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2014年08月09日
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自らの信念――あるいは価値観と言ってもいい――を提示し、それにそった流れを作る。バンクーバー後に、ロシアのスケート連盟とスケート界の大物がやったのはそれなのだ。「自らのもつフィギュアスケートのビジョン」を示し、競技をそちらに誘導するためには、ときにはシステムやジャッジの批判も恐れない。

2012年のニースでの世界選手権のあと、タラソワは1位チャン、2位高橋、3位羽生、4位ジュベールという男子シングルの結果とジャッジングについて、彼女らしい率直な言葉で批判を展開した。それを要約すれば以下のようになる。

チャン選手については、カナダ陣営が発揮する強大すぎる影響力によって、チャンと同様の天賦の才をもつ選手が彼と対等に戦うチャンスを奪われている。羽生選手とジュベール選手の順位は入れ替わってもよかった。これは日本スケート連盟の優位性によるもの。ジュベール選手側に立つ審判がいなかった。

このときタラソワは高橋選手を絶賛し、ジュベール選手の肩をもった。どちらもタラソワと縁のある選手だ。タラソワに限らず、欧米の振付師やコーチは必ず、自分の「クライアント」の選手の長所を最大限、自分なりの流麗な表現で宣伝してくれる。それは別に不公正な態度ではない。自分が優れていると「客観的に」判断しているからこそ、彼らとの仕事を引き受けるのだし、彼らのもつ良い部分を世の中にアピールするのは当然のことだ。

翻って日本人は? たとえば宮本賢二の高橋大輔評などは、こうした海外の一流人に匹敵する情熱と華麗な修辞がある。だが、ベテランのコーチから、自分の指導する選手に関する積極的なアピールが言葉で語られることはほとんどない。むしろ、直すべき点や改善しなければいけない部分を前面に出す場合のほうが多い。あるいは、「海外の先生」や「ジャッジ」の評価を語ることはあっても、自分が自分の生徒の素晴らしさを自信をもって話す人がいないのだ。あるいはそれは、ポリシーのようなものかもしれない。日本人が伝統的に良しとしてきた謙虚さと道を究める精神。他人からの評価はその先におのずとついてくるという信念。

だが、残念ながら世の中というものは、一流人ほどの審美眼をもたないものなのだ。どこがどう優れているのが、説明してあげなければわからない。黙っていれば批判はされないが、主張しなければ、顧みられることもない。これが善し悪しは別にして、世界のスタンダードだと言えるだろう。

コーサー・コーチがどれほど巧みにキム・ヨナのスケート技術を宣伝したか、そしてどれほど説得力をもって、羽生結弦のプログラムの周到さを話したか想起してほしい。選手のもつ強みを最大限生かすコーチとしての努力と並行して、オーサーは見事なスポークスマンぶりも発揮している。勢いがあったころのモロゾフもそうだった。日本人コーチの求道精神は敬服すべきものがあるが、欧米の一流コーチのようにクレバーな「言葉」で、世の中の見方を誘導していく努力も、これからは必要だろう。

タラソワが「常勝チャン」の採点について、カナダのスケート連盟の政治的なプレゼンスに言及するのも、当然こうしたスケート界における、一種の「世論」誘導の一環だと言える。タラソワはチャンのスケート技術やジャンプの進化をきちんと評価している。別にチャンに偏見があって採点を非難しているのではない。

タラソワは羽生結弦に対しても、早くから「彼はまさに天才。どうやったらあれほどの才能を与えられるのか、彼の母親に聞いてみたいほど」と彼女独特の表現で称賛していた。タラソワがソチ五輪の男子シングル終了後に、「率直に言って誰も金メダルに値しない。あれほど転ぶチャンピオンは見たことがない」と言ったからといって、さっそく叩いた人がいるが、それが彼女のゆるぎない価値観なのだ。羽生選手自身、自分の中のオリンピックは「ヤグティン対プルシェンコ」だと言っているように、難度の高いジャンプを入れながら、グラリともしないクリーンなプログラムを、五輪という舞台で披露してこそ、名実ともに五輪チャンピオンにふさわしい。ヤグティンを指導したタラソワの抱く五輪王者の姿は同時に、羽生選手の価値観でもあるだろう。羽生選手の五輪後の発言がそれを裏付けている。

例えばこの4年間を羽生選手が大きなケガなく過ごすことができ(それは彼のスケジュールやジャンプの難度を見ると、確率としてはあまりに低いと懸念せざるを得ない)、これまでの男子ジャンプの常識を覆すような高難度プログラムをクリーンに滑りきり、そのときにタラソワがまだ発言できる立場にいれば、彼女は彼女にしかできない修辞で羽生結弦を絶賛するだろう。氷上の皇帝、20世紀で最も傑出したスケーターと呼ぶにふさわしいプルシェンコというレジェンドを、跳べるジャンプの難度だけでなく名実ともに上回る選手が出るとしたら、今一番それに近い位置にいるのは、間違いなく羽生結弦だ。

