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(私のブログはコピー・転載自由です。お知り合いに紹介してください。)
<子育てと幼児教育は総合芸術です>

子どもは丸ごと育ちます。
心だけ育てることはできません。
知性だけ育てることもできません。
言葉だけ育てることもできません。
からだだけ育てることもできません。
とにかく丸ごと育つのです。
ですから、
大人も丸ごと子どもと関わる必要があるのです。
そして、丸ごとの学びが必要なのです。


* * *

私は子どもの笑顔、子どもの笑い声が好きです。
ですから、私は子どもの笑顔見たさに、色々なことを考えたり、活動しています。
キーワードは、遊び、子育て、教育、シュタイナー、感覚、からだ、心、生命、造形、仲間作り。
(シュタイナー的ではありますが、シュタイナーの紹介を目的としたものではありません。シュタイナーに共感した部分で書いています。)

* * *

<学ぶ時間がないという人へ>

道を歩くだけしか出来ないのなら、道の歩き方を学びます。
仕事をすることしかできないのなら、からだの使い方、心の使い方、仕事の仕方を学びます。
立っていることしかできないのなら、立ち方を学びます。
生きていることしかできないのなら、呼吸の仕方を学びます。

あなたが今学ぶべきことは、あなたが今やっていることの中にあります。
ですから、本当の学びは“今、自分は何をやっているのか”という気づきから始まります。
その気付きにつながらない学びは、全て無駄です。

* * *

他に「生命を考える」というホームページと
「生命とからだ」(つながりの世界)というブログも運営しています。

前者は私が茅ケ崎でやっている教室関係の紹介がメインです。
後者は、「からだ」という視点を中心に、具体的なエクササイズとつなげてあれこれ書いています。

* * *

「わらべうた」の冊子(CD付き)、
子育て関係の手作り冊子も出しています。

2013年6月に書店から「子ども発見」という冊子を出しました。
詳細は「ここ」(5月28日のブログ)でご覧になって下さい。


* * *

「ガキ大将クラブ」のススメ(お母さん達へ! ガキ大将になろう)
「お母さん達の仲間作りワークショップ」を企画しませんか

* * *

<教室の生徒募集です>(湘南・茅ヶ崎周辺の活動)

○子どもの造形教室

○親子遊び(2才から)
○「遊びの会」
幼稚園児、小学生達が、大人や仲間と一緒に遊ぶ会です。月1回、土日の活動です。

○他のクラスもあります。

私は、これらの教室の他に色んな地域、公民館、地区センターで親子遊び、造形ワークショップ、からだ遊びワークショップ、お母さん達の勉強会(気質、子育て)、幼稚園の先生などの勉強会をやっています。
公民館や地区センタに企画を持っていったり、仲間を集めてお呼び頂ければワークの出前をします。お問い合わせ下さい。
みんな体験型のワークショップです。

2016.07.28
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は少し面倒くさい話を書きました。
こういう話が苦手な人は飛ばして下さい。

************

西洋では、昔から物事を二分し、その二つを対立させることで、この世界を認識しようとしたり、真実を明らかにしようとしたりしてきました。

そして、この世界は、「善と悪」、「神と悪魔」、「光と闇」、「生と死」、「美と醜」、「見える世界と見えない世界」の対立とバランスによって出来上がっている、と考えてきました。

現代人が「自然」と考える考え方も、「人間の世界」に対峙した考え方として生まれたものです。

西洋の考え方では、「自然の世界」と「人間の世界」は全く別の世界なんです。

そして人間は、悪より善を、悪魔より神を、闇よりも光を、死よりも生を、醜よりも美を、見えない世界よりも見える世界を、自然の世界よりも人間の世界を目指すべきだと考えられてきました。

そして、現代人もまた、その西洋の考え方をそのまま取り入れて、この世界を認識しています。

法律や道徳も、ゲームの世界も、基本的には「善」と「悪」を対立させた発想で作られています。

簡単便利を求めるのも、「不便」という考え方があるからです。

でも東洋では、そのような「物事を対立させて真実を明らかにしようとする考え方」はあまり強くありませんでした。

また、善と悪をそれほど明確に分離しようとしませんでした。

神と悪魔、光と闇、生と死、美と醜、自然と人間、見える世界と見えない世界の違いもあいまいでした。

確かに、私たちはそのようなものを見たり、感じたりしています。
天国がある一方で地獄があることも知っています。

そして、それが人間がリアルに感じている世界でもあります。
ですから、東洋において、全くそのような考え方がなかった訳ではありません。

ただし、西洋においてはその価値観は固定されていますが、東洋においては「Aは時としてBとなり、Bは時としてAとなる」という考え方をしていたのです。

例えば、西洋では善は「善」、悪は「悪」です。それはキリスト教という価値観で固定されています。
その「善」と「悪」が入れ替わることは永遠にありません。

そして、東洋にも「善」と「悪」はあります。でも、東洋ではどっちが「善」で、どっちが「悪」なのかがはっきりとしないのです。善悪を判別する絶対的な基準がないからです。

そのため判断する人の価値観次第で、簡単に善と悪が入れ替わってしまったりするのです。

親鸞は「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」と言いましたが、キリスト教にはこんな考え方はありえないのです。

また、地獄と天国も固定されたものではありませんでした。

キリスト教では地獄に落ちた者は永遠に地獄にいなければなりません。

でも、東洋的な考え方では、人の魂は輪廻するので、地獄に落ちてもそこで終わりではありません。

また、「そこが地獄だと思えば地獄だし、極楽だと思えば極楽だ」という考え方もあります。

他者からは地獄に見えても、本人がそれを肯定的に受け入れてしまえば、そこがそのまま天国だということです。
それはつまり、天国と地獄は神や仏が決めているのではなく、全部「自分」で決めているという考え方です。

そんな白黒がはっきりとしない世界で対立が発生するのは、世界を「つながり」や「動き」の中で見ることをせずに、「自分」や「人間」の視点や価値観を固定し、自分中心、人間中心に世界を認識しようとするからなのです。

人間関係でも、自分の考え方を絶対化する人ほど、他者と対立しますよね。
それと同じです。

だから西洋的な考え方では対立が発生しやすいのです。

でもそれは、人間だけにとっての事実であって、人間が存在する世界の事実ではないのです。

西洋の人は聖書によってこの世界のことを知ろうとしました。
でも、東洋の人は瞑想によってこの世界のことを知ろうとしました。

その違いが、この違いにつながったのではないかと思うのです。





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Last updated  2016.07.28 17:04:31
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