笑)。

そうおっしゃいますが、長野五輪の金メダルを争ったのだって、アメリカの17歳と15歳の「少女」だったじゃないですか。この数年は若い選手の演技構成点が低く出る傾向があったのは確かだが、それは別に絶対的なものではない。その試合の審判団が高い表現力・技術力があると評価すれば、別に何点出したって「不正」ではないのだ。

ロシアにとって唯一かつ最大の誤算は、男子シングル枠が1つになってしまったこと。団体戦で素晴らしい演技をしたプルシェンコ一人に、個人戦も賭けなければならなくなり、他の「駒を配置する」・・・もとい、「珠を出す」機会がなかった。それも遡れば、反ロシア感情の強いカナダで行われた前年の世界選手権での若手の不振にある。

逆に、女子ではロシアは賭けに勝ったのだ。その背景には、「恐ロシア」と日本のネット民が早くから認めていた若手女子の人材の豊富さがある。Mizumizuはソチ五輪で活躍するのは、タラソワ・スクールのソトニコワとミーシン・スクールのタクタミシェワだと思っていた。タクタミシェワのジャンプは理想的な放物線を描く、美しく力強いジャンプ。練習では素晴らしいトリプルアクセルも決めていた。しかし、ロシア女子の最大の敵である、「体形変化」で彼女は五輪前に調子を崩してしまった。

タクタミシェワが崩れても、ロシアにはさらに若い別の才能があった。怜悧な美貌、憂いを含んだ演技。それらと裏腹な、戦士のような激しい闘争心。リプニツカヤも今回の五輪で最も輝いた選手の1人であることは疑う余地がない。個人戦のショートで失敗したことで、逆にロシアの女子シングルの本命はソトニコワだけになった。そのことも今までの採点傾向からすると、ソトニコワに有利に働いたかもしれない。

奇妙なことに、これは日本の男子シングルで、エースの高橋大輔選手が怪我をして、そこから急に流れが羽生結弦選手に来たのとも符合する。五輪でも高橋選手の足の状態がよくないのは明らかだった。力なく途中で落ちてきてしまった(おりてくるというより、回転できずに落ちてきてしまったという感じ)ソチでの4回転ジャンプの直後に、CMで調子がいいときの力強い高橋選手の4回転ジャンプが流れたときは、さすがに胸が痛んだ。







最終更新日  2014年10月10日 23時51分59秒

2014年10月04日



政治的な立場から見ると、今回のシングルのメダルは、見事なくらいフィギュア強国の顔が立った結果になった。

カナダは悲願の男子シングルの金メダルは逃したが、オーサーの弟子が金メダルを獲得したことで、「やはりカナダの英雄は優れたコーチだ」ということになった。キム・ヨナだけが金メダルなら、オーサーでなくキム選手が偉大だったということになりかねない。

そして、銀メダルは北米枠(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)からカナダのチャン。4年前ロシアの「皇帝」をコケにしたカナダは、こうして報復された(ことはありませんとも! 採点は公平ですから!)。あれほどジャンプをミスらなければ金だったんですよ。

銅メダルはロシア選手がいなくなった「ヨーロッパ枠」で(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)、スペインに用意されていたが、フェルナンデスのジャンプ回数のルールミスで図らずもデニス・テン選手に行った。今回シングルでアメリカは振るわなかったが、テン選手のコーチはアメリカの名コーチフランク・キャロル。アメリカもかろうじて面目を保った。

しかし、それにしてもデニス・テン選手は素晴らしかった。ジャンプばかりに目が行くが、彼の場合はスピンのレベルを落とさない。四大陸からそうだった。四大陸ではスピンの名手・小塚選手よりよかったほどだ。こうした細かい取りこぼしがないことも、現在の採点システムでは重要なことだ。表現もかつて師事したロシア人コーチが得意なドラマチックな要素と、アメリカ的な品行方正な雰囲気の両方を兼ね備えている気がした。