率直に言えば、Mizumizuはスケーターとしては羽生結弦より高橋大輔の才能を評価しているし、高橋大輔の舞踏表現により深く魅了される。プルシェンコとヤグディンが競っていた時代は、明確にヤグディン派だった。だが、フィギュアスケートがスポーツである以上、競技者としての成績は、個人的な評価や好みとは別に出てくる。かつて、ミーシンは、「プルシェンコとヤグディンはどちらもダイヤモンド。だが、プルシェンコのほうが大きなダイヤモンドだろう」と言ったが、今回のソチの団体戦金メダルで、プルシェンコはまたもそれを証明した。

そしてそのプルシェンコの五輪出場のために、ミーシンもあらゆる手を尽くした。アマチュア資格復活までの青写真を描いたのも彼だし、プルシェンコをバッシングする国内メディアに対して、「彼は誰も行かない道を行こうとしている。悪意ではなく拍手をもって見送ってほしい」と彼らしい詩的な言葉でクギを刺したこともある。

こんなふうに印象的な修辞で、自ら選手の盾になろうとする発言を日本人コーチがすることは、ほとんどない。ジャッジの採点を肯定的に説明したり擁護したりする発言なら多い気がするが。コーチが肯定すべきは、ジャッジの採点行動だろうか? もちろん尊重する必要はあるだろう。だが、自分の価値観もそれ以上に、尊重すべきではないだろうか? さまざまな国の人間が集まる場では、さまざまな価値観がぶつかり合って当然なのだ。

日本のスケート連盟の得意技はといえば、右顧左眄だ。ジャンプの回転不足がアホみたいな減点になっても批判するわけでもない(批判したのは日本人選手のついたロシア人コーチだけ)。ところがルールが変わって減点が緩和されたら、今度は「(回転不足が転倒よりも大きな減点になるのは)以前から変だとは思っていた」などと言って、自分たちの手柄とばかりに説明してみせる。日本のスケート競技関係者がロシア人のように、自分たちのもつ「フィギュアスケートのビジョン」を内外に明確に提示したことがあっただろうか?

ビジョンをもつというのは、女子ショートに(事実上、日本の浅田選手しか試合に入れることのできない)トリプルアクセルを入れるよう働きかけることではない。そんな露骨なルール改正を提案しては、公平性に疑念を抱かれるだけだ。そうではなくて、あくまでフィギュア全体にとって何が必要なのか、フィギュアスケート競技とはどうあるべきで、どういう方向に行くべきなのかについて理論武装をしたうえで、自国の選手が不利益を被らない、そしてできれば強みを生かすことのできるルールを考えることが肝要なのだ。それは何も採点の公正性を希求することと矛盾はしない。

ロシアは自らのビジョンに適う方向に採点傾向誘導し、現行ルールに基づいて高得点を出せるよう選手強化をした。男子シングルでは必ずしもうまく行かなかったが、女子では見事に若い選手の才能が開花した。ロシアから吹いた風に男子シングルで乗ったのは、日本の「ティーン・センセーション」羽生結弦だったが、この喜ばしい結果には、不世出とも言っていい羽生選手のジャンプの才能に加え、自分たちの「敵対勢力」である北米カナダに男子金メダルをやりたくないというロシアの隠れた意思や、羽生選手に金メダルが行けばカナダの英雄オーサーの顔も立ち、今やフィギュア大国となったISUの金ヅル日本の悲願もかなえてあげられるという、各国の政治的な思惑もあったかもしれない。ジョニー・ウィアーの弁を借りるまでもなく、フィギュアは特にオリンピックでは、常に非常に政治的なスポーツなのだ。

高橋選手のアクシデントは、ファンだけでなくフィギュア界全体にとっても、あまりに不幸な出来事ことだったが、あれで日本が金メダル候補を1人に絞れたという事情もあるかもしれない。実際、高橋選手不在のグランプリファイナルで、チャンから羽生へ流れが目に見えて変わり、それが転倒王者・・・じゃなかった、「絶対王者」のチャン選手の焦りと不安を招いた。

<続く>






最終更新日  2014年08月10日 13時37分48秒

2014年08月08日


バンクーバーとソチのフィギュアスケート競技のシングルで何が一番変わったか?

