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(私のブログはコピー・転載自由です。お知り合いに紹介してください。)
<子育てと幼児教育は総合芸術です>

子どもは丸ごと育ちます。
心だけ育てることはできません。
知性だけ育てることもできません。
言葉だけ育てることもできません。
からだだけ育てることもできません。
とにかく丸ごと育つのです。
ですから、
大人も丸ごと子どもと関わる必要があるのです。
そして、丸ごとの学びが必要なのです。


* * *

私は子どもの笑顔、子どもの笑い声が好きです。
ですから、私は子どもの笑顔見たさに、色々なことを考えたり、活動しています。
キーワードは、遊び、子育て、教育、シュタイナー、感覚、からだ、心、生命、造形、仲間作り。
(シュタイナー的ではありますが、シュタイナーの紹介を目的としたものではありません。シュタイナーに共感した部分で書いています。)

* * *

<学ぶ時間がないという人へ>

道を歩くだけしか出来ないのなら、道の歩き方を学びます。
仕事をすることしかできないのなら、からだの使い方、心の使い方、仕事の仕方を学びます。
立っていることしかできないのなら、立ち方を学びます。
生きていることしかできないのなら、呼吸の仕方を学びます。

あなたが今学ぶべきことは、あなたが今やっていることの中にあります。
ですから、本当の学びは“今、自分は何をやっているのか”という気づきから始まります。
その気付きにつながらない学びは、全て無駄です。

* * *

他に「生命を考える」というホームページと
「生命とからだ」(つながりの世界)というブログも運営しています。

前者は私が茅ケ崎でやっている教室関係の紹介がメインです。
後者は、「からだ」という視点を中心に、具体的なエクササイズとつなげてあれこれ書いています。

* * *

「わらべうた」の冊子(CD付き)、
子育て関係の手作り冊子も出しています。

2013年6月に書店から「子ども発見」という冊子を出しました。
詳細は「ここ」(5月28日のブログ)でご覧になって下さい。


* * *

「ガキ大将クラブ」のススメ(お母さん達へ! ガキ大将になろう)
「お母さん達の仲間作りワークショップ」を企画しませんか

* * *

<教室の生徒募集です>(湘南・茅ヶ崎周辺の活動)

○子どもの造形教室

○親子遊び(2才から)
○「遊びの会」
幼稚園児、小学生達が、大人や仲間と一緒に遊ぶ会です。月1回、土日の活動です。

○他のクラスもあります。

私は、これらの教室の他に色んな地域、公民館、地区センターで親子遊び、造形ワークショップ、からだ遊びワークショップ、お母さん達の勉強会(気質、子育て)、幼稚園の先生などの勉強会をやっています。
公民館や地区センタに企画を持っていったり、仲間を集めてお呼び頂ければワークの出前をします。お問い合わせ下さい。
みんな体験型のワークショップです。

2016.05.29
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カテゴリ:カテゴリ未分類
私が若い頃太極拳を教わっていた先生は、武闘家として有名な人で練習もなかなか厳しかったです。

馬歩(マーブー)という中腰で立ち続ける練習で腰が抜けるまでやらされたこともあります。突然下半身に全く力が入らなくなり、ストーンと床に倒れてしまい、立ち上がれなくなってしまうのです。

その時「腰が抜ける」という表現は全くそのままなんだ、という発見をしました。

そういう練習ですから、当然、必死になって痛みをこらえ、ガマンしようとします。

でも先生は、そんなガマンしている姿を見て「ガマンするな」と言うのです。

それで、「ガマンするな=やめてもいいよ」と理解したので、やめようとすると、今度は「やめるな」と言うのです。

今ではその意味が分かりますが、当時は全く禅問答でした。

必死に痛みをこらえているときに、「笑え」と言われたこともあります。

ガマンしているだけでは成長しないのです。
なぜなら、人はガマンしているときには心も、感覚も、からだも、思考も閉じてしまっているからです。
そのような状態では学びも、変革も起きないのです。

だからといって、逃げてしまってもそれは同じです。

じゃあどうしたらいいのかというと、からだを緩めてその状態と対話し続けるのです。

大切なのは「どれだけ長い時間ガマンできたか」ではなく、どんな状況の中でも「正しい心とからだの状態」を保持することなんです。


勉強が嫌いな子にとっては「勉強の時間」は「ガマンの時間」でもあります。でも、勉強が好きな子にとっては、「勉強の時間」は「楽しい時間」であって「ガマンの時間」ではありません。
ですから、ガマンを押しつけるよりも勉強が楽しくなるような工夫を教えた方がズーッと子どもの成長の支えになります。

ガマンしながらの勉強は、試験には役立つかも知れませんが、成長には全く役に立ちません。

ちなみに、私は数学の証明問題が大好きで、数学の問題集を買ってきて解くのが高校生の頃の趣味でした。

仕事でも同じです。
仕事を「お金を稼ぐためのもの」としか考えていない人にとっては、「仕事の時間」は「ガマンの時間」なのでしょうが、仕事を「自分を成長させてくれる糧」と考えている人にとっては、「仕事の時間」は「発見と喜びの時間」でもあります。

