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2014年04月18日
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カテゴリ:Gourmet (Sweet)

フィギュアスケートの名演技を彩った名曲たち~ミュージック・オン・アイス 羽生結弦 パリの散歩道 浅田真央

日本橋高島屋にほど近いマンダリンオリエンタルホテル東京。
ここのグルメショップがリニューアルして、カジュアルなカフェになっていた。

IMG_20140413_131832.jpg

基本セルフサービスで、飲み物はスタバを彷彿させる紙コップ。全体的なコンセプトは、丸の内のロブションカフェに似ている。こうやってどんどん高級店がカジュアル展開していくのは、日本特有の風潮にも思える。

それでも、一応はマンダリンオリエンタル。ショーケースに並んだスクエアな形のケーキは、宝石めいた魅力があった。

いくつか食べた中で、傑作だったのが、柚子風味のレモンタルト。

IMG_20140413_131810.jpg

きっちりとしたスクエアなデザインに、メレンゲが行儀よくふくらんで並んでいる。フォルムはシンプルだが、味はなかなか複雑。さっくりした下地のタルトに、ふんわりとのったレモンのしっかりした酸味。ホワイトチョコの甘さも隠れているようだ。柚子はほとんど主張しない。

レモンといえば、エズ(南仏)の星付きレストランで食した、独創的なレモンのデザートを思い出す。マンダリンオリエンタルのケーキも十分に個性的。チョコレート系はその個性が好みと微妙にずれたが、柑橘系はぴったりとはまった。

リピートしたい逸品。






最終更新日  2014年04月18日 21時17分02秒

2014年04月13日


1万8000人という空前の観客を集めた2014フィギュアスケート世界選手権in Japan 女子シングル。

その立役者は、当然ながら浅田真央だろう。鈴木選手や村上選手も当然人気はあるだろうが、浅田真央というスターなくして、この破格の観客動員数はあり得ない。

ソチ金メダリストのソトニコワ選手も、銀メダリストのキム選手も出なかったのだから、一部マスコミがさんざん煽ってきたライバル対決を見たくて人々が押し寄せたわけでもない。最大の注目は浅田真央という輝ける「スター」の演技そのもの。1つの芸術作品といってもいいプログラム、ソチでは失敗に終わったショートの完成形を、そして奇跡としかいえないようなソチでのフリー演技の再現を見ることができれば…そんな気持ちのファンが多かったのではないだろうか。

ワールドで3度目の金メダルを獲得した後、日本橋高島屋では浅田真央関連のイベントが催された。日本橋にはよく出没するMizumizu。馴染みのデパートに足を運んでみると、そこには通常の休日では考えられない光景が繰り広げられていたのだった。

まずは、ショーウィンドウにディスプレイされた浅田真央の代表的プログラムから選び抜かれた写真(2枚1組)。

IMG_20140413_104138.jpg

『鐘』の鬼気迫る印象的なポーズ。「動の中のほんのわずかな静」の一瞬を切り取ったときでも、浅田真央は本当に美しい。

演技のビデオが音楽とともに流されており、思わず足を止めて見入ってしまった。当時、「重い」とか「暗い」とか一部で叩かれたプログラムだが、今見ると重厚で、安い媚態とは無縁の煌々たる品格があり、歴史の波に洗われて、さらに輝きを増すような名プログラムだ。

ふいに魂を鷲掴みにされたような、涙が出てくるような感動がこのプログラムには潜んでいたのだ。当時、それに気づいたファンがどれくらいいただろう? 日本に生を受けた氷上の女神に、自らの芸術論すべてを注ぎ込んでくれたタラソワに対して、今さらながら申し訳ない気持ちになった。

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『愛の夢』は、見るものをうっとりさせ、このうえない幸福感とひそやかな高揚感とで満たしてくれる。天上のカタルシスとも言うべき魂の化学作用のあるプログラムだった。

写真のチョイスも、その至福のときを想起させる微笑みのアップ。

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そして奇跡ともいえるラフマニノフ『ピアノ協奏曲第二番』。高橋大輔を含めて、過去に幾多の名スケーターが滑った楽曲だが、浅田真央の4分はそのすべてを吹き飛ばしてしまった。

ラフマニノフのあの名高い旋律が流れるたびに、浅田真央の超絶技巧のステップが浮かんでくる。それはおそらくMizumizuの命が尽きるその瞬間までそうだろう。ミシェル・クワンが涙とともに口にした、「永遠に忘れられない」というシンプルな一言もおそらくは同じ意味だ。

女子でありながら、女子を超えた技術、フィギュアスケーターの誰も到達しえなかった高い芸術性。ラフマニノフという音楽界の巨匠に比肩する才能がついに氷上に現れた。そんなふうに思わせる奇跡のプログラムだった。

左側の写真では、顎から胸にかけての上品なラインに目を奪われる。確かにこうした、凛とした気品も浅田真央の魅力の1つだ。

高島屋内に入ると、さらにすごいことになっていた。

IMG_20140413_104643.jpg

華麗なパネルと浅田真央関連のテレビ番組が流れ、等身大のロウ人形が展示されている。そこに人が群がって写真撮影。

IMG_20140413_104630.jpg

非常によくできた人形だった。細く華麗な浅田真央の天性の美しさに改めて溜息。

関連グッズ売り場はご覧のとおり、黒山の人だかり。

IMG_20140413_105152.jpg

こんなに高島屋の1階に人がいる光景は、ほとんど記憶にない。

8階のイベント会場は、またさらにすごい。4階まで行列がのび(それでも30分ほど待てば入場できた)、衣装やメダルを展示した特設会場は、入場制限をしているというのに、ガラスケースの前に行くには根性と忍耐が必要なくらいだった。

歴代衣装はテレビや会場で見るより、ずっと繊細で細かく手が込んでいるのがわかる。ここは写真撮影は禁止で、そのかわり、浅田選手のパネル(笑)の横で、用意された花束をもって記念撮影ができる計らいになっていた。

最後にはスポンサーが商魂たくましく、浅田真央関連グッズの宣伝を繰り広げていた。1階でも「こんなにあるのか」と驚くほどの浅田真央関連グッズのラインナップだったし、いやはや、浅田真央はすでに「現象」を超えた「一大産業」なのだと実感。

「氷上の妖精から女神へ」というキャッチフレーズも、まさに言いえて妙。フィギュアスケートという狭い世界を超えた影響力をもち、さまざまな芸術家にもインスピレーションを与えてきた天上人。

その才能に群がり、商売に利用している地上人のなんと多いことか。浅田真央で本当に大儲けしたのは、いったい誰だろう? 