それは言うまでもなくメダルを争うトップスケーター達のジャンプの難度だ。男子シングルでライザチェクが4回転なしで金メダルを獲得した夜、ジャンプの難度向上に心血を注いできた過去の名選手からは批判の声が上がった。ジャンプがまるでボイタノ時代まで逆戻りしてしまったような状況に、カナダのストイコは、「フィギュアスケートが死んだ夜」とまで言っている。

銀メダルに終わったプルシェンコは、「4回転を跳ばなければ、それはもはや男子ではない」として、採点システムと審判に対する批判を繰り広げた。

日本人のスケート関係者は概ね、こうした声には冷淡で、プルシェンコの批判を負け犬の遠吠え扱い。出てきたプロトコルを後付で説明し、システムと審判を擁護しただけに終わっていた。Mizumizuの記憶の範囲で、採点システムあるいはジャッジングの傾向に異議らしきものを唱えたのは、本田武史だけだったと思う(「個人的な意見」としながらも、女子のトリプルアクセルはもっと評価されるべきだと思うと述べていた)。

ほんのわずかな回転不足が転倒より多くの場合、転倒以上の減点になる。今から考えれば、信じられないようなルールがまかり通ったのがバンクーバーだ。Mizumizuの目には、日本人女子に2度連続で金メダルが行かないよう(そうなれば、当然ながら浅田選手に匹敵する力をもち、カナダの「英雄」であるコーチがつき、国きっての有名企業がスポンサーとしてバックアップしているキム・ヨナが金メダルになる)に、男子はこれまで五輪金がないカナダに金メダルが行くように(もちろん、行き先は当時4回転がなかったパトリック・チャンのハズだった)に、数年がかりでお膳立てをしているように見えた。

バンクーバーでのフィギュア大国ロシアの凋落ぶりは目を覆うばかりだった。すべてのカテゴリーで金メダルなし。ロシアスケート連盟の金銭にまつわる腐敗なども取り沙汰され(その急先鋒は、やはりプルシェンコだったが)、次の自国開催のオリンピックまでに、建て直せるのか誰もが懐疑的だったが、結果として、ロシアは「国の威信をかけても金メダルを獲る」と宣言したチーム戦で優勝し、前回メダルなしに終わったペアで金銀を獲得し(このとき、金メダルを「奪還した」とボロソジャル選手が語ったのが印象的だった)、アイスダンスでも銅を確保した。

そして、ジャンプが採点のカギを握るシングル競技。その行方を「予言」した非常に重要なインタビューが2011年6月にThe Voice of Russiaに掲載されている。

http://voiceofrussia.com/2011/06/20/52120950/

プルシェンコのアマチュア資格復活についての記事だが、ここでインタビューに答えているのがAlexander Lakernik氏。ロシアスケート連盟の副会長(当時)、ISU委員、そして大いに尊敬されているジャッジだ。ここで彼は、個人的な意見としながらも、ソチ・オリンピックの男子シングルで起こるであろうことを「予言」している。

ルール改正により、「回転不足が、以前そうであったようには罰せられない(underrotation is not punished so much now as it was before)」ようになったことが助けとなって、「以前より、4回転を入れるリスクを取ることに敬意が払われている(the risk in forming the quads is now respected more than it was before)」。

これはバンクーバーの翌年、多くの男子選手が4回転に挑んできた2011年の世界選手権の結果を踏まえての発言だ。ここでLakernik氏は、ソチではバンクーバーのような状況にはならず、多くのスケーターが4回転を1度、何人かは2度入れ、4回転なしで金メダルを獲れるとは考えられないと述べている。

If you look at this year Worlds, and look at how many quads there were, at least in free skating, it is already a lot, and by Sochi there will be many, many skaters with one quad, and in my opinion there will be some, maybe several skaters with two quads, that is the problem. Yes, correct, Lysacek was the first without even trying the quad, because he tried it before, but the year of the Olympics they decided not to risk. In my opinion, the situation will not be like this in Sochi, because by that time there will be many quads, and I don’t think somebody can win without a quad.

難度の高いジャンプを入れることが勝敗のカギを握る――ソチではまさにその通りになった。優勝した羽生選手はフリーにサルコウとトゥループの2種の4回転を入れ、銀メダルのチャン選手は、4回転トゥループを2度入れてきた。転倒がありながらも、羽生選手が逃げ切って金メダルを獲れたのは、2種類の4回転に加えて、2度のトリプルアクセルを後半に組むなど、「超絶難度」とも言えるジャンプをフリーに組んで、その多くを回りきったからだ。

女子でも、この傾向は顕著だった。メダルを争う女子選手はほとんどが3回転-3回転を入れてきた。女子選手の多くが3-3を「跳ばなくなってしまった」バンクーバーとは雲泥の差だ。このようなジャンプ重視の競技になるよう流れを作ったのは、明らかにロシアなのだ。