子育てでも同じです。

実は「ガマン」はしない方がいいのです。ガマンする人はそこで思考停止してしまうからです。

そうではなく、「どうやったらそれを楽しむことが出来るか」、「そこから学ぶことが出来るか」を考え、工夫し、模索するのです。

「納得する」というのも有効な方法です。

「世界中には食べ物がなくて飢えて死にそうな人がいっぱいいる」ということを知ることで、贅沢をやめることが出来る場合もあります。

ここで必要になるのは「意識の変革」であって、「ガマン」ではないのです。


以前、ネットで「ガマン」の実験の映像を見たことがあります。

小さな子の前に大好物のお菓子を置いて、「お母さんが帰ってくるまで食べないように」と伝えてお母さんが出て行ってしまいます。

それで、子どもがどれほどガマンできるのかを隠しカメラで観察するという実験です。
モニタリングという番組でも同じような実験?をしていました。

実験の結果としては、椅子にジーッと座ってガマンしようとしている子はすぐに食べてしまうのに、そのことを忘れようと、他の色々な遊びを始めた子は結果としてお母さんが帰ってくるまで食べないでいることができたのです。

つまり、「ガマンしなくてもいい方法」を探すことができた子が、結果としてガマンできたことになったのです。


人間のガマンには限界があります。
仕事でガマンし続けたら心とからだを壊してしまいます。

子育てでガマンしていたら、虐待につながってしまいます。


ガマンしようとしない人が虐待をするのではなく、ガマンだけで乗り越えようとする人が、ある臨界点を超えたときに虐待してしまうのです。

子育てを楽しむことが出来る人はガマンも虐待もしないのです。

じゃあ、「ガマンをしなくても苦しい状態を乗り越えることが出来るような能力とは何なのか」ということなんですが、それが「工夫し、体験から学ぶ能力」なんです。

そして、それは「自由の体験」の中でしか学ぶことが出来ないのです。

指示や命令に従うだけの生活は、ガマンだけで乗り越えるしかないからです。

ちなみに、幼い子どもにはガマンする能力自体がありません。
「ガマン」が子どもの成長を阻害してしまうからです。

だから恐怖心で押さえ込むしかなくなってしまうのです。
でも、そのような対応をしていると「ガマンが出来ない大人」に育ってしまいます。






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Last updated  2016.05.29 06:44:14
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2016.05.28
カテゴリ:カテゴリ未分類
一般的にお母さん達が意識している「しつけ」には、生活習慣的なものが多いですが、時々、「ガマンをしつける」ということも大きな問題になります。

特に、男性の方がこの「ガマンのしつけ」には熱心なようです。
それは、男性の多くが「お金を稼ぐためにはガマンが必要なのだ」と考えているからなのでしょう。
実際、多くの男性が、ガマンしながら会社に行っています。

でも、そのような「お金を稼ぐためにガマンして会社に行っている人」ほど、お金を稼ぐための場ではない家庭の中では、自分の欲望に従ってワガママに行動してしまう人が多いような気がします。

「おれはおまえ達のために会社でガマンして働いているのだから、家にいるときぐらい自由にさせてくれよ」ということなのでしょう。

それで、会社でいっぱいガマンしている人ほど、休日には一日中ゴロゴロしていたり、ゲームなどの自分の趣味に没頭して、子育てや家庭のことには関わろうとしないのです。

そういうお父さんの姿を見て、子育てを通して一日中ガマンしているお母さんは、イライラしてきます。
特に、「子育て」真っ盛りの時には、土日だろうと、夜だろうと、「ガマンしなくてもいい時間」などないからです。

でもその一方で、いっぱいガマンしているお母さんは、自分が楽になるために、子どもに「ガマン」を押しつけます。

お母さんが子どもに合わせようとすると「ガマン」が必要になるので、子どもにお母さんに合わせるように求めるのです。
そして、子どもの本能や、欲求や、自分らしさを「ガマンしなさい」の一言でコントロールしようとしています。

他にも子どもたちは、「成績を上げるためのガマン」や、「学校を卒業するためのガマン」や、「先生に叱られないためのガマン」などが求められています。

また運動部などでは「勝つためのガマン」や、「チームワークのためのガマン」や、「監督に叱られないためのガマン」なども必要になります。

そして、多くの大人がこのような「ガマン」は、子どもが社会人になった時に必要になるとも考えています。

だから、熱心に「ガマン」を仕付けようとしています。

でも、このような「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」は心とからだの健康にはよくありません。