女子金メダルは、ロシア。言うまでもなく悲願の初五輪金だ。銀はIOC外交を頑張った韓国。銅は3度目の正直のイタリア。北米枠にアメリカ入らなくてごめんね。でも、アイスダンスで金、団体で銅だから、悪くないでしょ? 次の平昌オリンピックでシングル女子優遇するから(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)。

日本女子は、悲願の男子シングルでの金メダルをあげたんだから我慢してね。もうちょっと出来がよかったらメダル分配に入れたけど、ああも自爆しちゃね。「ヨーロッパ枠」が2つになったのは、まあロシア開催だからってことで。実際、コストナーは文句なかったでしょう? 同じ国の2番手・3番手の選手は回転不足厳しく取って落とすのが原則なんで(注:もちろん、そんな原則はありませんとも! 採点は公平ですから!)。なにも日本だけじゃないでしょ、アメリカのワグナーもしっかり厳しく取って落としときましたから。アメリカ・スケート連盟だって金髪美人のグレーシー・ゴールド推しでしょ?

しかし、それにしてもコストナー選手の見事だったこと! まさかショートでいきなりトリプルフリップ+トリプルトゥループを決めてくるとは思わなかった。単独ジャンプも高さ、幅、勢いがあり、まさに「加点のつくジャンプ」。しかも、ルッツとフリップのエッジの踏み分けの正確さときたら! あれほど明確に踏み分けられるトップ選手は彼女だけではないだろうか。リンクを横切っていくだけで(よい意味での)鳥肌が立つような伸びのある滑りのテクニック。さらに観客を引き込もうとする気持ちの充実と余裕。振り付けもシンプルかつ上品で、彼女こそ最も成熟した、大人であることを印象づける工夫がなされていた。彼女は完全にプログラムを自分のものにしていて、ジャンプに入っていく直前まで笑顔だった。あのコストナーがジャンプの直前にまで見せていた笑顔の示す、心の「余裕」が浅田選手にあったら・・・とMizumizuは思ったのだ。

そして、試合後に、「これほどうまく滑ることができたのは初めて」と自身が振り返って語ったソトニコワ選手。勝負を決めたのは、3つの連続ジャンプのセカンドにもってきたトリプルトゥループだ。後半のダブルアクセル+トリプルトゥループのトゥループの見事な「回り切りかた」は本当に素晴らしかった。完全に回り切り余裕をもっておりてきた。

テレビ画面からでも「あっ、これは・・・(回転が足りてない?)」とわかってしまった浅田選手のダブルアクセル+トリプルトゥループとは違う。あのセカンドにもってくる3回転トゥループの「余裕」が浅田選手にあったら・・・と、これまたMizumizuはため息をついたのだ。
<続く>






最終更新日  2014年10月04日 22時56分36秒

2014年08月09日


自らの信念――あるいは価値観と言ってもいい――を提示し、それにそった流れを作る。バンクーバー後に、ロシアのスケート連盟とスケート界の大物がやったのはそれなのだ。「自らのもつフィギュアスケートのビジョン」を示し、競技をそちらに誘導するためには、ときにはシステムやジャッジの批判も恐れない。

2012年のニースでの世界選手権のあと、タラソワは1位チャン、2位高橋、3位羽生、4位ジュベールという男子シングルの結果とジャッジングについて、彼女らしい率直な言葉で批判を展開した。それを要約すれば以下のようになる。

チャン選手については、カナダ陣営が発揮する強大すぎる影響力によって、チャンと同様の天賦の才をもつ選手が彼と対等に戦うチャンスを奪われている。羽生選手とジュベール選手の順位は入れ替わってもよかった。これは日本スケート連盟の優位性によるもの。ジュベール選手側に立つ審判がいなかった。

