カテゴリ:脱会後のリハビリ/心の減圧室を探す旅。
小5くらいの頃、母の実家へ行っていたことがありました。
祖父母が元気な間に私と兄を連れて、しばらく、ゆっくりして来い。と親父が言ったからなのですが。 私は母方の祖父に昔の話をいろいろしてもらおうと話しかけたのですが・・・・面倒くさがられていましたね。 そういえば。 私の方がソックリさんの、 父方の祖父は昔の話を喜んでしてくれていたのですがね。 父方の祖父は私の良い遊び友達でもありました。 母の田舎にいるときも、 兄は母といつも一緒でした。 私は母方の祖母といつも一緒でした。 で・・・あるとき母は私をしこたまシバキ上げました。 いつもの如く兄が母の言うことを聞かなかったから、その責任を取らされるというパターンでした。 その様子を見た母方の祖母は泣きながら母を止めに入って、母は、その後すぐに外へ出て夕食の支度をはじました。 祖母は、というと・・・・ 『勘弁してやってくれえろ。勘弁してやってくれろ。全部、お祖母さんが悪いっちゃ。母ちゃんを勘弁してやってくれろ。母ちゃんを憎まんでくれろ。』 と、泣きながら言うのでした。 当時の私にしてみれば何で祖母が謝るのか?疑問でした。 祖母と母は一緒に夕食の支度をしながら、何やら話し合っておりました。 私も、すっかり忘れてしまっていた出来事だったのですが、私の子供時代を整理していく中で思い出しました。 祖母は他界していて、もういませんから、 この当時の出来事から推測することしか出来ませんけど・・・・祖母が生きていたとしても私には言わないだろうし・・・・ 母も虐待を受けていたのかも・・・と思いました。 で、そのときの母の心のより所が母の一番下の弟だったのでは? という答えに行き着きました。 祖母は私に『母を許してやってくれ。憎まないでくれ。』と言っていましたけど・・・私は、母を憎みも、怨みも、しておりません。 ただ、うざいだけです。 だって・・・・本当の母だとは思ったことがなかったのですもの。 母が自分から、そうなることを望んだのですから。 親父が忠告してくれていたのに、やったのですからね。 人間は心身ともに過酷な状態に置かれると自分よりも弱い者に、そのはけ口を求めます。 はけ口にされた者は、それを心に溜めたまま、心に傷を負ったまま育って行き、自分が絶えがたい苦しみの中に置かれたとき、はけ口を求めて、自分が幼い頃に受けたことと同じことを、今度は自分が、自分より弱い者に行い、心に溜まった鬱憤を晴らしてきた。 先祖の因縁を引きずっているからやるのではありません。 私を、産んだ。という人(母)もただそれだけの事だったと思います。 そして、はるか彼方へ過ぎ去った大昔の出来事。 今の私には、もう何の関係も無いことです。 親父は、もういませんから。 私には何のかかわりもない人です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.10.02 09:47:23
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