このようなガマンをズーッと続けていたら、心とからだが壊れてしまいます。

そして子どもは、自分の心とからだの成長を阻害するようなことは本能的に出来ませんから、このようなガマンはできません。

生理的に出来ないのです。
「泣くんじゃない!!」と怒鳴っても無駄なんです。

「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」は思春期が近くなって、自我が育ってこないと出来ないのです。

そのため、大人は子どもを脅かし、恐怖でガマンさせようとします。
また、「お母さんの言うことをちゃんとやってくれない子は嫌いだな」などと、愛情を餌にして子どもの行動を支配しようとします。

これは結構効きます。
でもその代償に、子どもの自己肯定感は失われ、子どもは孤独になり、苦しくなります。そして、その苦しみは一生続きます。

いつも「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」をしている人に限って、自分が楽になるために子どもにもガマンを求めるのです。

「あなたのためよ」などと言いますが、本音では自分が楽になるためです。

でも、「ガマンの押しつけ」をしていると、「ガマンできない子」に育ってしまうのです。
「見返りや罰則があるからガマンする」というのは、本当の意味でのガマンではないのです。


子どもは「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」は出来ません。

でも、5才頃から、誰からも叱られなくても、見返りがなくても、罰則がなくてもガマンすることが出来る子はいます。

それはどういうことなのか、ということです。

実は、そのような子もまたガマンしているわけではないのです。

例えば、子どもが一枚のビスケットをもらったとします。
普通はたった一枚ですから子どもはそのまま食べてしまうでしょう。
でもそこに小さな弟がいたとします。そして、弟も食べたがっていたとします。

すると優しいお兄ちゃんなら二つに割って半分をあげるでしょう。
一見それは「ガマン」に見えますが、そうではないのです。

二人で食べた方が嬉しいから、二つに割ったのです。

自分の欲望を抑えて半分あげたのではないのです。

結果としては、ガマンしたことになるのですが、子どもはガマンしたわけではないのです。

この違いが分かるでしょうか。

優しい子はガマン上手な子でもあるのです。

そして、こういう子は「ガマン」を押しつけられていない子です。

それに対して、ガマンを押しつけられている子は「ガマンが出来ない子」になってしまうのです。







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Last updated  2016.05.28 08:14:59
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2016.05.27
カテゴリ:カテゴリ未分類
世の中には「褒める子育て」というものがあります。

そして、その方法を取り入れているお母さんも多いような気がします。

子どもを褒めているだけで、子どもがすくすく、ちゃんと育っていくなら、子どもも喜ぶし、お母さんも気が楽です。

でも、お母さんがそんな安易な「方法」に頼っていると、子どもはお母さんとの心の触れ合いを失うため孤独を感じるようになります。

そして、「もっとちゃんと向き合って」と様々な問題を起こすようになります。

そして、子どもが何か問題を起こしたときに「褒める子育て」では対応できなくなります。

「良いこと」をしたときには褒めることが出来ます。でも、当然のことながら、「悪いこと」をしたときには褒めることが出来ません。

だからといって無視するわけにも行きません。

それで叱ることになるのですが、子どもはそれまで叱られたことがないのに叱られて、「きっとお母さんは私のことが嫌いなんだ」と思ったりしてしまいます。

褒めてばかりいたお母さんも、叱ることに罪悪感を感じてしまいます。
そこから、叱りたくないのにイライラして叱ってしまうという「イライラを子どもにぶつけるだけの子育て」が始まります。

じゃあ、「褒めない方がいいのか」というとそれも違います。

問題なのは「褒める子育て」とか「叱る子育て」というように方法を固定してしまったら、子どもの心が見えなくなってしまったり、子どもの心と触れあうことが出来なくなってしまう、ということなんです。

子育てやしつけを「方法」で考えてしまう人の落とし穴がここにあります。

そのような人は自分自身ともちゃんと向き合っていません。

自分と向き合っていないから子どもとも向き合えないのです。
「方法」に頼るのは「向き合うことからの逃げ」です。

自分はスズメなのに、スズメであることを嫌い、子どもを鷹に育てたいと願うような人が「方法」に依存するのです。

「スズメの子はスズメでいい」と受け入れることが出来る人は、自分の判断で子育てが出来るわけですから、方法などに依存する必要はないのです。


でも、「泳ぎ方」の本を読んだだけで泳げるようになりますか。
「格闘技」の本を読んだだけで強くなりますか。
そんなことあり得ないのです。

それと同じように「子育て書」を読んで色々な「方法」を学んでも、実際の子育てが上手になるわけではないのです。

それらは全て「ヒント」に過ぎません。

肝心なことは、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、実際に体験しながら学んでいくということなんです。