美味しすぎる果実を手離したくなくて、「現役続行を!」と連呼・合唱するのなら、選手に理不尽ともいえるような努力を強いるだけではなく、今の採点の著しい偏りを少なくとも問題視し、議論の机上にあげるのが先ではないのだろうか?

すべての判定がおかしいとは言わないが、「ソチの3-3は回っているじゃないか」と公けの場で発言したのが、スケート関係者では現役を退いたばかりの織田選手だけというのは、おかしいのではないか?

浅田真央という奇跡の天上人。そこに群がる無能で強欲で無責任な地上人。この鮮やかなコントラストに、また溜息が出た高島屋の休日だった。












最終更新日  2014年04月14日 17時01分03秒

2014年03月27日

【送料無料】 日本男子フィギュアスケートFanBook CuttingEdge2014 SJセレクトムック 【ムック】

五輪直後に日本で開催された世界選手権。1万人を超える収容人数を誇る埼玉スーパーアリーナは、観客がぎっしり。その煌びやかさと盛り上がりは、ソチ五輪がいっそ辺鄙な地方大会に思えたほどだった。

さすがに空前のフィギュア人気に沸く日本。2013年にチャンの地元カナダで行われた世界選手権(7000人規模のアリーナ)とは雲泥の差だ。このときISU副会長は、「北米で主要大会が広いアリーナで行われていた日々はもう戻ってこない」と述べた。

http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPTYE92I01A20130319

それとは対照的な2014年のワールドin Japan。チャン選手、高橋選手、テン選手といった有力選手が欠場するなか、会場に詰めかけた多くの観客の関心と期待は羽生結弦に集まっていただろう。だが、3月26日男子ショートの夜を支配したのは、若き五輪王者ではなく、昨シーズンまでは日本代表候補でもなかった町田樹だった。

だが、考えてみれば町田選手もまた、才能豊かな逸材だった。同世代に高橋大輔がいなければ、彼の情感表現はもっと賞賛されただろうし、日本以外の国だったら、とっくに世界のひのき舞台で活躍していたはずだ。あと一歩のところで「3枠」に入れず、世界選手権に行けなかった町田選手が、今シーズン高い確率の4回転を手に入れて一挙に世界トップと争えるだけの力をつけたのは、大きな驚きだったし、喜びでもあった。

彼はもともと、もっと高く評価されてしかるべきだったと思う。たとえば、『黒い瞳』。他に日本人の有力選手がいたとばっちりで(とMizumizuは思っている)、点は伸びなかったが、非常に印象的なプログラムだった。

「町田樹史上最高」と自ら評する『エデンの東』は、驚異的なジャンプと少年期に別れを告げた青年の瑞々しい情感表現が同時に味わえる傑作プログラムだ。

今回、音楽と一体になった感情表現では世界でもはや並ぶ者のいない高橋選手、それに彼が滑ると急にリンクが高速リンクになったように見える、「よく滑るテクニック」では世界一といっていいチャン選手がいなかったのも、町田選手に幸いしたと思う。

オリンピックシーズンに調子を崩す選手は多くても、オリンピックシーズンに高度なジャンプをここまで安定させた選手は珍しい。今季の町田選手の4回転には、高橋選手や小塚選手のような不安定さがなかった。

きれいな放物線を描くジャンプは、高さと飛距離のバランスもよく、回転軸もしっかりしていて速く、回り切っておりて来ることができる。この「回り切っている」感は、現行ルールでもっとも大事なこと。羽生選手と並んで、ジャンプの確率と質で他の日本人男子を凌駕したからこそ、町田選手は五輪への切符を手に入れることができたのだ。

加えて、町田樹選手の持つ独特な感性。天性のダンサーとは言えないが、自分を自分で演出できるプロデューサー的な知性と感受性が彼にはある。何かを訴えるように、あるいは何かを乞うかのように、全身全霊で観客に訴えかける姿は、感動的で印象的だった。

「エデン」という、この世にない理想郷を胸に秘め、現実世界の中で苦悶する若者。すでに少年ではないが、大人になりきることにまだ抵抗している青年の、危うくも切実な想いを表現した今回のプログラムは、あまり世間に知られていなかった町田樹という人のもつ内面的な魅力を豊かに、存分にアピールした。

私たちがこの夜見たのは、あるいは少なくとも見たと思ったのは、町田樹の人生そのものだっただろう。

難度の高いジャンプの質の高さももちろん手放しで賞賛されるべきだが、この表現の力こそがフィギュアの魅力、いや魔力といっていい。そして感無量といった面持ちでパーフェクトな演技を終えた選手に、海のような観客が波のように立ち上がり拍手する風景こそ、フィギュア競技の真髄。それを目撃できたことはMizumizuにとっても大いなる喜びだった。

観客に向かって何度も丁寧にお礼をする町田選手は、やまないカーテンコールにこたえる役者だった。今夜、別の選手を目当てに来ただろう観客も、惜しみない熱狂を町田選手に送っていた。この一般のファンのフェアな姿勢も、日本が世界に誇れる美徳だと思う。

この瞬間を迎えるまでの町田選手の道のりはイバラのそれだっただろうことは、容易に想像できる。天賦の才で彼を凌ぐ選手が同時代の同国にいたからだ。

だが、どんな天才でも生身の人間。怪我もするし、失敗することもある。自分自身が進歩し、完璧な演技を自分なりに追求する。そして巡ってきたチャンスをつかむ。さんざん採点で不遇な目に遭い(Mizumizuから見て、だが)、大事な試合でさんざん自爆してきた町田選手が2014ワールド・ショートの夜に成し遂げたことは、誰にとっても教訓になるだろう。