それはロシアのフィギュア(特にシングル競技)に対する信念と言ってもいい。「フィギュアスケートは進歩していくものだから(プルシェンコ)」「これはスポーツ。より難しいことを成した選手が勝つものだ(タラソワ)」「演技・構成点は技術点とのバランスを取るべきだ(ミーシン)」。いずれもバンクーバー五輪由来(苦笑)の、主観に大きく左右される演技・構成点で勝敗が決まる流れを批判するものだ。そして、個人的意見としながらも、「ソチではバンクーバーのような状況にはならない」と、何年も前に発言したロシアスケート連盟の重鎮。

そのAlexander Lakernik氏は、ソチで女子シングルのテクニカルコントローラーを務めた。

http://www.isuresults.com/results/owg2014/SEG004OF.HTM

女子フリー終了後、アメリカのテレビ局でクワンが、ジャッジの構成員の人間関係に疑惑があるという声もあるようだが・・・という司会者の質問を受けて、ソトニコワ選手とキム選手のジャンプ構成の難度の違いを挙げ、「現行システム下では、ソトニコワの勝利」と言い切ったが、その流れを作った大物が、ジャッジ席にいたのだ。

キム選手の演技の「芸術性」や「円熟味」がたとえソトニコワ選手より上だったとしても、それだけでは勝てない。バンクーバーのときは、ダブルアクセルを3回跳べばトリプルループ並みの点になったかもしれないが、ダブルアクセルの基礎点は下がり、回数は制限された。トリプルループを回避したら、連続ジャンプのセカンドにトリプルトゥループを2度入れることはできなくなったのだ。

キム選手のジャンプの強みはセカンドのトリプルトゥループにあった。ダイナミックな3-3に加えて、難しい入り方でダブルアクセル+トリプルトゥループを軽々と決める。しかも、プログラム後半に。トリプルループを回避したことで、ルール上キム選手は、3-3と並ぶ彼女の強みをプログラムに入れることができなかった。

一方のソトニコワ選手は前半の3-3に加え、後半にダブルアクセル+トリプルトゥループを入れ、しかもセカンドのトリプルを目の覚めるような鮮やかさで回りきっておりてきた。彼女が五輪女王になったのは、Mizumizuには当然のことだったし、クワンや田村氏の解説も同様だ。

そして差のつかなかった演技・構成点。ここにMizumizuは「尊敬される」ジャッジでもあり、演技審判を指導する立場にもある Lakernik氏の影響力を見る。それは政治的なものだと言えるかもしれないが、不公正の証明ではない。「トップを争う選手に演技・構成点で順位をつけても差はつけない」というのは、むしろ公平さの証明だといのがMizumizuの、何年も前から一貫した主張だからだ。


<続く>







最終更新日  2014年08月08日 07時32分18秒

2014年06月24日
カテゴリ:Travel(日本、九州)



アメリカではカールスバッド、イタリアではカステラーナ。前者は世界自然遺産で、後者はヨーロッパでも有数の鍾乳洞。海外では、この2つの素晴らしい鍾乳洞に行ったことのあるMizumizu。

カールスバッドでは、その洞窟空間の巨大さとその中に広がる多彩な鍾乳石の世界に圧倒されたし、カステラーナでは、白く輝く鍾乳石のこの世のものとは思えない美しさに感激した。

日本では山口の秋芳洞。ぽっかりと空いた洞窟の入り口で人々を待ち受ける百枚皿を初めて見たときの驚きは、今も覚えている。

臼杵の風連鍾乳洞は規模は小さいものの、鍾乳石の繊細な美しさでは秋芳洞を凌ぐという人もいて、行ってみたいと思いつつ、なかなか足を伸ばさないままでいた。


今回ついに訪問。

臼杵市内からは少し距離があるが、夏はわりに朝早くから開くので、2日目の金明孟宗竹を見たあとに組み入れた。

しかし、夏期の営業時間、ネットでは朝8時となっていたが、臼杵市内で入手したパンフレットでは9時になっている。電話で確認したら、8時半からだという。

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ちょうど8時半過ぎに着いた。明るい緑がしたたってくるような山の中にある。天候に恵まれた早朝だったので、空気は際立って清々しく気持ちがよかった。秋芳洞ほど観光地・観光地しておらず、こじんまりとしている。

洞窟入り口に隣接する施設(お土産など売っている)は非常に古く、昭和40年代という雰囲気。

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チケット売り場の横に、古いがカワイイ絵地図を見つけて、パチリ。

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地元の青年団がこの鍾乳洞を発見したときの探検口が、現在の入り口の横にある。人ひとり通れるかどうかの小さい穴だった。

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入り口から続く通路は、鍾乳洞とは思えない。ただの坑道のよう。だが、これが逆に探検の雰囲気を盛り上げる。