失敗を恐れるのではなく、失敗から学ぶのです。

「小さな失敗」を重ねることが、「大きな成功」への道標になるのです。

でも、失敗を恐れる人ほど「方法」に頼ろうとします。そして、失敗します。

「自分と向き合う」ということは、「失敗から逃げない」ということでもあります。

大切なことは「失敗しないこと」ではなく、「失敗から学ぶこと」なんです。

「成功」は「失敗」から学んだ結果に過ぎません。

これは子育てでも、仕事でも、習い事でも、人生でも同じです。


でも、失敗にも「良い失敗」と「悪い失敗」があります。

自分の頭で考え、自分の感覚と判断で行ったことに対する失敗は「良い失敗」です。その失敗からは自分の成長につながる多くのことを学ぶことが出来ます。

でも、マニュアルや人の意見に頼って失敗した場合は「悪い失敗」です。なぜならそのような失敗からは「自分の成長につながるようなこと」を何も学ぶことが出来ないからです。

そこには、ただ後悔ばかりがあるだけです。





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Last updated  2016.05.27 07:09:32
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2016.05.26
カテゴリ:カテゴリ未分類
親の気持ちは一緒でも、子どもは気質によって親に求めているものが違います。当然、しつけの仕方も違ってきます。

胆汁質の子はチャレンジするのが好きですから、そういう環境が必要です。また、承認欲求も強いので、褒めてあげると喜びます。
また、指示や命令や束縛に対してはあからさまに反発します。
活動的で攻撃的です。
独創的で創造的な遊びを好みます。
自分のやりたいことが決まっているので、「みんなと一緒」を求めません。
ただし、それに合わせてくれる仲間なら受け入れます。その結果リーダー的な位置にいることが多いです。
勝ち負けにこだわります。
結果が見えないことにはチャレンジしません。
強いものや強そうなものが好きです。
仲間に対しては優しいですが仲間以外の子に対しては対立的です。


多血質の子は楽しければやるし、楽しくなければやりません。
「みんなと一緒」が大好きです。
胆汁質と違って、独創的でも創造的でもありません。
作るよりも集めるのが好きです。
ブランドものやかわいいものが大好きです。
また、自由を束縛されると急に元気がなくなります。
嫌なことがあるとチャレンジすることなく簡単に逃げます。
あまり責任感はありません。
深く物事を考えるのが苦手です。
一人でコツコツと地道な努力をするのは苦手です。
いつもからだを動かしていないと窒息します。
でも、一つのことにこだわることなく、自由な発想をすることが出来ます。
明るい性格なので周囲を楽しくしてくれます。
他の人との間に壁を作らないので、友達が多いです。情報もいっぱい持っています。
小さな事にはこだわりません。
仲間がいると生き生きとして、積極的に活動することが出来ます。


憂鬱質の子は、自分の世界を大切にしています。
その世界を共有することが出来る相手となら一緒にいることが出来ますが、その世界を共有できない相手は避けようとします。
予測できないことを怖がります。
デリケートな神経を持っているため、強い刺激や、大きな声や、大勢人がいる場や、騒々しいところを嫌がります。
いつも、頭の中であれこれ考えています。理屈っぽいです。

胆汁質の子は行動しながら考えますが、憂鬱質の子は考えるだけで行動しません。
ちなみに、多血質の子は行動するだけで考えません。

(昔、「篠先生は多血質に冷たい」と言われたことがありますが、そんなことありませんからね。楽しいし、好きですよ。)

戦うことが嫌いで、非常に優しいです。
声や表情や雰囲気が柔らかいです。
戦うことが嫌なので、指示や命令に対しては比較的素直に従います。やられてもやり返しません。でも、心は苦しいです。
すぐ、心がどこかに飛んでしまいます。すると、時間が止まったかのようにジーッと動かなくなります。
物語が大好きです。また、物語的に物事を考えます。
寂しがり屋なので、傍にいてあげて下さい。
保守的で新しいことには慎重です。
色々なことに対するこだわりが強いです。

憂鬱質の子は時間さえかければ自分のことは自分でなんとか出来るので、せかさず、叱らず、ただ傍にいて見守っているだけで大丈夫です。でも、他の気質の子よりも行動や成長に時間がかかります。そのため親としては追い立てたくなってしまうのです。
また、胆汁質も多血質も褒めれば喜ぶし、ある程度は褒めることで行動をコントロールすることもできますが、憂鬱質の子にはそれは通用しません。憂鬱質の子は自分の活動の是非は自分で判断します。
そういう点で非常に扱いにくいです。
成長と共に安心と自信がついてくると、次第に積極的になり、こだわりも減り、外の世界に出て行くようになります。友達も増えてきます。
でも、追い立てたり、恐怖で支配しようとすると、さらに状態は悪くなります。


粘液質の子はあまり積極的に活動しません。でも、自分は活動しなくても、楽しそうに活動している仲間達を見ているのは好きです。
憂鬱質の子は大勢の子が遊んでいる場からは逃げようとしますが、粘液質の子は参加はしなくても、楽しんではいるのです。
食べるのが好きです。
多血質のようにはしゃぐこともありますが、長続きしません。基本的に、ジーッとしているのが好きです。
おだやかです。