しかし…

演技構成点はもはや、まじめに論じる気にもならないほどめちゃくちゃだ。

チェコの選手に対する冷遇ぶりは、チェコ人でないMizumizuでも怒り心頭。オリンピックで金がもらえなかったといってISUに文句をつけているのが、さんざん優遇採点されてきた韓国だというのも、ブラックジョークの世界。

今回は中国の若手選手に対する「上げ」があまりにあからさまだ。平昌五輪に向けて巨大市場中国に強い選手を作り、キム・ヨナバブルに沸いた韓国、それに空前のフィギュアブームを謳歌する日本からそうしたように、中国からもうまい汁を吸おうという上部組織の思惑が見え見えだ。

ジュニアから上がったばかりのハン・ヤン選手のスケート技術(8.32点)が、ワールド銀メダルの実績を持つスケートの天才・小塚選手(8.29点)、比類なき成熟度を誇るベテランのベルネル選手(8.18点)、全米王者で、もう今では彼にしかできないような大人の洒脱さと品行方正さを氷上で表現してみせたアボット選手(8.04点)より高いとは…

呆れてものが言えないとはこのことだ。




















最終更新日  2014年03月28日 00時52分57秒

2014年03月04日


こちらの記事によると、ソチに来ていた某ジャッジが、ホームアドバンテージについて以下のように語ったという。

http://number.bunshun.jp/articles/-/792736
「まず地元の観客の応援に押されて選手が良い演技をする、ということももちろんある。またジャッジも人間ですから、会場の雰囲気にある程度影響されます。盛り上がると、つい気前よく点を出すこともあるでしょう。そして滞在して世話になっているホスト国に対して、できるだけ好意的に採点してあげよう、という心理だってあると思う」
 だがそれは、勝つ資格のない選手を無理やり押し上げることではない、と彼は強調する。
「基本条件は、選手が良い演技をすること。ここでも団体競技ではリプニツカヤがノーミスで滑って高い点を出しましたが、個人戦ではミスをして、その分きっちり減点されています。選手がやるべきことをやらなければ、ホームアドバンテージもつけようがないんです」


またこれだ。絶対評価の中に入りこみようのない「ホームアドバンテージ」が現実にはあるとジャッジが言ってしまっている。いかにタテマエが有名無実化しているかという証左だろうが、とりあえず、それはここではもう突っ込まない。

ジャッジが「好意的に採点してあげよう」と思う選手がいるとすれば、そうでない選手もいるということなのだ。まあ、実際の採点行動を見てれば、そんなことはとっくに明らかだが。

そして、ソトニコワは非常にいい演技をした。だから点が出た。

だが、彼女の演技・構成点を「異常に高い」と思った人がいたそうだ。同じ記事からの引用(アイスダンスの五輪チャンピオンの男性ペイゼラの意見)が以下。

異常に高かったソトニコワの5コンポーネンツ

「順位は、このままでいいと思います。ただ6ポイントもの点差がついたことは、納得がいかない」そう説明するのは、前述のペイゼラである。
 ソトニコワの、表現などを評価する5コンポーネンツが高すぎるというのだ。
 1月に行われた欧州選手権で銀メダルを手にしたとき、ソトニコワのフリー演技の5コンポーネンツは69.60で9点台を出した項目は一つもなかった。だがソチでは5項目中4項目で9点台を取り、74.41と5ポイント近くも上がっている。キムの74.50とほとんど点差がない。
「たった一か月でアドリナのスケート技術や表現力が、急激に上達したのか。ベテランのヨナとほとんど差がないほどの表現力が身についたというのは不思議です」とペイゼラ。そしてあれほどの演技をした浅田真央のフリーよりも、点が高いことにも納得がいかない、と主張する。


ベイゼラ氏はソトニコワ1位、キム2位という順位には異存がなく、ただ、ほんの1か月かそこら前には9点台を出した項目のなかったコンポーネンツがソチでは4つ9点台を取ったのが「異常」だと感じたらしい。

なるほど。

ソトニコワ選手の演技・構成点を「疑惑の高得点」だと断じている人たちの多くは、これを根拠としている。

だが、かつてキム・ヨナ選手の演技・構成点が急に上がったとき、非常に驚き、これでは「まるで発狂花火」と強く批判したMizumizuからすれば、何を今さら…だ。

2009年の3月の記事から引用すると、キム選手の演技・構成点は、4大陸選手権から世界選手権の短期間に、突然それぞれ0.5点から0.85点もいきなり上がったのだ。

スケートの技術 (4大陸)7.6→(世界)8.45  0.85点もアップ  
つなぎのステップ (4大陸)7.1→(世界)7.75 0.65点もアップ
演技(パフォーマンス) (4大陸)7.65→(世界)8.5 0.85点もアップ
振付  (4大陸)7.55→(世界)8.05 0.5点もアップ
音楽との調和(解釈)  (4大陸)7.65→(世界)8.15 0.5点もアップ

同じことをしてるだけなのに、こんなにいきなりすべてのコンポーネンツが上がる。こんな「異常」事態を、スケート関係者はほとんど批判も非難もしなかった。

しかも、キム・ヨナ選手の演技・構成点はこんなものじゃ済まなかったのだ。

バンクーバー五輪の前のグランプリファイナルとバンクーバー五輪のキム選手のフリーの演技・構成点。
7.95→9.05  1.1点アップ
7.35→8.60  1.25点アップ
7.75→9.15  1.4点アップ
7.60→8.95  1.35点アップ
7.80→9.10  1.3点アップ

グランプリファイナルでは、キム選手はセカンドの3トゥループにミスが出て、いい演技ではなかった。五輪では素晴らしい演技をした。だが、演技内容は同じだ。それが短期間に、こんなにも気前よく上がった。前代未聞ではないか?

