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テーマ:感じたこと(2892)
カテゴリ:こどもの頃の思いで
今日は、高校の剣道部時代にお世話になった顧問の先生の定年記念パーティでした。
小さい時から遊びの中心だった私ですが、スポーツは苦手。中学時代も、バレーボール部に所属していたものの、なかなか上手にならず、部活動をさぼって帰宅することもしばしば。でも、中3の頃になってようやく面白さがわかってきたのですが、その頃には、引退。高校に入ったら、何部に入っても一生懸命やろうと心に決めました。 高校に入って入部したのが剣道部。剣道には以前から興味があったのと、中学生時代からの友人に一緒に入ろうと誘われたこと、あとうちの高校のバレー部は練習がハードだという話だったことから、決めました(実は、後でわかったのですが剣道部も十分厳しい部でした)。一度休んだら続かないと思い、部活動は通院などでの早退したことはありましたが、一日もさぼらずに引退までがんばりました(後で書きますが、本当の意味でがんばったかどうかはまた別の話ですが…)。小学校時代に道場に通っていたり、中学時代に剣道部だったりする経験者がほとんどの中、結局最後まで団体戦の選手にはなれませんでしたが、仲間たちと一緒に苦しい思いを共通に体験したことで、その後の友人たちとは違う絆で結ばれた関係を持てたような気がします。 実際、今回の集まりにも恩師の先生がうちの高校におられた9年間の教え子のうち6割近くが出席という高い出席率でした。あんなことがあった、こんなことがあったという話であっという間に1次会が終わり、先生も交えた2次会には8割以上が参加、さらに複数の世代に分かれての3次会、4次会まであり、結局実家にたどり着いたのは、午前2時すぎでした。 剣道をスポーツとしてではなく武道としてとらえておられた先生の教えのもと、正攻法の剣道を我々は教わりました。実は、高校生ぐらいだと勝つための剣道っていうのもあるのですが、あくまでも正攻法を貫いたところが鬼と呼ばれながらもみんなが卒業後も先生のためにこうして集まる理由の一つかなと思います。 あと、うちの高校が正式な教員としての最初の赴任先だったので、生徒との年齢差もそれほどなく、今回の集まりにもどっちが教え子なのかわからないような先輩も参加されておりました。一番上の代は、3年生の最初の2・3カ月、その次の代は1年ちょっとしか先生に剣道を教わっていないはずなのですが、それでも大勢の先輩が参加されていたのは、先生のひたむきさを高校生の直感が理解したってことなのかなとも思います。 もっとも、当時は剣道場の足下の窓に先生の袴が近づいてくるのを見るだけで、道場の空気がピリッとするほど、恐れられておりましたし、練習中も厳しい指導でへろへろにされておりました。その一方で、高校そばの官舎に生徒を呼んで下さったりもしました。先生の奥様にも大変お世話になったものです。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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