その子の回りだけ見えない幕がかかっているような雰囲気があります。
活発な活動は苦手ですが、持続的、継続的な活動は得意です。
結果よりも過程を楽しむことが出来ます。
多血質とは違い、単調な繰り返しが好きです。
一人でも退屈しないし、寂しがりもしません。
そのため、「楽な子」として放っておかれてしまう可能性もあります。すると、発達が遅れてしまいます。参加しなくても、見たり感じたりしながら色々なことを吸収しているので、意識して、そういう場や刺激を与えてあげて下さい。
自分の価値観や感覚にこだわることなくバランス良く考えることが出来ます。
外見的には不活発ですが、心の感受性は高く、文章など書かせるとその内面を見せてくれます。
植物や生き物を育てるのが好きです。ちゃんと世話をします。
積極的な反抗はしませんが、納得できないことに対しては沈黙の抵抗をします。
マイペースですが、ちゃんとやるべき事はやります。
追い立てられても早く動くことが出来ません。


多血質と憂鬱質はその不安定さで似ています。
粘液質と胆汁質は比較的安定しています。

多血質と胆汁質は現実の世界や大人の社会に強い興味があります。
粘液質と憂鬱質は、現実の世界や大人の社会よりも、「自分の世界」の方を大切にしています

多血質と粘液質はこだわりが少ないという点で似ています。比較的からだも柔らかいです。胆汁質と憂鬱質はこだわりが強いという点で似ています。両者ともからだは固いです。

それと、気質は混ざって存在しているのが普通なので、実際には、上に書いたような特徴に分類しきれない子もいっぱいいます。

しつけをするときにはこういうことも知っておくと楽になります。






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Last updated  2016.05.26 18:15:22
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2016.05.25
カテゴリ:カテゴリ未分類
子どもは2、3才頃までは「おかあさん おかあさん」と寄ってきます。

痛いとき、悲しいとき、おなかが空いたとき、寂しいときなど、何かしら不安を感じるようなことがあるとお母さんの所に寄ってきます。

そして、子どもがお母さんを求めて寄ってくる間は、子どもの育ちに対してお母さんの影響が一番強いです。

子どもがお母さんを「手本」にするのもこの頃までです。

でも、3、4才頃から、子どもは次第にお母さんから離れ始め、仲間の方に寄っていくようになります。

子どもの関心や模倣の対象が「お母さん」から「仲間」に移っていくのです。

それと共に、お母さんからの影響よりも、仲間からの影響の方が強くなります。

お母さんがどんなに素敵な言葉を使っていても、仲間の中で「うんこ」とか「ばか」とか「しね」という言葉が流行っていれば、子どもは「お母さんの言葉」よりも「仲間の言葉」を選ぶようになります。

うちの長男も、一時「クレヨンしんちゃん言葉」を使っていました。

でも当然のことながら私も家内も「クレヨンしんちゃん言葉」など使いません。

おうちで「手を洗う」とか「歯を磨く」という習慣が出来ていても、仲間がそういうことをやっていなければ、子どもは仲間と同じように、手を洗わなくなり、歯を磨かなくなります。

「靴を履く」という習慣が身についていても、仲間が裸足になれば、子どもは裸足になります。

だから「しつけ」に熱心なお母さんは、我が子が「しつけ」に甘い子どもと遊ぶことを嫌がるのです。

自分の努力が簡単に無にされてしまうからです。

でも、そのことで子どもを仲間から遠ざけてしまったら、子どもは苦しく、寂しくなり、仲間から学ぶべきことを学ぶことが出来なくなります。

社会性も学べなくなります。

でも、逆に、そういうことを全く仕付けていなくても、仲間がそういうことしていれば、子どもは自分の意思で手を洗い始め、歯を磨き始めることもあるので、これはいい悪いの話ではなく、「子どもとはそういうものだ」というだけの話です。

それがこの時期の子どもの特徴なんです。

ただし、ここに書いたことは「そういう傾向が強くなる」ということであって、「必ずそうなる」ということではありません。

多血質が強い子ほどその傾向はあります。うちの長男も多血質です。

粘液質や憂鬱質が強い子はあまり影響を受けません。

それがそれぞれの気質の長所であり、短所でもあります。

じゃあ胆汁質は・・・というと、そのような子どもの流行の発信源に胆汁質の子がいることが多いです。

でも、これもズーッと続くわけではありません。

9才頃から、人の真似ではなく、自分の趣味で自分の言葉や行動を選ぶようになるからです。


子どもを仕付ける際には、このような子どもの心の変化に対応して、子どもとの関わり方や、その内容を変えていく必要があるのです。

2,3才頃まではお母さんが少しぐらい支配的でも子どもはお母さんが大好きですから、頑張って付いてきます。

「約束よ 分かった!!」と言われれば、「約束」という言葉の意味が分からなくても素直に「分かった」と言います。

でも、そのままでは、興味の対象がお母さんから仲間に移った時点で、お母さんの言うことを無視するようになります。

「押しつけられたこと」は、子どもの心の中から消えてしまいます。

それでお母さんはさらに強く仕付けようとするのですが、その時点では、もうお母さんは魔法の力を失ってしまっているので、子どもは逃げようとしたり、無視することで対応するようになります。