ソトニコワ選手のことを「1か月でスケートの技術も表現も上がったというのか?」というのなら、グランプリファイナルからバンクーバー(この年はキム選手は四大陸に出ていないので、五輪直近の試合がファイナルになる)のときのキム選手のこともそう言わなくてはフェアではない。

ちなみに、「異常」だというソトニコワ選手のユーロと五輪のフリーの演技・構成点の上がり幅を数字で見てみると、キム選手よりは控えめだ。

欧州  ソチ五輪  アップ幅
8.65   9.18   0.53点
8.50   8.96   0.46点
8.75   9.43   0.68点
8.86   9.50   0.64点
8.75   9.43   0.68点

ユーロのソトニコワ選手は出来がよくなかった。最初の3回転+3回転はセカンドジャンプが入らなかったし、他のジャンプにもミスがあった。

欧州選手権でジャンプにミスの目立ったソトニコワ選手が、この短期間であそこまで仕上げてきたのは賞賛に値する。五輪のフリーの目立ったミスは3連続の着氷時だけ。本当に素晴らしい出来だった。

この得点のインフレが、ホームアドバンテージだというのなら、キム選手は祖国でもないカナダの五輪で、祖国開催以上のホームアドバンテージをもらったということになる。

どっちが「異常」ですか? 

今回の五輪がロシアだということで、ここぞとばかり採点を叩いている欧米メディアもあるが、元祖・納得できない高得点を出したのは誰なのか。

演技・構成点がいきなりインフレしてはいけないというルールは何もない。ただ、キム選手がこういう点を得る前は、いわば「ガラスの天井」というのもがなんとなくあり、それがだいたい習慣的に守られていた。

絶対評価だから、たとえば「スケートの技術」などは、試合によって極端に上がり下がりしない。その分、選手はたとえ小数点以下のわずかな数字であっても、上げてもらえるように技術を磨く。

その「ガラスの天井」が突然引き上げられたのがキム選手に対する演技・構成点だ。それが問題だというのなら、最初に「異常」が起こったときに、「おかしい」とスケート関係者が声をあげなければダメだろう。

バンクーバーのキム選手に対しては何も言わず、キム選手よりは実際にはインフレ幅の少ないソトニコワ選手をつかまえて、「たった1か月でアドリナのスケート技術や表現力が、急激に上達したのか」と言っても、すでに前例のあることなのだから、「そういう点も出せるのが今のシステムだ」で終わりだろう。

いや、バンクーバーのキム選手の得点についても、声をあげた人はいる。だが、それは主にロシア人で、多くの日本人はキム選手を褒め称え、得点については浅田選手の「完敗」で片づけて、精査することもなかったのだ。

当時浅田選手のコーチだったタラソワもジャッジに対して怒りを爆発させた。だが、そのタラソワを日本人はむしろ叩いたのだ。プルシェンコに対してもそうだった。4回転を跳んだロシアの偉大なる皇帝が、ライザチェクに負けてジャッジを批判したとき、多くの関係者や一般人は、「負け犬の遠吠え」と冷ややかだった。

ところがソチで、金メダルが高度なジャンプを武器にする、そしてプルシェンコ選手を心から尊敬している(天才は天才を知るのだ。プルシェンコ選手を評価できない選手など、自ら三流・四流だと言ってるようなものだろう)羽生選手に来ると、今度は「皇帝から若き王者へ」なんて言って、プルシェンコを持ち上げている。

なんと日和見主義の国だろうか。4年たって流れは変わった。その流れを作ったのは間違いなくロシア。そこにうまく乗ったのが、カナダ人コーチについた日本の天才ジャンパー・羽生選手なのだ。

バンクーバーと同じ価値観、「トータルパッケージ」なんたらで、プログラムの完成度をジャッジが勝手に高評価したり低評価したりする採点の傾向が続いていたら、4回転サルコウでコケ続けている19歳の若者に金メダルのチャンスはなかった。

ロシアから吹いた風、カナダのもつジャッジングシステムに対する理解力(と恐らくは影響力)。周囲のサポート。本人のたぐいまれな才能とコンディション。それに対する他の有力選手のコンディション。4年に1度しかないイベントで、すべてがうまくはまったのが羽生選手だったのだ。

女子では、それがソトニコワ選手だった。

さすが、ロシア。カナダと韓国が何年もかけて下地を作ってやったことを、彼らよりはるかに短期間でやり返した。

いえ、もちろんロシアのスポーツ相の言葉を借りるまでもなく、「権限はロシアにはなく、ジャッジがルールに基づいて判断した結果」ですけどね。

こんなシナリオは、ジャッジには書けない。今のジャッジは、「スーパーのレジ係」に喩えられるほど、権威が落ちている。ジャッジを指導する立場の人間が流れを作り、優れたコーチがそれに合わせて指導をする。そして、なんといっても、それに応えられるだけの才能をもった選手がいなければできないことだ。

ソトニコワ選手は「伏兵」だったのか? いや、ソトニコワ選手はロシアの本命だった。仕上がりが遅かったのが、ロシアにとってはむしろ誤算だったかもしれないが。

スケート経験者にはわかっている人もいたようだ。こちらの記事。
http://blogs.yahoo.co.jp/sawakichi_job/archive/2010/12/20

3年以上前の記事だが、ソトニコワ選手は、「ジャンプを劣化させなければメダル間違いなし」とある。関係者の間ではそのくらいの逸材として評価されていたということだ。確かにここ数年、ソトニコワ選手はジャンプが不安定だった。だが、それを安定させて金メダルを獲った。

決して伏兵のタナボタ勝利ではない。それがわかったスケート関係者もいる。

「ロシアは勝つための準備をがっちりしてきた」(ストイコ)。

<以下、後日>






最終更新日  2014年03月05日 03時50分31秒

2014年03月01日

AERA(アエラ) 2014年3/3号 【表紙】 浅田真央 涙の有終[本/雑誌] (雑誌) / 朝日新聞出版

だが、とにもかくにも、ご都合点…いや、主観点である演技・構成点に対して、あっちが高すぎる、こっちが低すぎると言い出したら、本当にラチがあかない。参加しているのは上位選手だけではないから、下位でも良い演技をしたあの選手は、なぜあんな点なのかということになる。突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるのが主観点ではないだろうか。