このときタラソワは高橋選手を絶賛し、ジュベール選手の肩をもった。どちらもタラソワと縁のある選手だ。タラソワに限らず、欧米の振付師やコーチは必ず、自分の「クライアント」の選手の長所を最大限、自分なりの流麗な表現で宣伝してくれる。それは別に不公正な態度ではない。自分が優れていると「客観的に」判断しているからこそ、彼らとの仕事を引き受けるのだし、彼らのもつ良い部分を世の中にアピールするのは当然のことだ。

翻って日本人は? たとえば宮本賢二の高橋大輔評などは、こうした海外の一流人に匹敵する情熱と華麗な修辞がある。だが、ベテランのコーチから、自分の指導する選手に関する積極的なアピールが言葉で語られることはほとんどない。むしろ、直すべき点や改善しなければいけない部分を前面に出す場合のほうが多い。あるいは、「海外の先生」や「ジャッジ」の評価を語ることはあっても、自分が自分の生徒の素晴らしさを自信をもって話す人がいないのだ。あるいはそれは、ポリシーのようなものかもしれない。日本人が伝統的に良しとしてきた謙虚さと道を究める精神。他人からの評価はその先におのずとついてくるという信念。

だが、残念ながら世の中というものは、一流人ほどの審美眼をもたないものなのだ。どこがどう優れているのが、説明してあげなければわからない。黙っていれば批判はされないが、主張しなければ、顧みられることもない。これが善し悪しは別にして、世界のスタンダードだと言えるだろう。

コーサー・コーチがどれほど巧みにキム・ヨナのスケート技術を宣伝したか、そしてどれほど説得力をもって、羽生結弦のプログラムの周到さを話したか想起してほしい。選手のもつ強みを最大限生かすコーチとしての努力と並行して、オーサーは見事なスポークスマンぶりも発揮している。勢いがあったころのモロゾフもそうだった。日本人コーチの求道精神は敬服すべきものがあるが、欧米の一流コーチのようにクレバーな「言葉」で、世の中の見方を誘導していく努力も、これからは必要だろう。

タラソワが「常勝チャン」の採点について、カナダのスケート連盟の政治的なプレゼンスに言及するのも、当然こうしたスケート界における、一種の「世論」誘導の一環だと言える。タラソワはチャンのスケート技術やジャンプの進化をきちんと評価している。別にチャンに偏見があって採点を非難しているのではない。

タラソワは羽生結弦に対しても、早くから「彼はまさに天才。どうやったらあれほどの才能を与えられるのか、彼の母親に聞いてみたいほど」と彼女独特の表現で称賛していた。タラソワがソチ五輪の男子シングル終了後に、「率直に言って誰も金メダルに値しない。あれほど転ぶチャンピオンは見たことがない」と言ったからといって、さっそく叩いた人がいるが、それが彼女のゆるぎない価値観なのだ。羽生選手自身、自分の中のオリンピックは「ヤグティン対プルシェンコ」だと言っているように、難度の高いジャンプを入れながら、グラリともしないクリーンなプログラムを、五輪という舞台で披露してこそ、名実ともに五輪チャンピオンにふさわしい。ヤグティンを指導したタラソワの抱く五輪王者の姿は同時に、羽生選手の価値観でもあるだろう。羽生選手の五輪後の発言がそれを裏付けている。

例えばこの4年間を羽生選手が大きなケガなく過ごすことができ(それは彼のスケジュールやジャンプの難度を見ると、確率としてはあまりに低いと懸念せざるを得ない)、これまでの男子ジャンプの常識を覆すような高難度プログラムをクリーンに滑りきり、そのときにタラソワがまだ発言できる立場にいれば、彼女は彼女にしかできない修辞で羽生結弦を絶賛するだろう。氷上の皇帝、20世紀で最も傑出したスケーターと呼ぶにふさわしいプルシェンコというレジェンドを、跳べるジャンプの難度だけでなく名実ともに上回る選手が出るとしたら、今一番それに近い位置にいるのは、間違いなく羽生結弦だ。