もし、その後も子どもに対する影響力を保持したいのなら、2、3才までは厳しく仕付けることよりも、子どもとの間に「温かい信頼関係」を築くことを大切にした方がいいと思います。

「じゃあ、しつけはどうでもいいのか」というと、そんなことはありません。

お母さんだけでなく、他の人との間に暖かい信頼関係を築くことを体験させる以上に、この年令に必要な「しつけ」はないからです。

「人のぬくもりの温かさ」を体験させ、「優しさを育てる」という「しつけ」は、この時期にしか出来ない事なんです。

そして、そのようなしつけを受けている子は、叱られなくても、人が困るようなことはしないものです。

それに、手を洗うとか、歯を磨くなどということは、本人の自覚が生まれれば、何才になってからでも身につけることが出来ます。


ちなみに、群れて遊ぶようになると、子どもは仲間だけでなく、年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんの影響を強く受けるようになります。

お母さんの言うことはスルーしても、お兄ちゃんやお姉ちゃんの言うことはちゃんと聞くのです。

だから、この頃から、素敵なお兄ちゃんやお姉ちゃんと出会わせてあげるのが「しつけ」になります。

9才を過ぎたら、今度は社会的に素敵な活動をしている大人にあこがれるようになります。

ですから、そのような大人と出会わせてあげるのが「しつけ」になります。

3才を過ぎても、5才になっても、9才になっても、大人になってすら、2、3才児の時と同じように子どもを仕付けようとする人がいますが、そのような「しつけ」をしていると、子どもの心はどんどんお母さんから離れていくばかりです。

じゃあ、そのような状態での親の役割は何なのかというと、子どもの成長を見守り、子どもを信じ、子どもを応援し、家庭を「温かくて居心地がいい場所」にしてあげることです。

それ以上のことは出来ません。





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Last updated  2016.05.25 15:26:43
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2016.05.24
カテゴリ:カテゴリ未分類
昔々、スフィンクスという怪物が、自分の所を通ろうとする旅人に難問を出していたそうです。

それは、
「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。 その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」

というなぞなぞで、それに答えることが出来ない旅人は食べられてしまったそうです。

これは有名ななぞなぞですから、皆さんも答えはご存じでしょう。

それは「人間」です。

赤ちゃんの時には四つ足(ハイハイ)で歩き、やがて二本足で歩き、老人になると杖をつくようになるので三本足になる、ということです。

ただ、わたし的にはこのなぞなぞはまだ不充分な気がします。

乳児の時にはお母さんに抱かれて移動するので、四つ足の前に「無足歩行」の状態があります。

さらに、老人になって車いすを使うようになれば、また乳児と同じ「無足歩行」に戻ります。

そして、人間においてはこの過程は自動的に起きます。お母さんに抱かれたままの状態の赤ちゃんは、別段お母さんがしつけなくても時期が来れば自分の力でハイハイをするようになります。

また、ハイハイで歩いている状態の赤ちゃんは、厳しいしつけなどしなくても、時期が来れば立って歩くことが出来るようになります。

最初はよろよろ歩き、次にしっかり歩き、3才頃には走り回ることが出来るようになります。

そして、走り回ることが喜びになるようになってくると、次第にお母さんから離れていきます。

お母さんが無理矢理自立をさせようと仕付けなくても、からだがしっかりとしてくると、次の段階として自然と自立が始まるのです。

言葉もそのようにして自然に学びます。

最初は何も出来なかった状態の赤ちゃんですが、人間らしい扱いを受けているだけで、誰でもみんな自然に一人前の大人になっていくのです。

ただ、その時に忘れられがちなのが「自分で考え、自分の意思で活動し行動する自由」を与えてあげるということです。

人間の人間らしさの根幹はその「自由意志」の中にあるので、それを発揮できないような状態では、人間としての成長全般が滞ってしまうからです。

自分で考え、自分の意思で活動する行為が、子どもの意識や意思の育ちを促してくれるのです。

ですから、「しつけ」と称した束縛で、子どもをがんじがらめにしてしまったら、子どもは自らの意思で成長する力が萎えてしまうのです。

そうなると、手本や目標を求めなくなります。
周囲にどんなに素敵な手本があっても、自由を与えられていない子どもにはそんなもの意味がないのです。

そのため、「厳しいしつけ」が必要と思われるような状態になってしまうのです。


また、室内で、人工的なオモチャでばかり遊んでいると、からだの発育も遅れ、「自立のための意思や意識の育ち」も遅れてしまう可能性があります。

ちなみに、この場合の「からだの発育」とは、身長とか体重のことではありません。「生命力」や、「からだを使いこなす能力」のことです。

これが子どもの意思や意識の成長と密接につながっているのです。

おっぱいも、トイレも、時期が来たら子どもは自分の意思で卒業します。
でも、意思や意識の育ちが遅れている子は、お母さんへの依存が抜けないため、いつまでも卒業することが出来ないのです。