今回ソトニコワ選手とキム選手に対してジャッジが下した評価は、演技・構成点ではキム選手がトップでソトニコワ選手が2位。だが1位と2位の差はわずか、ということ。それ以上でも以下でもない。

むしろ、バンクーバー五輪のように、1位と2位で演技・演技構成点が4.72点「も」差がつくほうが不自然だと思うが、どうか(バンクーバーでのキム選手が71.76点、浅田選手が67.04点)。

メダルを争う選手に対して、演技・構成点では「順位はつけるが差はつけない」という方向に、採点の方向性が変わったというのなら、「バンクーバー2年前」以前の採点傾向に戻ったということだ。すると技術点で勝負がつきやすくなり、勝敗の分析も客観的な視点で解説しやすくなる。そのほうが、少なくとも世界トップを争う選手に対して、好みの入る主観点で大きく差をつけるよりはるかに公平でわかりやすいと思うが、どうか。

根本的な問題として、フィギュアスケートで「技術点」重視で勝負をつけることに、何か問題があるだろうか?

もちろん、「ある」のだ。これは永遠にフィギュアスケート競技においてせめぎあう問題。「技術」か「表現」か。これを少し発展させたのが、「フィギュアスケートは、スポーツか芸術か」といった視点での論議だ。

技術点重視になると、配点の大きなジャンプで勝負が決まってくる。そうすると、特に女子の場合は若くて軽い選手のほうが有利になる。ジャンプ大会にさせないために演技・構成点がある。今のルール運用を見ると、ジャンプだけでは勝てない。それなりの表現力をもった選手、もっと正しく言えば、「表現力をもっていると現場のジャッジに評価された選手」でなければ上に来られないようになっているというわけだ。

「表現力をもっていると現場のジャッジに評価される」ために、年齢や経験は、理論上は、さほど関係ないだろう。年齢とともに表現力を身につける選手もいるだろうし、最初から大人顔負けの表現力をもった少女もいるだろう。たとえば、旧採点時代、リレハンメル五輪で金メダルを獲ったバイウル選手は、ジュニアからシニアに上がっていきなり世界トップのセカンドマークをもらっていた。彼女の表現力が若くして評価されたのは、バレエの素養がずば抜けて高かったからだ。

今回、ソトニコワ選手にしろリプニツカヤ選手にしろ、現場のジャッジは、世界の頂点を争うにふさわしい表現力をもっていると評価した。彼女たちの長所、それから短所(たとえば、まだ若いから滑りが成熟していないといったこと)も加味したうえで、そう判断したことになる。そのうえで、あの点が出た。ジャッジの採点行動から読み取れるのは、そういうことだ。

このジャッジの採点行動について、自分の意見と合わないという主観的印象論以外に、「疑惑」を客観的に裏付けられる根拠がありますか?

Mizumizuはもう何年も前から「点はまだいくらでも吊り上げることができる。世界トップを争う選手が、演技・構成点の5つのコンポーネンツで、9点台前半を出そうが後半を出そうが、おかしくはないのだから」という意味のことを書いた。

そして、現実にそうなってきているということだ。

今回ソトニコワ選手は5つのコンポーネンツで、8点台後半から9点台半ば、キム選手も同様、リプニツカヤ選手は8点台半ばから9点台ぎりぎりまでの幅で得点を得ている。

これを、過去の実績や他の選手のこれまでの実績と比べて、つまり比較を根拠として、「高すぎる」と非難しても、絶対評価に対しては意味をなさない。主観にもとづく印象論で、「この選手に9点台は高すぎる」と非難するのは、もちろん論評は自由だが、単なる「価値観の相違」の域を出ない。

現行のシステムは、タテマエ上はあくまで、「比較」ではなく「絶対評価」で出されるものだから、世界トップレベルの選手が8点台後半の点をもらおうと、9点台前半の点をもらおうと、あるいは9点台後半の、10点に近い点をもらおうと、そのことは何もおかしくないだろう。

こうやって勝たせたい選手の点を吊り上げる。だが、それを「不正」と言えるだろうか? 得点はジャッジ団の総意として出てくるものだ。ジャッジのそれぞれの採点行動は、あくまで「世界トップの技術と表現力をもつ選手の良い演技に対して、高い評価を与えた」だけなのだ。

キム選手とソトニコワ選手の5コンポーネンツは、それぞれどちらが高いかということで、順位づけはされた。ただその差がわずかだった。そのわずかの差が「おかしい」のか「適切」なのかの判断は、多分に主観にもとづく印象、あるいはフィギュアスケートの技術や表現に対する価値観によって異なり、つまりは、客観的な論拠をもたないのだ。

ソトニコワ勝利に疑問をもたない専門家の多くが指摘するのは、特に後半のキム選手とソトニコワ選手の「攻める姿勢」の違い。キム選手は、ミスなく要素をこなそうと、しばしば慎重になり、スピードが落ちた。それが「無難にまとめた」という印象につながる。ソトニコワ選手は前半、静かに演技を始め、後半感情を爆発させて、最後まで勢いよく攻め切った。

五輪の女王の称号は、歴史的に見ても、フリープログラムで迷いなく攻め切った選手に与えられる傾向がある。長野のリピンスキー対クワン、ソルトレイクのスルツカヤ対ヒューズでも、勢いのあった若い選手に軍配が上がっている。

実績のあるビックネームから伸び盛りの新星が金メダルを奪うというのも、オリンピックではよく見る光景だ。今回もそうなった。女子シングルもそうだし、男子シングルもそうだ。何も不思議はない。

こうやって出てきた点をもとに、いくらでも後付で説明できる。実によくできたシステムではないか!