率直に言えば、Mizumizuはスケーターとしては羽生結弦より高橋大輔の才能を評価しているし、高橋大輔の舞踏表現により深く魅了される。プルシェンコとヤグディンが競っていた時代は、明確にヤグディン派だった。だが、フィギュアスケートがスポーツである以上、競技者としての成績は、個人的な評価や好みとは別に出てくる。かつて、ミーシンは、「プルシェンコとヤグディンはどちらもダイヤモンド。だが、プルシェンコのほうが大きなダイヤモンドだろう」と言ったが、今回のソチの団体戦金メダルで、プルシェンコはまたもそれを証明した。

そしてそのプルシェンコの五輪出場のために、ミーシンもあらゆる手を尽くした。アマチュア資格復活までの青写真を描いたのも彼だし、プルシェンコをバッシングする国内メディアに対して、「彼は誰も行かない道を行こうとしている。悪意ではなく拍手をもって見送ってほしい」と彼らしい詩的な言葉でクギを刺したこともある。

こんなふうに印象的な修辞で、自ら選手の盾になろうとする発言を日本人コーチがすることは、ほとんどない。ジャッジの採点を肯定的に説明したり擁護したりする発言なら多い気がするが。コーチが肯定すべきは、ジャッジの採点行動だろうか? もちろん尊重する必要はあるだろう。だが、自分の価値観もそれ以上に、尊重すべきではないだろうか? さまざまな国の人間が集まる場では、さまざまな価値観がぶつかり合って当然なのだ。

日本のスケート連盟の得意技はといえば、右顧左眄だ。ジャンプの回転不足がアホみたいな減点になっても批判するわけでもない(批判したのは日本人選手のついたロシア人コーチだけ)。ところがルールが変わって減点が緩和されたら、今度は「(回転不足が転倒よりも大きな減点になるのは)以前から変だとは思っていた」などと言って、自分たちの手柄とばかりに説明してみせる。日本のスケート競技関係者がロシア人のように、自分たちのもつ「フィギュアスケートのビジョン」を内外に明確に提示したことがあっただろうか?

ビジョンをもつというのは、女子ショートに(事実上、日本の浅田選手しか試合に入れることのできない)トリプルアクセルを入れるよう働きかけることではない。そんな露骨なルール改正を提案しては、公平性に疑念を抱かれるだけだ。そうではなくて、あくまでフィギュア全体にとって何が必要なのか、フィギュアスケート競技とはどうあるべきで、どういう方向に行くべきなのかについて理論武装をしたうえで、自国の選手が不利益を被らない、そしてできれば強みを生かすことのできるルールを考えることが肝要なのだ。それは何も採点の公正性を希求することと矛盾はしない。

ロシアは自らのビジョンに適う方向に採点傾向誘導し、現行ルールに基づいて高得点を出せるよう選手強化をした。男子シングルでは必ずしもうまく行かなかったが、女子では見事に若い選手の才能が開花した。ロシアから吹いた風に男子シングルで乗ったのは、日本の「ティーン・センセーション」羽生結弦だったが、この喜ばしい結果には、不世出とも言っていい羽生選手のジャンプの才能に加え、自分たちの「敵対勢力」である北米カナダに男子金メダルをやりたくないというロシアの隠れた意思や、羽生選手に金メダルが行けばカナダの英雄オーサーの顔も立ち、今やフィギュア大国となったISUの金ヅル日本の悲願もかなえてあげられるという、各国の政治的な思惑もあったかもしれない。ジョニー・ウィアーの弁を借りるまでもなく、フィギュアは特にオリンピックでは、常に非常に政治的なスポーツなのだ。

高橋選手のアクシデントは、ファンだけでなくフィギュア界全体にとっても、あまりに不幸な出来事ことだったが、あれで日本が金メダル候補を1人に絞れたという事情もあるかもしれない。実際、高橋選手不在のグランプリファイナルで、チャンから羽生へ流れが目に見えて変わり、それが転倒王者・・・じゃなかった、「絶対王者」のチャン選手の焦りと不安を招いた。

<続く>






最終更新日  2014年08月10日 13時37分48秒

2014年08月08日


バンクーバーとソチのフィギュアスケート競技のシングルで何が一番変わったか?