徐々につらら石、石筍などの鍾乳石が現れるが、通路は狭いまま。だが、その通路の狭さが、最後に「竜宮城」と名付けられた、ドーム型の空間に出たときの感動を演出することになる。

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この最後の空間は、実に素晴らしい。天井からは無数のつらら石が垂れ下がり

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白く輝く鍾乳石も。

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そして、気の遠くなるような時間をかけて作られた石柱も。

ヘリクタイトという、側方に向かって結晶が成長する珍しい鍾乳石があるとかで、看板もあったのだが、目視ではよくわからなかった。  

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上からのつらら石と下からの石筍がドッキングしたこの鍾乳石(写真左)は、高さが7メートルにもなるとか。ちなみに石筍が1センチ成長するのにかかる時間は100~130年だそう。

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神秘的な造形に彩られたドーム型の地中空間は、間違いなく一見の価値がある。見上げても、見回しても、新鮮な驚きが。

洞窟という制限された空間ゆえに、閉じ込められたような息苦しさもあり、そのなかに広がる無限とも見えるような造形美の間で、眩暈のような感動が胸を満たす。

階段がしつらえてあって、そこをのぼれば、より近くから鍾乳石を鑑賞できる。

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下から見上げて、空間の広がりを楽しむのもよし、階段をのぼって、細部の造形を間近に見るのもよし。

残念ながら写真では、風連鍾乳洞の有機的な空間美が伝わらない。出来上がった写真を見るとそれが残念に思え、逆にあの空間の中にまた立ってみたいという憧憬が掻き立てられもする。

また行きたい、風連鍾乳洞。

そして、まだ見たことのない沖縄の玉泉洞にも行きたくなった。

風連鍾乳洞にも玉泉洞にも愛媛の山内浩氏の名前が見える。ケーブに並々ならぬ関心と情熱をもった、優秀な先人のおかげで、私たちは今こんなふうに楽しんでいる。







最終更新日  2014年06月24日 06時23分12秒

2014年06月20日
カテゴリ:Travel(日本、九州)


臼杵市内で一泊し、翌朝は早朝に出発。

金明孟宗竹(きんめいもうそうだけ)と風連鍾乳洞を見て、稲積水中鍾乳洞、祝子川渓谷を周り、夜は延岡にというスケジュールを立てた。

風連鍾乳洞の近くの金明孟宗竹自生地区をルートに入れたのは、ほんの気まぐれだった。金明孟宗竹というのは、「黄金の竹」とも言われる孟宗竹の突然変異。

「大分県臼杵市野津町大字王子岩瀬」というのが自生区の住所。ナビに案内されて田畑の中の駐車場に車を停める。

金明孟宗竹を見に行くと自動的に(?)見ることになる重文の石塔を見て…

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まあ、この由来に興味のある人は自分で調べてください。

ちゃんと自生地区に行けるかな? と少し心配だったのだが、案内板もあって、場所はすぐにわかった。

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早朝で人はいなかったが、きれいに手入れされた田畑がこの山里に住む人の勤勉さを伺わせた。

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金明孟宗竹についての看板も設置されていて、説明は非常にわかりやすい。

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説明文によれば、この突然変異の竹は西日本に多いという。金明孟宗竹には「キンメイチク型」と「縦じま型」の2種類の縞模様があるのだが、ここ臼杵のように双方が同じ場所に自生しているのは非常に珍しいのだとか。

こんもりとした竹林に足を踏み入れると、そこはもう「かぐや姫」の世界。

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想像以上に縞模様がくっきりと鮮明で、これが自然のものとは信じられないほど。まるで人工的に描いたようだ。

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かぐや姫のいた黄金に輝く竹というのは、完全なる空想ではなく、昔からこのような突然変異の竹があり、そこから着想を得たのではないだろうか。

そういえば、「真名野長者伝説」でも臼杵には「黄金のもの」がたくさんあり、淵には黄金の亀がいたとある。金明孟宗竹がこの地に生えたというのも、臼杵の黄金伝説と無縁でないのかもしれない。

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確かに、2種類の縞模様の竹が仲良く並んでいる。左が縦じま型。右がキンメイチク型。

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筍から竹に変身するときには、すでに綺麗な模様ができている。

自生区はよく手入れされている。

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早朝の初夏の空気は清々しい。風のわたる音と、鳥の声だけが聞こえる。

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周囲を取り囲むのは、見たこともない実に見事な模様をまとった竹、竹、竹… まるで相談でもしたかのように、まとまって生えている。

想像以上に不思議で、美しい竹だった。さほど広くはない空間だが、ここだけが魔法にかかったよう。先に進むとたちまち魔法は解け、竹林は普通の緑の竹に変わる、引き返せば人の気配ただよう山里の田畑にすぐに戻れる。