では次に、(2)の「ソトニコワ選手の演技・構成点が急に上がったのはおかしい」という点について検証してみよう。

<以下、後日>

ソチオリンピック放送をぜんぶみる! 2014年2月号 【表紙】 浅田真央、羽生結弦、高橋大輔 ほか[本/雑誌] (雑誌) / NHKサービスセンター







最終更新日  2014年03月01日 13時40分28秒

2014年02月27日


演技・構成点が、他の選手に比べて妥当かどうかという問題なら、たとえばコストナー選手への評価はどうだろう? 驚くぐらい伸びるスケート技術を披露し(滑る技術で言ったら、女子ではコストナーが世界一ではないだろうか)、独創的で、キム選手以上に成熟したエレガントな演技で観客を魅了した銅メダリストの演技・構成点は73.77点。世界中のファンや有名スケーターがこぞって絶賛した浅田選手は69.68点だ。浅田選手は失敗したリプニツカヤ選手の70.06点より0.38点低く、ほぼ同じ仕分けになった…もとい、ほぼ同じ点しか出なかったのだ。15歳の少女と、ですよ?

それは「滑走順」のせいだとスケート関係者は言う。

日本スケート連盟名誉レフリーの杉田秀男氏は、「正直にいって得点はもう少し伸びてもおかしくない。演技順が早かったことで、演技構成点が抑えられたのだろう」と当たり前のように書いているし、佐野稔氏は、次のように述べている。

http://no-border.asia/archives/19414
●低く抑えられた得点は、滑走順の影響か
それほど見事だったのに、フリーの得点だけを較べても、浅田はアデリナ・ソトニコワ(ロシア)とキム・ヨナ(韓国)に及びませんでした。正直なところ、演技構成点については、もっと高くて良かったのではないかと、私も感じています。それでも、浅田の得点が低くなった理由のひとつには、滑走順の影響があったように思います。

彼女は第2グループの最終滑走でした。それまでに滑った11人の選手とは、明らかに演技のレベルが違っていました。ですが、採点する側の心理を考えたとき、すでに滑走を終えた11人との比較で、ひとりだけあまりに飛び抜けた点数はつけにくい…といった気持ちが、点数を抑える方向に働いたのではないでしょうか。<引用終わり>


滑走順がどうのとういう説明は、現実にはそういうことはあるかもしれないし、そういうこともあるのだと現場のスケート関係者が思っているだけのこと。そのこと自体を間違っているとか正しいとか言うつもりはないが、絶対評価という原則から見れば、「滑走順で抑えられた」という説明には正当性はない。むしろ、そういうことはあってはならないハズだ。

佐野氏の結論は、結局はこうなる。

もし仮に、最終滑走グループのなかに入って、浅田があのフリーの演技をしていたら、違う得点になっていたのかもしれません。そうした「不確定な要素」が結果を左右することは、人間が採点する競技である以上、ある程度仕方のないことです。もちろん、はたして最終滑走グループだったときに、浅田があの演技をできていたのか。それは誰にも分からない話です。また、その滑走順にしても、SPでの浅田の失敗に拠るものです。案外浅田本人は、周りが感じているほど順位や得点に対して思うところはなく、自分が集大成と決めた舞台で、納得のいくスケーティングができた達成感のほうが大きいのかもしれません。

確かに、金メダルが目の前にぶら下がった状態で、浅田選手にあの演技ができたかどうかは、わからない。だから「滑走順が違っていたらば、もっと点が出ていただろう」というのは、無意味な仮定法で、ただ、「演技・構成点がメダリストに比べてかなり低かった」という、得点を見て一般人が(当然)疑問に思うであろうことを後付で説明するために言っているにすぎない。

「あの演技でフリー3位なの?」というのは、しごくもっともな疑問だと、Mizumizuも思う。

絶対評価を謳うシステムなのに、自国選手に理不尽な点が出ても、このように「仕方がない」と言って済ませているのが日本のスケート関係者だ。あげくに、選手は採点に思うところはないなどと決めつけて、はい終わり。

選手本人が言えるわけないでしょう!

キム・ヨナ選手のセリフではないが、選手が採点に納得いかなかったら、どうしろと?

佐野氏は回転不足判定には「運」「不運」があるという。NHK杯の織田選手への判定について。

http://no-border.asia/archives/16451

織田の4回転トゥループと、成功と判定された高橋の4回転トゥループを比較しても、回転そのものに大きな違いがあったようには思えません。ですけど、ふたりがジャンプしたリンク内の地点は、まったく別のところでした。もしかすると、判定に使用するカメラの位置からだと、織田のジャンプが回転不足に見えたとしても仕方ないような角度だったのかもしれません。

あくまで私の推測ではありますが、こうなってくると「運」「不運」の範疇になってしまいます。ですが、それもまたスポーツを構成する要素の一部だと言うしかありません。


あっちから見ると回転不足に見え、こっちから見ると回転が足りていたように見える…そんな不確かな条件で、一方向から見たカメラのみで判定するのは無理があるのではないだろうか? それならば少なくとも判定に使うカメラ数を増やすなど、判定の信頼性を高める努力をすべきなのに、そういった提言はスケート関係者からついぞ聞かれることはない。

これが他のスポーツだったらどうだろう? 判定は覆らないとしても、あとからさまざまな角度から見て審判の判定を検証するということは普通になされている。そうやってより精度の高い判定を目指し、審判に対する信頼を高める努力をする、それが正しいあり方ではないのだろうか? 現行のルールで非常に大きな減点となる回転不足判定について、自国の選手が不利益をこうむっているのに、「運が悪かった。これもスポーツ」で片づけていいのだろうか?

セルジオ越後のような人から見れば、まさにこれが「臭いものに蓋」になるのだろう。以下、「日本人はなぜフィギュアの採点を議論しないのか」というコラムからの抜粋

http://news.livedoor.com/article/detail/8567677/

ブラジル滞在中に感じたことの一つに、日本とのスポーツ番組のテイストの違いがある。例えば国内リーグの試合後に放送される討論番組では、1時間たっぷり、延々と激論が交わされる。番組時間が突然延長されることもザラ。きわどいオフサイド判定があろうものなら、そのシーンを何度も何度もリプレーしながら、ああでもないこうでもないと騒ぐ。批判的な時は、辛口なんていうレベルを超えているよ。とにかく本音なんだね。