それは言うまでもなくメダルを争うトップスケーター達のジャンプの難度だ。男子シングルでライザチェクが4回転なしで金メダルを獲得した夜、ジャンプの難度向上に心血を注いできた過去の名選手からは批判の声が上がった。ジャンプがまるでボイタノ時代まで逆戻りしてしまったような状況に、カナダのストイコは、「フィギュアスケートが死んだ夜」とまで言っている。

銀メダルに終わったプルシェンコは、「4回転を跳ばなければ、それはもはや男子ではない」として、採点システムと審判に対する批判を繰り広げた。

日本人のスケート関係者は概ね、こうした声には冷淡で、プルシェンコの批判を負け犬の遠吠え扱い。出てきたプロトコルを後付で説明し、システムと審判を擁護しただけに終わっていた。Mizumizuの記憶の範囲で、採点システムあるいはジャッジングの傾向に異議らしきものを唱えたのは、本田武史だけだったと思う(「個人的な意見」としながらも、女子のトリプルアクセルはもっと評価されるべきだと思うと述べていた)。

ほんのわずかな回転不足が転倒より多くの場合、転倒以上の減点になる。今から考えれば、信じられないようなルールがまかり通ったのがバンクーバーだ。Mizumizuの目には、日本人女子に2度連続で金メダルが行かないよう(そうなれば、当然ながら浅田選手に匹敵する力をもち、カナダの「英雄」であるコーチがつき、国きっての有名企業がスポンサーとしてバックアップしているキム・ヨナが金メダルになる)に、男子はこれまで五輪金がないカナダに金メダルが行くように(もちろん、行き先は当時4回転がなかったパトリック・チャンのハズだった)に、数年がかりでお膳立てをしているように見えた。

バンクーバーでのフィギュア大国ロシアの凋落ぶりは目を覆うばかりだった。すべてのカテゴリーで金メダルなし。ロシアスケート連盟の金銭にまつわる腐敗なども取り沙汰され(その急先鋒は、やはりプルシェンコだったが)、次の自国開催のオリンピックまでに、建て直せるのか誰もが懐疑的だったが、結果として、ロシアは「国の威信をかけても金メダルを獲る」と宣言したチーム戦で優勝し、前回メダルなしに終わったペアで金銀を獲得し(このとき、金メダルを「奪還した」とボロソジャル選手が語ったのが印象的だった)、アイスダンスでも銅を確保した。

そして、ジャンプが採点のカギを握るシングル競技。その行方を「予言」した非常に重要なインタビューが2011年6月にThe Voice of Russiaに掲載されている。

http://voiceofrussia.com/2011/06/20/52120950/

プルシェンコのアマチュア資格復活についての記事だが、ここでインタビューに答えているのがAlexander Lakernik氏。ロシアスケート連盟の副会長(当時)、ISU委員、そして大いに尊敬されているジャッジだ。ここで彼は、個人的な意見としながらも、ソチ・オリンピックの男子シングルで起こるであろうことを「予言」している。

ルール改正により、「回転不足が、以前そうであったようには罰せられない(underrotation is not punished so much now as it was before)」ようになったことが助けとなって、「以前より、4回転を入れるリスクを取ることに敬意が払われている(the risk in forming the quads is now respected more than it was before)」。

これはバンクーバーの翌年、多くの男子選手が4回転に挑んできた2011年の世界選手権の結果を踏まえての発言だ。ここでLakernik氏は、ソチではバンクーバーのような状況にはならず、多くのスケーターが4回転を1度、何人かは2度入れ、4回転なしで金メダルを獲れるとは考えられないと述べている。

If you look at this year Worlds, and look at how many quads there were, at least in free skating, it is already a lot, and by Sochi there will be many, many skaters with one quad, and in my opinion there will be some, maybe several skaters with two quads, that is the problem. Yes, correct, Lysacek was the first without even trying the quad, because he tried it before, but the year of the Olympics they decided not to risk. In my opinion, the situation will not be like this in Sochi, because by that time there will be many quads, and I don’t think somebody can win without a quad.