また、ちゃんと成長していても、その時期を待つことが出来ないお母さんもいっぱいいます。

だから、大人の都合に合わせた「おっぱいトレーニング」、「トイレトレーニング」が必要になるのですが、でも、無理をすると子どもとの信頼関係に悪い影響を与えてしまう恐れもあります。

一見、「しつけ」とは無関係に思われることですが、自然の中で走り回ったり、木登りしたり、仲間と一緒にコマを回したり、竹馬をしたり、大きな声を出したり、ゴロゴロしたりするような活動や、家の中でもハサミや包丁を使いこなすような能力が、おっぱいやトイレの卒業を促す力になるのです。

これを、行動を制御する「しつけ」だけで乗り切ろうとすると、次の段階もまた「しつけ」で対応しなければならなくなります。子ども自身の成長が伴っていないのでキリがないのです。

でも、成長と共に子どもは「しつけ」から逃げたり、あからさまに反発するようになります。そうなると「しつけ」という方法はもう使えません。

さらに困ったことに、そのように幼い頃から「しつけ」などでがんじがらめに育ってきた子ほど、不安が強く、自分をコントロールする能力は低いため、親の束縛が届かない状態では不安と欲望に振り回され、非常に困った状態になってしまうことが多いのです。

また、室内でばかり遊んできた子は、自由を与えられても、自由に活動することが出来ません。オリの扉を開けても、慣れ親しんだオリから出て来ない動物のようです。

そのような子は依存心ばかりが強いです。

ただ、「しつけなんて必要がない」ということではありません。

子どもは放っておいても立って歩けるようになりますが、姿勢正しくちゃんと歩けるようになるためには「しつけ」が必要です。

言葉も勝手に覚えてしまいますが、正しい言葉を話すことが出来るようになるためには「しつけ」が必要です。

そして、それが本来の「しつけ」の意味だと思います。
「しつけ」というのは一種の美学なんです。

だから、「躾」という字も使ったのだと思います。
まただから、昔の人は、言葉遣いや、立ち居振る舞いにうるさかったのです。

でも、現代人はこのような「しつけ」には無頓着です。

現代人にとっては、大人の都合を押しつけるのが「しつけ」の目的になってしまっています。
そのため、多くのお母さんが動物を調教するような手段を「しつけ」として使っています。

でも、それが、子ども自身の「人間としての育ち」を支える働きをしないのなら、それは本当の意味での「しつけ」ではないのです。

最初のスフィンクスの言葉ではありませんが、人間は成長と共にその姿を変えていく生き物です。
でもその時変わっていくのは、姿・形だけではありません。
意識や、心や、からだの状態も変わっていきます。

ですから、三歳の時に必死になって頑張って仕付けたことでも、子どもが四歳になって意識も、心も、からだも変わってしまうと、全く役に立たなくなってしまうことが多いのです。

それで今度は、「四歳児対応のしつけ」をするのでしょうが、それも五歳になったら役に立たなくなってしまうかも知れません。

歯を磨く習慣も、手を洗う習慣も、お母さんが必死になって身につけさせても、成長と共に簡単に消えてしまうことが普通にあるのです。

そうやって、子どもがしつけから逃げたり、しつけに反発するようになるまでいたちごっこが始まります。

逆に、全然仕付けていないのに、お友達がやっているのを見て、手を洗うようになったり、歯を磨くようになったりすることも多いのです。

ちなみに、ちゃんと仕付けられた「正しい歩き方」や「美しい言葉」は、急に消えたりはしません。

本当の「しつけ」は「一生もの」なんです。





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Last updated  2016.05.24 14:09:03
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2016.05.23
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私が子育ての参考にお母さん達に勧めている二冊の絵本があります。

「てん」(ピーター レイノルズ著・谷川 俊太郎 訳)

てん
と、

「びゅんびゅんごまがまわったら」(宮川 ひろ著・林 明子 絵)

びゅん

の二冊です。

この二冊の絵本に登場する大人は、子どもに対して全く異なった関わり方をしています。
双方とも「待つ」という姿勢は同じなんですが、立っている位置が違うのです。

「てん」では、子どもの「今」を肯定し、子どもに寄り添い見守りながら、子どもが自分の意思で目覚めていくのを待っています。

「気づき」を促すような働きかけはしていますが、正解を与えることもなければ、追い立てることもしていません。

ですから、このような関わり合いを通して、子どもは「自立心」や「自分らしさ」を育てていくことが出来ます。


それに対して、「びゅんびゅんごまがまわったら」では、大人は「目標」を与える役割をしています。

でも、その「目標」は「正解」ではなく、子どもが自分の意思で動き出すきっかけに過ぎません。
ですから、子どもを追い立てることもなければ、途中で目標を変えてもOKです。
また、目標に至る過程は子どもに任せています。
かかる時間も任せています。