磨崖仏と鍾乳洞という、臼杵で名高い造形美にこの色彩美を加えて、「臼杵の三大美」と呼んだらどうだろう。

辺鄙な場所だが、磨崖仏から鍾乳洞へ行く途中にあって寄りやすい。臼杵に行くなら是非お立ち寄りを。

ところで、駐車場で野外のトイレに寄ったのだが、清掃が行き届いているのに驚いた。タンクの上に造花まで飾ってある。顔も知らない、この山里の誰かの「おもてなし」の心に触れた気がした。

まだあまり人が来ないから、逆にきれいに保たれているのかもしれない。この美しい竹が今よりもっと有名になり、多くの人が訪れるようになっても、掃除してくださる土地の人たちの心遣いに応えるように使ってほしいもの。














最終更新日  2014年06月21日 05時07分42秒

2014年06月16日
カテゴリ:Travel(日本、九州)



別府が「壁」になって、臼杵まで足をのばそうと思えないでいたのには、臼杵の温泉事情もある。

臼杵は元来、温泉のない街だ。唯一の天然温泉が臼杵石仏のそばにある「薬師の湯」。だが、「地下1,300mから湧き出ています」という説明書きを読めば察しがつくとおり、わざわざ深く掘って温泉水を汲み上げているわけで、放っておいても湧き出てくる他の九州の有名な温泉地とは、事情が違う。

それでも温泉は温泉。夜になって行ってみた。

施設・設備はまだ新しく、値段のわりにはきれい。露天も解放感がある。混んではいたが、お客は皆礼儀正しく、常に他人の迷惑にならないか気を使っているようだった。

地元民らしい子供連れも多かったのだが、こちらの進行方向に自分の子供がいたりすると、すぐに叱って通るスペースを開けさせる。公共の場での子供のしつけに非常に厳しい。あるいは、少なくとも、「自分は厳しくしている」ということを親が他人に見せている。

その徹底ぶりに少し驚き、「そういえば、昔はこうだったよなあ、日本って」と思いつつ、「子供なんだから、ちょっとぐらい周りに迷惑かけるのは当たり前なの!」みたいに子供を野放しにするヤンママが増えてしまった大都会の事情を思って、嘆かわしい気持ちにもなった。

こういう自分中心の態度はヤンママに限らない。人にスペースを譲るどころか、自分の歩く方向に人がいてぶつかったら、ぶつかった自分ではなくそこにいた相手が悪いというような顔をして、相手が自分より弱い女子供だと見るや、すかさず怒鳴りつけるようなオヤジもいる。

電車にのれば、肘をつかって人を押しのけ、自分のスペースを確保するの当たり前だし、小さな子供をもつ親は総じて、自分の子供が迷惑行為をするかどうかより、見ず知らずの他人が自分の子供に危害でも加えないかと警戒している。

そんな人に慣れてしまった東京人としては、何かと「あっ、すいません」「あっ、すいません」とよけられると(なんという伊香保との違い…)、「いえ、なにも謝ることはないんです。わざわざどかなくていいんです。脇を通りますんで」とでも言いたくなる。

それでいて、相手に堅苦しさをを感じさせないのが九州人の不思議なところ。露天からは、星がきれいに見えた。聞きなれない方言を聞きながら、ゆったりとリラックスするMizumizu。


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鏡と手洗いシンクに有田製の絵付けが使われていた。文化の裾野の広さというのは、こういうところに出る。

更衣室の隅のこんな場所をスマホで撮ってるMizumizuに、不思議そうな目を向ける地元民。

喜楽庵でも、トイレの手洗いシンクに、エビと蕪、つまり喜楽庵の得意とする海と畑の幸の絵付けがあった。ブルー一色で濃淡を使って甲殻類と野菜の特徴を表現しており、並々ならぬ力量を感じさせるものだった。おそらくは一級の職人の手描きだっただろう。絵の流儀は有田のもののように思えた。

過去の優れた文化遺産、古い街並み、美味しい食事…いい街だった。

また1つ、九州で好きな街ができた1日になった。








最終更新日  2014年06月16日 07時46分49秒

2014年06月13日
カテゴリ:Travel(日本、九州)



喜楽庵の至福の夕食は続く。

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えんどう豆の汁もの、アワビ入り。

豆のほんのりとした甘さがいい。アワビはコリコリしているイメージがあるが、ここでは意外にも柔らかだった。和風ポタージュは、西洋のそれのようにぼってりと重くなく、それでいて味わいは深い。この腕前には、「う~ん」と、唸ってしまう。