翻って日本は、ハイライト番組と応援番組が主で、コメントは本音よりも建前だ。采配ミスや判定ミスがあったことは、思っていても口に出さない。Jリーグや日本代表のニュースで、きわどいオフサイドシーンに触れられることがあるだろうか。臭いものに蓋、触らぬ神に祟りなし、という言葉がある国民性からか、どうもそういう話題は奥に押し込めてしまうよね。議論をして相手に意見を言うと、その相手のことを嫌いなのかと思われてしまう。これじゃあ議論にならないよね。

もう一つ、日本のスポーツ報道は、そのスポーツそのものよりも周辺のドラマ性ばかりに注目する。延々とサイドストーリーが語られる箱根駅伝もそう。浅田真央の快演で感動を呼んだソチ五輪のフィギュアスケートにしても、プレー分析やライバルとの採点の付き方の比較といった、競技そのものについての言及はほとんどなく、とにかく感動ストーリーだけが拡散される。なぜもっと議論しないのか。<引用終わり>


今回、浅田選手の渾身のフリーについても、「あれでフリー3位というのはおかしい」というスケート関係者はほとんどいない。「点が伸びなかったのは、滑走順で抑えられたのだろう」で終わり。そしてただただ感動のサイドストーリーに流れ、延々とそれが続く。

それでもNHK杯の織田選手の4回転の回転不足判定について、「会場にいた多くの先生方、プロの立場で観ていた人たちの間から『あれは可哀相じゃないか』といった声が挙がっていました」と、判定に疑問をもつ専門家がいることを認めただけでも、まだ進歩したと言えるかもしれない。

それならば、その判定について、あるいは判定方法について議論すべきではないか? 「運」で片づけていい問題と悪い問題がある。

日本のファンはもうルールをよく知っていて、回転不足判定に神経を尖らせてる。バンクーバーのときのように、「わずかな回転不足がたいていの場合、転倒よりもひどい減点になる」という無茶苦茶なルールはさすがに変わったが、それでもお手つきやステップアウトといった非常に目立つミスより、わずかな回転不足のほうがほとんどの場合、減点幅が大きく、ときには回り切っての転倒より低い点になるというのは相変わらずだ。

カナダ在住の日本人スペシャリスト天野氏によれば、「(団体戦のプルシェンコのように、見せつけられると)ジャッジは我を見失って高得点を出してしまうのかもしれない」そうだ。ナルホド、高得点が出るのはジャッジが我を見失った結果ですか。そこまでデタラメとは思いもしませんでした。

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はいはい。人間がやることですからね。ある程度は仕方のないことですね。どの程度までが「許容範囲」かも主観次第ということでしょう。そういうのは絶対評価ではなく、ご都合主義評価というものだと思いますけどね。

ジャッジの採点など、現実にはこんなものなのだ。絶対評価のはずが「滑走順」で評価が違い、素晴らしいパフォーマンスを見せつけられると、「我を見失う」そうだ(ヤレヤレ)。

そのわりには、世界中の一流スケーターが絶賛した浅田真央のフリー、あれほど見せつけられても、ジャッジはショートで失敗して浅田選手同様「メダル仕分け組」から落ちたリプニツカヤ選手と同様の点しか出さなかった。

この天野氏のコラムは、団体戦のあと(個人戦の前)に書かれたものだが、プルシェンコ選手の得点に関してジャッジをフォローしようとする意図が見え見えだ。個人戦でプルシェンコ選手がそこそこのジャンプを決め、予想外の高得点が出た場合を想定しての「予防線」かもしれない。

しかも、プルシェンコ選手のスタミナに不安が全然なかったという見解はどうだろう? 点が出たからスタミナ問題はなかったとでも言うのだろうか? スタミナが切れたか切れなかったかは点が出たかどうかではなく、後半までスピードがどうだったか、ジャンプが跳べたかといった実際の演技内容で判断するものだ。

解説の本田氏は、フリー後半にジャンプが2つ2回転になったのを見て後半の疲れを指摘していた。ISUの誇る世界的(苦笑)スペシャリストと、ジャッジではないが日本が世界に誇る元名選手。どちらの「目」がより正しいだろう? Mizumizuは完全に本田氏に同意する。

<以下、後日>


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最終更新日  2014年02月28日 01時53分33秒

2014年02月26日


キム選手とソトニコワ選手の演技・構成点は、74.50点と74.41点で、0.09点差。

それぞれのコンポーネンツで、複数のジャッジの総意として出てきた得点(1.6の係数をかける前)は、以下のとおり。
         キム   ソトニコワ
スケートの技術  9.21 >   9.18
つなぎのステップ 8.96 =  8.96
演技(パフォーマンス) 9.43 = 9.43
振付  9.39 < 9.50
音楽との調和(解釈) 9.57 > 9.43

これで見ると、スケートの技術と音楽との調和ではキム選手のほうが上、振付ではソトニコワ選手が上。つなぎとパフォーマンスは同レベル…と演技審判が判断したことになる。

スケートの技術と音楽表現では、成熟したスケーターであるキム選手に軍配が上がったが、プログラムのなかでのつなぎは両者に差はなく、パフォーマンスでほぼ同等の評価。あれほど観客を熱狂させてソトニコワ選手のパフォーマンスだが、ジャッジは冷静に、2人のパフォーマンス力に差はないと評価した。そして、振付。これは好みが入るが、今回はジャッジは、ソトニコワのプログラムのほうを評価したようだ。

点差と他のスケーターへの評価をひとまず考えないとして、この2人に対する順位付け(2人のうちのどっちが優れていたか)に、何か「疑惑」があるだろうか?