このような関わりで大切にしているのは、「目標通りの結果に至ること」ではなく、「目標を目指している過程で様々に工夫し、様々なことに気づき、自分の気づきを通して学ぶこと」です。

「目標」自体が目的ではないのですが、「目標」があるからこそ、このような学びが発生するのです。

例えば「基地を作る」という目標があるからこそ学ぶことが出来ることもあるのです。

ですから、この場合も「待つ」ということを大切にしています。子どもを追い立てたら「気づき」も「学び」も生まれないからです。

それに対して、「てん」で大切にしているのは「自分らしさを大切にすること」ですから、大人は「目標」を与えません。「目標」を決めるのは自分自身です。


この両者とも、「待つこと」を大切に考え、「正解を与え子どもを追い立てる学校教育」や、「成長を急がせようとする知育教育」には批判的です。

でも、大人の立ち位置が違うため、方法論的には異なったものになってしまうのです。
この両者は「どちらが正しい」ということではなく、子どもの育ちには両方とも必要なものなんです。

ただ、「てん」のような関わり方はお母さんにも出来ますが、「びゅんびゅんごまがまわったら」的な関わり方は、お母さんはあまり得意ではありません。

なぜなら、幼い子どもの目標は「お母さん」そのものだからです。
幼い子どもはお母さんと一緒にいたいのです。そして、お母さんの真似がしたいのです。

ですから、お母さんが目標を与えるため子どもの傍から離れようとすると、子どもは嫌がります。

でも、子どもはお母さんの近くにいたい2,3才頃までは目標を求めませんが、お母さんから離れて仲間と群れて遊ぶことが出来る年令になって来ると、次第に目標を求めるようになります。

それが成長の本能なのでしょう。

けん玉が上手な子を見てあこがれれば、それが目標になったり。かけっこが早い子を見れば、速く走ることが目標になったりします。

そして目標を目指す過程で様々なことを学びます。

特に、胆汁や多血といった仲間と群れて遊ぶのが好きなタイプの子は、目標があると喜びます。

そのような子どもたちは、大人が目標を与えなくても、自分たちで目標を作って競い合います。それが成長の本能だからです。でもそのため、時にはゲームやイジメといった困った方向に競い合うようになってしまうこともあります。

その時、大人が子どもの成長に必要だと考えた適当な目標を用意することで、子どもたちはその目標を目指す過程で、「大人の社会に入っていくために必要な多くのこと」を学ぶことが出来るようになります。

でも、群れて遊ぶよりも自分の世界を大切にしたい子は、それを「押しつけ」と感じてしまうこともあります。

子どもによっても「合う」「合わない」があるのです。

そして、どちらかというと「自分の世界を大切にしたい」と考える人は、シュタイナーの世界に共感しやすいような気がします。

シュタイナーの幼児教育では、「てん」の絵本のように「自分の可能性を広げるきっかけ」は与えますが、具体的な目標は与えないのではないかと思います。

「ぬらし絵」も「オイリュトミー」も子どもの可能性を広げるためのきっかけなのではないかと思います。

関わり方が母親的であり、芸術的なんです。

芸術の世界にも「目標」はありませんよね。

でも、「人と人とのつながりの中で生きる力を育てたい」と考える人は、モンテッソーリ的な考え方に共感しやすいように感じます。

そこには「理想」や「目標」があります。


実は、さらにもう一つの考え方もあります。

それは、大人の関わりをなるべく少なくして「子どもの本能に任せよう」というような育て方です。この場合、大人は子どもと一緒に生活し、見守り、助けが必要なときには助けますが、基本的に、子どものことは子どもに任して、積極的には関わろうとしません。

大人が積極的に関わろうとしなくても、子どもは常に大人を観察して、模倣しようとしているので、「人間らしい人間」と一緒に生活していれば、自然と「人間らしい人間」に育っていくのです。

実際、昔の子どもたちはこのような状態の中で育っていました。
ただし、このような子育てを行うためには「遊びや生活を共有する異年齢の群れ」と、「自由に遊ぶことが出来る空間」と、「大人に支配されない自由」が必要になります。

でも、今の時代、これはなかなか難しいことです。
そして、この条件を満たすことが出来ない場合には、前者の二つのような大人の意識的な関わり合いが必要になります。

この三つはみんな「子どもの立場に立って待つこと」を大切にしている「兄弟」のような関係なので、お互いに「補い合う関係」として受け入れればいいのですが、自分のやり方にこだわると対立が生まれます。

なかなか難しいです。





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Last updated  2016.05.23 18:37:10
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