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お造りは、タイ、伊勢海老、ウニ。醤油はもちろん、九州の少しどろっとした甘味のある醤油。やっぱり刺身には、九州の醤油だよなあ…。このコクが生の魚の身と絡み合い、絶妙のハーモニーに。

唯一、ウニだけは、本州・九州・四国のどこで食べても北海道を凌駕できないが。

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そして、出ました。「夏のフグ」こと、オコゼの刺身。

オコゼの刺身は初めて食べたが、淡白な味わいの中に、甘さがあり、柔らかさの中に歯ごたえも感じる不思議な食感。

素晴らしいでしょう。

オコゼは、古来「山の神」が好むという逸話がある。ただ、それは味ではなく、外見に理由がある。山の神は女でしかも醜いため、自分より醜いオコゼを見ると喜ぶのだという。

…絶句。

とことん、女性をバカにした作り話だ。

最近はもうこんな話を知っている人も少なくなったが、山の神にオコゼを奉納して、山の幸を手に入れたり、ご利益を得た話が、九州の日向地方や和歌山県南部に伝わっているという。

関東ではあまり馴染みのある魚ではないが、太平洋に面した九州の東部から同じく太平洋に面した紀伊半島にかけて、わりあい身近な魚だということだろう。

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こちらが絶品のタイの縁側。骨が綺麗に突き出している見かけは、むしろ「骨付きラムの香草焼き」の思い起こさせた。切り分ける前のブロックがこんな感じだ。

食してみれば、またもこれが信じられないほどの逸品。身は、骨に近づくにしたがって違った味わいを呈する。ゼラチン質のようなぷくぷくとした味わいが、しっかりとした肉厚の身の中に隠れていて、脂と肉本体がえもいわれぬ味覚を生み出す。

味付けは、やはり九州らしく甘味に寄った甘辛。最高に好みに合っている。テーブルで小躍りして喜ぶMizumizu。

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揚げ物は、アワビ。小鹿田焼(おんたやき)の皿に、貝殻の器がのり、そのうえにアワビと鮮やかなパプリカを配している。色彩感覚も素晴らしい逸品(写真は色が悪い・・・残念)。

味ももちろん秀逸。見た目で一瞬「シイタケの天ぷら?」などと思ってしまった。食べてみたら、アワビだった(笑)。やはり、とても柔らかい。柔らかいのだが、締まっている。

日本人の言う「美味い」は「甘い」とかつてほぼ同義だったという説があるが、なんとなく納得する。豆も、アワビもオコゼも、みなそれぞれに違った甘さがあり、それが「美味い」と思う。

素材のもつ繊細な甘さを舌が見つけ出す。これがまさしく、「美味しい」瞬間。

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ご飯が出てきて、またも九州米の美味しさにノックアウトされた気分。味噌汁は、骨付きのオコゼが入っている。出汁は(あの見かけのオコゼからは想像もできないくらい)、上品。

骨付きの魚は、注意して食べないと危ないのだが、タイの縁側同様、骨に近づくにしたがって、食感が変わり、その変化があまりに素晴らしく、舐めるように食べた(笑)。

考えてみれば、フランスではジビエといって野生の鳥獣の肉を食べる。肉質のよくなる秋がジビエの旬だ。他のヨーロッパ諸国でも同様の食文化がある。日本ではこうして旬の魚を採って食べる。

ヨーロッパでは骨付きの肉を好んでメインディッシュに出す。こんがりと焼いた皮から、骨に近い部位までの食感の変化を楽しませる。臼杵で出された骨付きのタイもオコゼも、発想は同じだと気付く。

メインになるのが肉か魚かという違いはあるが、東も西も、洗練された食文化は同じ着目点をもっている。

骨付きの魚の味わいを堪能できる舌をもって大人になれる日本人は、幸せだと思う。

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デザートにはヤッパリ、あの昼食べた和菓子が出た。これはまったく同じ味だった。果物は、ふつう。

最後のあたりで仲居さんから、「どなたのご紹介で?」と聞かれたので、「ネットで。評判がいいので」と答えると、驚いた様子だった。地元の常連の紹介で来るのが普通な店なのだろう。

臼杵は全国から観光客を集めるに足る観光資源をもっている。ここの魚もその一翼を担うにふさわしい。そして喜楽庵は、ヨーロッパのミシュラン星付きレストランにも決して引けを取らない。

「ヨソモノ」が増えても、「地元で揚がった旬の魚」を中心に、その日にメニューを組み立てる姿勢は、かわらずにいてほしいもの。ローカルに徹することで、グローバルな知名度をもつ店に匹敵するクオリティを維持することができるはず。







最終更新日  2014年06月14日 04時47分16秒

2014年06月12日
カテゴリ:Travel(日本、九州)


