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AERA(アエラ) 2014年3/3号 【表紙】 浅田真央 涙の有終[本/雑誌] (雑誌) / 朝日新聞出版 だが、とにもかくにも、ご都合点…いや、主観点である演技・構成点に対して、あっちが高すぎる、こっちが低すぎると言い出したら、本当にラチがあかない。参加しているのは上位選手だけではないから、下位でも良い演技をしたあの選手は、なぜあんな点なのかということになる。突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるのが主観点ではないだろうか。 今回ソトニコワ選手とキム選手に対してジャッジが下した評価は、演技・構成点ではキム選手がトップでソトニコワ選手が2位。だが1位と2位の差はわずか、ということ。それ以上でも以下でもない。 むしろ、バンクーバー五輪のように、1位と2位で演技・演技構成点が4.72点「も」差がつくほうが不自然だと思うが、どうか(バンクーバーでのキム選手が71.76点、浅田選手が67.04点)。 メダルを争う選手に対して、演技・構成点では「順位はつけるが差はつけない」という方向に、採点の方向性が変わったというのなら、「バンクーバー2年前」以前の採点傾向に戻ったということだ。すると技術点で勝負がつきやすくなり、勝敗の分析も客観的な視点で解説しやすくなる。そのほうが、少なくとも世界トップを争う選手に対して、好みの入る主観点で大きく差をつけるよりはるかに公平でわかりやすいと思うが、どうか。 根本的な問題として、フィギュアスケートで「技術点」重視で勝負をつけることに、何か問題があるだろうか? もちろん、「ある」のだ。これは永遠にフィギュアスケート競技においてせめぎあう問題。「技術」か「表現」か。これを少し発展させたのが、「フィギュアスケートは、スポーツか芸術か」といった視点での論議だ。 技術点重視になると、配点の大きなジャンプで勝負が決まってくる。そうすると、特に女子の場合は若くて軽い選手のほうが有利になる。ジャンプ大会にさせないために演技・構成点がある。今のルール運用を見ると、ジャンプだけでは勝てない。それなりの表現力をもった選手、もっと正しく言えば、「表現力をもっていると現場のジャッジに評価された選手」でなければ上に来られないようになっているというわけだ。 「表現力をもっていると現場のジャッジに評価される」ために、年齢や経験は、理論上は、さほど関係ないだろう。年齢とともに表現力を身につける選手もいるだろうし、最初から大人顔負けの表現力をもった少女もいるだろう。たとえば、旧採点時代、リレハンメル五輪で金メダルを獲ったバイウル選手は、ジュニアからシニアに上がっていきなり世界トップのセカンドマークをもらっていた。彼女の表現力が若くして評価されたのは、バレエの素養がずば抜けて高かったからだ。 今回、ソトニコワ選手にしろリプニツカヤ選手にしろ、現場のジャッジは、世界の頂点を争うにふさわしい表現力をもっていると評価した。彼女たちの長所、それから短所(たとえば、まだ若いから滑りが成熟していないといったこと)も加味したうえで、そう判断したことになる。そのうえで、あの点が出た。ジャッジの採点行動から読み取れるのは、そういうことだ。 このジャッジの採点行動について、自分の意見と合わないという主観的印象論以外に、「疑惑」を客観的に裏付けられる根拠がありますか? Mizumizuはもう何年も前から「点はまだいくらでも吊り上げることができる。世界トップを争う選手が、演技・構成点の5つのコンポーネンツで、9点台前半を出そうが後半を出そうが、おかしくはないのだから」という意味のことを書いた。 そして、現実にそうなってきているということだ。 今回ソトニコワ選手は5つのコンポーネンツで、8点台後半から9点台半ば、キム選手も同様、リプニツカヤ選手は8点台半ばから9点台ぎりぎりまでの幅で得点を得ている。 これを、過去の実績や他の選手のこれまでの実績と比べて、つまり比較を根拠として、「高すぎる」と非難しても、絶対評価に対しては意味をなさない。主観にもとづく印象論で、「この選手に9点台は高すぎる」と非難するのは、もちろん論評は自由だが、単なる「価値観の相違」の域を出ない。 現行のシステムは、タテマエ上はあくまで、「比較」ではなく「絶対評価」で出されるものだから、世界トップレベルの選手が8点台後半の点をもらおうと、9点台前半の点をもらおうと、あるいは9点台後半の、10点に近い点をもらおうと、そのことは何もおかしくないだろう。 こうやって勝たせたい選手の点を吊り上げる。だが、それを「不正」と言えるだろうか? 得点はジャッジ団の総意として出てくるものだ。ジャッジのそれぞれの採点行動は、あくまで「世界トップの技術と表現力をもつ選手の良い演技に対して、高い評価を与えた」だけなのだ。 キム選手とソトニコワ選手の5コンポーネンツは、それぞれどちらが高いかということで、順位づけはされた。ただその差がわずかだった。そのわずかの差が「おかしい」のか「適切」なのかの判断は、多分に主観にもとづく印象、あるいはフィギュアスケートの技術や表現に対する価値観によって異なり、つまりは、客観的な論拠をもたないのだ。 ソトニコワ勝利に疑問をもたない専門家の多くが指摘するのは、特に後半のキム選手とソトニコワ選手の「攻める姿勢」の違い。キム選手は、ミスなく要素をこなそうと、しばしば慎重になり、スピードが落ちた。それが「無難にまとめた」という印象につながる。ソトニコワ選手は前半、静かに演技を始め、後半感情を爆発させて、最後まで勢いよく攻め切った。 五輪の女王の称号は、歴史的に見ても、フリープログラムで迷いなく攻め切った選手に与えられる傾向がある。長野のリピンスキー対クワン、ソルトレイクのスルツカヤ対ヒューズでも、勢いのあった若い選手に軍配が上がっている。 実績のあるビックネームから伸び盛りの新星が金メダルを奪うというのも、オリンピックではよく見る光景だ。今回もそうなった。女子シングルもそうだし、男子シングルもそうだ。何も不思議はない。 こうやって出てきた点をもとに、いくらでも後付で説明できる。実によくできたシステムではないか! では次に、(2)の「ソトニコワ選手の演技・構成点が急に上がったのはおかしい」という点について検証してみよう。 <以下、後日> ソチオリンピック放送をぜんぶみる! 2014年2月号 【表紙】 浅田真央、羽生結弦、高橋大輔 ほか[本/雑誌] (雑誌) / NHKサービスセンター お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.03.01 13:40:28
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