キム選手は、よく伸びるスケート技術をもち(今回、後半はかなり失速していたが)、深いエッジにのり、緩急のメリハリが見ていて心地よい滑りに、ダイナミックな腕の表現と印象的なポーズを織り交ぜ、大人の女性の演技をした。

ソトニコワ選手は多少荒削りながら、若々しいエネルギーと勢い、ハートをわしづかみにするようなアピール力をもつ直情的でチャーミングな演技をした。

今回、キム選手の演技・構成点が伸びなかった理由として、中庭氏は「言い方は悪いですが、キム・ヨナ選手のプログラムには“スカスカ感"がありました」と述べている。

こちらの記事
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&id=2773755

「プログラムの構成が、大きく違いました。ソトニコワは、基礎点で、約4点も違うほど、難易度の高い構成にしています。3連続ジャンプの最後にバランスを崩しましたが、マイナス1からマイナス2という程度の減点で大きな影響を与えるものではありませんでした。言い方は悪いですが、キム・ヨナ選手のプログラムには“スカスカ感”がありました。男子もそうでしたが、女子でも、技術点で勝負がついたと感じました。決して疑惑の判定などではないでしょう。GOEに関しても、ソトニコワ選手のジャンプには高さがありましたし、スピンにおいても、スピードでキム・ヨナ選手のそれを上回っていました。プログラムコンポーネンツ(演技構成点)のソロニコワの得点については、少し高いのかな?とも思いますが、これは許容範囲でしょう」

「スカスカ感」…苦笑…

それは昔からのこと。彼女の欠点はまさにそれだろう。ショートはいいのだが、フリーになると、なにかしら、「技術的には最低限のことしかやっていない」というような物足りなさがある。滑りはなめらかだし、ポーズはピシッと決まって綺麗なので、初見ではインパクトはあるが、何度か見ているうちに淡白さや退屈感を覚える。

もともとの欠点に、さらに拍車がかかったということだろう。

たとえば、フリー終盤に見せたスパイラルのポジション。現在は必須ではないが、多くの女子選手がこの「足あげポーズ」では、大いに美しさを魅せてくれる。ところがキム選手は足をあげたかと思ったらおろしてしまった。「こんなところで体力消耗したくないわ」とでも言わんばかりだ。

点が伸びないと、どうしても演技のマイナス点を指摘しなければならなくなるが、要するにそれは後付の説明だ。これで逆に点が出ていたら、キム選手のもつプラス面を変に強調して説明しなければならなくなる。「圧倒的な差」がついたら、ますます解説者は説明に窮するというものだ。

バンクーバー五輪のとき、本田氏は「これはジャッジが付けた点なので」と何度も繰り返し言っていた。まさにほかに説明のしようがない。だが、今回ソチ五輪での本田氏は、ジャンプと出来栄えの説明もルールに則って明快でわかりやすく、男子シングルフリーでは、チャン選手のフリーが「182点…出ない…と思いますけど…」と点が出る前にかなり正確に予想できていた。

「トータルパッケージ」なんたらで、演技・構成点が変に伸びたり伸びなかったり、自由自在(苦笑)の試合のほうが、よほど「疑惑」があると思うが、どうか。

さて、今回の女子フリーに話を戻して。

0.09点差とはいえ、演技審判団の総意としての評価は、キム選手のほうが上でソトニコワ選手に勝っていた。その差がつかなかったのがおかしいというなら、では何点差だったら「正確」で、「疑惑なし」なのだろうか?

3点差? 5点差? 8点差?

たとえば8点差ならキム選手が金メダル。その場合、もしロシアが「点差は妥当ではない」と言い出したら、逆にそれを論破できるだけの「客観的な論拠」はあるのだろうか? 韓国人審判なら、「8点ではまだ点差は少ない。キム・ヨナは別格で圧倒的な表現力があるから、ジャッジはキム・ヨナの演技を見るだけで光栄なのだ。今回はむしろ低すぎた」ぐらいのことは言うかもしれない。だが、それを客観的に裏付けるだけの証拠は? 

どちらにしても印象という主観をぶつけあうだけの水掛け論になる。

Mizumizuは今回の2人に対するこのジャッジングは、むしろ非常に公平だったと思う(あくまでキム選手とソトニコワ選手に対してだけで、他の選手に対してもそうだったと言っているのではない)。少なくとも金・銀を争う世界トップのアスリートに対する評価では、主観の入る演技・構成点に「順位はつけるが差をつけない」という姿勢のほうが、客観性を重んじる現行のシステムの理念にも適う。

これはバンクーバー五輪に向けて、採点が「狂いだした」ころから、Mizumizuが繰り返し主張してきたことだ。主観点である演技・構成点でジャッジが順位づけをするのは仕方ない。現行システムは、「絶対評価」がタテマエだが、それは机上の空論に過ぎない。現実問題としてジャッジはどうしても、過去の同選手の演技あるいは他の選手の演技と「比較」しなければ評価のしようがない。だから、そこに恣意的操作の入り込みやすい「点差」は、極力つけるべきではないと。

今回はジャッジはそうしたのだ(繰り返すが、あくまでトップ2選手に対してだけだが)。

現行のシステムにおける演技・構成点は、「絶対評価」でジャッジが7.5とか8.25とか、それぞれがバラバラに点をつけているだけに見えるが、実は問題なのは、他の選手との「点差」なのだ。本田氏が団体戦のプルシェンコのショートのあと、点が出る前に、「これが基準になる」「これでわかる」と言っていたと思うが、要するに、そういういこと。有力選手を「基準」にして、それとどれくらい点差をつけていくかというのが重要なのだ。

これがたとえば、キム選手が今シーズン、メジャーな試合に出てきて、何度もソトニコワ選手と対戦し、ソトニコワ選手がいい演技をしてもいつも圧倒的に、たとえば5点とか8点とか演技・構成点で「点差」をつけていたというなら話は別かもしれない。

それならそこで「評判」が作られるから、今回、双方の選手が最高に近い演技をしたのに、点差がつかなかったのはおかしい、と主張することはできるかもしれない。それもこのごろは、絶対評価の理念などかなぐり捨てて、「違う人がジャッジしてるから」で片づけられてしまうが(苦笑)。

だが、ともかく最近の対戦実績があればまだ参考にもなるが、リプニツカヤ選手じゃないが、最近キム選手が出たのはB級大会だけなのだ。となれば、今回いきなり出てきたキム選手への評価が、「キム・ヨナ選手を評価する人」から見て低かったからと言ってクレームをつける根拠にはならないだろう。そもそもソトニコワ選手との点差がわずかだったとはいえ、フリーではトップの演技・構成点をもらっている。世界選手権覇者にふわさしい評価ではないだろうか?

<以下、後日>






最終更新日  2014年02月27日 15時50分20秒

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