臼杵は漁業のさかんな街。

有名な関サバは、フランクトンが豊富で潮流の速い豊予海峡で捕獲され、大分市の佐賀関で水揚げされるサバを言うが、その佐賀関は、臼杵から見ると半島の反対側。地理的に極めて近い。

豊予海峡が古来、速吸之門(はやすいなと)と呼ばれていたことはすでに書いたが、日本書紀では、東征に向かった神武天皇が、ここで「一人の海人(あま)」に会っている。神武天皇に「お前は誰か」と聞かれると、海人は、「土着の神で、珍彦(うずひこ)と申します。曲(わだ)の浦に釣りにきており、天神(あまつかみ)の御子がおいでになると聞いて、特にお迎えに参りました」と答える。

そして神武の水先案内を務め、その子孫は天皇家に近く仕えることになる。

豊予海峡が昔からよい漁場だったことがわかるエピソードだ。そして、このあたりの勢力が、古来から天皇家と密接に結びついていたことも。

こうした場所に近い臼杵の魚が美味しくないわけがない。そして、よき素材・長き歴史あるところには、美食文化が根付いている。

ミシュランで星を獲得した「臼杵ふぐ山田屋」はここが本家。

だが、ミシュランで星を取るとお客が殺到して、味とサービスが落ちる傾向が。地方の「名店」は、特に大都市圏からの観光客の増えるシーズンは最悪なことになる。

そこで、ネットでほかの料亭を探し、「喜楽庵」に行き当たった。ネットでの口コミもいいし、佇まいも歴史を感じさせる。山田屋のように「支店」がなく、地元密着の姿勢が好感がもてた。

電話で予約して、料理の相談をする。フグは季節がら天然物はないが、希望があれば、養殖を出すという。高級店・名店での「偽装」がはびこる世の中。きちんと「天然」「養殖」を分けて説明してくれることに、当たり前といえばそうなのだが、安心感を覚えた。

この時期は、オコゼが揚がるとかで、オコゼを薦められる。

オコゼかあ… 「夏のフグ」とも呼ばれる魚だが、実はあまりピンとこない。高級魚と言われても、そうですか? ぐらいだ。

オコゼは鮮度で値段が違うと言ってもいい。外見がごついうえ(こちら)に毒もあり、さばくのが難しい魚だ。あまり食べたことがないのだが、この際、料亭のお薦めどおりにしてみることにした。

嗜好が細分化し、外食産業のすそ野が広がるにしたがって、視野の狭い、主観的な「コストパフォーマンス」でしかお店を見ないお客が増えてしまった。お金を払うのは確かにお客で、それはそれで敬意を払われるべきだが、逆に料理を供する相手に対する敬意も大切だろう。

元来、料理人のほうが素材の美味さはわかっている。味覚が優れていなければ、プロの料理人としてやってはいけない。腕の立つ料理人がいいと言うものを食べてみて、どこがいいのかを食べるほうが考える…そういう態度が、もうちょっとお客のほうにも必要ではないかと思うこともしばしば。

あとは、伊勢海老がお薦めだとのこと。伊勢海老は5月に入ると禁漁期に入るところも多いが、臼杵の伊勢海老の漁期は長い。

ただ、その日に揚がるものによって内容が変わる可能性があるという。「絶対に出す」と確約しない姿勢に、逆にまた好感を覚える。

内容は変わるが、値段はあらかじめ決めておく。7000円ぐらいから用意できるというが、だいたい一般的な1人1万円(サービス10%、税は別)でお任せにすることにした。

あまり混まない、早めの時間で予約。

臼杵の観光を終え、時間通りに伺う。

緑あふれる門から入り、古いが、よく手入れされた玄関を開けると3人分のスリッパがきちんと並べられていた。

椅子席を希望していて、テーブルのある個室へ通される。

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明らかに「ヨソモノ」のMizumizu一行に、仲居さんは、どういったタイミングで食事を出すべきなのか、若干とまどっているようでもあった。

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まずは、にぎやかな海の幸・山の幸のハーモニー。黒豆、ごま豆腐、クルマエビの焼き物、鴨肉。

さりげなく、昼に食べた、「クジラの背に似せた」和菓子もついていた(笑)。しかし、微妙に違う気もしたのは、気のせいか?

特に甘辛く味付けたクルマエビの焼き物が気に入るMizumizu+Mizumizu母。さすがに九州の味付けだけあって、甘い。関西より甘い。関東とは…正直、Mizumizuは、関東の和食は嫌いなのだ。西に比べると、ずいぶんと田舎っぽく尖った味だ。「歴史と伝統」の差が、東と西の和食にある気がする。

<続く>












最終更新日  2014年06月13日 02時40分07秒

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