難度の高いジャンプを入れることが勝敗のカギを握る――ソチではまさにその通りになった。優勝した羽生選手はフリーにサルコウとトゥループの2種の4回転を入れ、銀メダルのチャン選手は、4回転トゥループを2度入れてきた。転倒がありながらも、羽生選手が逃げ切って金メダルを獲れたのは、2種類の4回転に加えて、2度のトリプルアクセルを後半に組むなど、「超絶難度」とも言えるジャンプをフリーに組んで、その多くを回りきったからだ。

女子でも、この傾向は顕著だった。メダルを争う女子選手はほとんどが3回転-3回転を入れてきた。女子選手の多くが3-3を「跳ばなくなってしまった」バンクーバーとは雲泥の差だ。このようなジャンプ重視の競技になるよう流れを作ったのは、明らかにロシアなのだ。

それはロシアのフィギュア(特にシングル競技)に対する信念と言ってもいい。「フィギュアスケートは進歩していくものだから(プルシェンコ)」「これはスポーツ。より難しいことを成した選手が勝つものだ(タラソワ)」「演技・構成点は技術点とのバランスを取るべきだ(ミーシン)」。いずれもバンクーバー五輪由来(苦笑)の、主観に大きく左右される演技・構成点で勝敗が決まる流れを批判するものだ。そして、個人的意見としながらも、「ソチではバンクーバーのような状況にはならない」と、何年も前に発言したロシアスケート連盟の重鎮。

そのAlexander Lakernik氏は、ソチで女子シングルのテクニカルコントローラーを務めた。

http://www.isuresults.com/results/owg2014/SEG004OF.HTM

女子フリー終了後、アメリカのテレビ局でクワンが、ジャッジの構成員の人間関係に疑惑があるという声もあるようだが・・・という司会者の質問を受けて、ソトニコワ選手とキム選手のジャンプ構成の難度の違いを挙げ、「現行システム下では、ソトニコワの勝利」と言い切ったが、その流れを作った大物が、ジャッジ席にいたのだ。

キム選手の演技の「芸術性」や「円熟味」がたとえソトニコワ選手より上だったとしても、それだけでは勝てない。バンクーバーのときは、ダブルアクセルを3回跳べばトリプルループ並みの点になったかもしれないが、ダブルアクセルの基礎点は下がり、回数は制限された。トリプルループを回避したら、連続ジャンプのセカンドにトリプルトゥループを2度入れることはできなくなったのだ。

キム選手のジャンプの強みはセカンドのトリプルトゥループにあった。ダイナミックな3-3に加えて、難しい入り方でダブルアクセル+トリプルトゥループを軽々と決める。しかも、プログラム後半に。トリプルループを回避したことで、ルール上キム選手は、3-3と並ぶ彼女の強みをプログラムに入れることができなかった。

一方のソトニコワ選手は前半の3-3に加え、後半にダブルアクセル+トリプルトゥループを入れ、しかもセカンドのトリプルを目の覚めるような鮮やかさで回りきっておりてきた。彼女が五輪女王になったのは、Mizumizuには当然のことだったし、クワンや田村氏の解説も同様だ。

そして差のつかなかった演技・構成点。ここにMizumizuは「尊敬される」ジャッジでもあり、演技審判を指導する立場にもある Lakernik氏の影響力を見る。それは政治的なものだと言えるかもしれないが、不公正の証明ではない。「トップを争う選手に演技・構成点で順位をつけても差はつけない」というのは、むしろ公平さの証明だといのがMizumizuの、何年も前から一貫した主張だからだ。


<続く>







最終更新日  2014年08月08日 07時32分18秒

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