カテゴリ:脱会後のリハビリ/心の減圧室を探す旅。
親父は私に多くのことを教えて天国へ旅立ちました。
私は「救いの中にいる」と、自分で思っていただけでした。 私は、とっくに救われていたのでした・・・・・そのことに今頃になって気づきました。^^; 私は親父のことが忘れられずに先日まで過ごしておりました。 けれど、今日はじめて気づきました。 『私は、すでに救われていた』ということに。 今日は、私が舅さんに付いていました。 舅さんの気持ちがわかるだけに、苦情を言ってしまいました。 看護師さんの仕事が大変なのもわかっているのです。 でも・・・言わずにはいられなかったのです。 舅さんの精神的苦痛を少しでも和らげてあげたかったから。 舅さんも親父と同じく戦争をくぐり抜け、日本の経済基盤を立て直すための布石となった人でした。 舅さんは親父とは正反対の人なのです。 親父は動の人でしたが、舅さんは静の人なのです。 親父は打って出る方の生き方で、必要以上に我慢する人ではありませんでした。 けれど、舅さんは守りの生き方で、我慢に我慢を重ねてきた人なのです。 その上に、この数ヶ月、過酷な闘病生活で来る日も、来る日も、耐えに耐えてきた上に、さらに我慢しろとは、あまりにも残酷な話だと思いましたから。 舅さんの事情をわかってくれていそうな看護師さんだったので、患者とその家族の希望という形で言わせていただきました。 わからない人に言ったら喧嘩になってしまいますものね。^^; その後は私なりに舅さんのお世話をさせてもらいました。 で、ぼちぼち帰ろうかな・・・・?っと思っていたら・・・・ 舅さんが、『泊まらんのんか?』と言ったのでした。 今日まで、こんなこと1回も言ったことなかったのに! その後はよく聞き取れない言葉でモゴモゴ言っていました。 いつもは、『遅うらなん内に早う帰れ。』と言っていたのに・・・・ 姑さんにも、このことを言ったらしていました。 家の旦那さんのことやら、その後の段取りの相談やらを姑さんと相談しなければいけなかったので、舅さんに『帰ります。また明日、来ます。』と言って帰ってきたのでした。 舅さんも頭が確りしているので、「うん。うん。」とうなずいてくれたのですが・・・・ 後ろ髪をひかれながらかえって来ました。 お泊りの段取りができたら付いていてあげたいです。 (私の希望なのですけど・・・・家の旦那さんは時々、土壇場になってダダを捏ねることがあるから・・・・姑さんとよく相談しましょう。) 親父だったら段取りが出来次第、「お泊り」すると思うから。 舅さんのことに関して、私は親父をベースに話しをしたり、行動していたことに、今日はじめて気づきました。 親父が見た舅さんの情報が基になっていましたから。無意識に。 親父の眼力はすごかった! 正確に、舅さんという人を見通しておりました。 自分が阿弥陀さんの国へ旅立った後のことも、すべてを見通していたもようでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.10.01 23:12:32
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