テーマ:歩いて愉しむ東京(950)
カテゴリ:新宿区
新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を時々書いている「新宿彷徨」です。
新宿御苑の東側、外苑西通りとの間に広がる住宅地内にある神社を訪れました。 ![]() 社号碑には「多武峯神社(とおのみねじんじゃ)」とありますが、多武峯内藤神社(とうのみねないとうじんじゃ)(→→→こちら)というのがこの神社の正式名称です。「多武峰」(→→→こちら)というと奈良県にお住いの方は御存知だと思いますが、桜井市南部にある山で、そこには談山神社があり藤原鎌足を主祭神とされているそうです。 ![]() この神社、元は江戸幕府初期の重臣で関東総奉行・江戸町奉行・老中などを歴任した内藤清成の邸内社であったそうです。 内藤家は藤原氏の出自であるので、先祖の藤原鎌足を祀る談山神社から分霊を勧請して創建したものです。 ![]() 鳥居に掲げられた扁額の「鎮守 爾祠壇」というのは、意味がわかりませんでしたが、神式の葬儀で使われる霊璽(白木台付きの札に故人の名前、亡くなった年月日などを書いたもの)と関連するような意味合いなんでしょうか? ![]() 明治維新後、内藤家屋敷地は明治政府に上納され、新宿御苑になったので、1886(明治19)年に現在の地に遷されました。 ![]() 当初は武州多武峯神社と称されていそうですが、1967(昭和42)年5月に多武峯内藤神社に改称されました。 ![]() 社殿の横にあった石塔です。 ![]() 駿馬塚の碑という説明板がありました。 駿馬塚は徳川家康が内藤清成に領地を与える際の「駿馬伝説」にまつわる碑になるそうです。 家康は現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と清成に語り、そして、清成の乗った駿馬は、千駄ヶ谷から代々木・大久保・四谷に至る広大な範囲を走ったが、疲れ果て死んでしまったため、大樫の下に埋葬されました。 その結果、今の新宿御苑とその周辺が内藤家の屋敷になったわけですね。 ![]() そんな歴史から、駿馬舎という馬小屋もありました。 ![]() さすがに本物の馬はいませんでしたが、白い木馬が中に鎮座しているようでした。 ![]() ![]() 人気ブログランキング 新宿彷徨(その9) 多武峯内藤神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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