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Profile

湘南茅ヶ崎を中心に造形教室、親子遊び、おかあさん達の勉強会などをやっています。 親子遊び研究家/表現共育研究家(心あそび研究家) 社会人、大学3年、高1、小6の4人の子どもがいます。 しょうなん「育自の会」、茅...

 



(私のブログはコピー・転載自由です。お知り合いに紹介してください。)
<子育てと幼児教育は総合芸術です>

子どもは丸ごと育ちます。
心だけ育てることはできません。
知性だけ育てることもできません。
言葉だけ育てることもできません。
からだだけ育てることもできません。
とにかく丸ごと育つのです。
ですから、
大人も丸ごと子どもと関わる必要があるのです。
そして、丸ごとの学びが必要なのです。


* * *

私は子どもの笑顔、子どもの笑い声が好きです。
ですから、私は子どもの笑顔見たさに、色々なことを考えたり、活動しています。
キーワードは、遊び、子育て、教育、シュタイナー、感覚、からだ、心、生命、造形、仲間作り。
(シュタイナー的ではありますが、シュタイナーの紹介を目的としたものではありません。シュタイナーに共感した部分で書いています。)

* * *

<学ぶ時間がないという人へ>

道を歩くだけしか出来ないのなら、道の歩き方を学びます。
仕事をすることしかできないのなら、からだの使い方、心の使い方、仕事の仕方を学びます。
立っていることしかできないのなら、立ち方を学びます。
生きていることしかできないのなら、呼吸の仕方を学びます。

あなたが今学ぶべきことは、あなたが今やっていることの中にあります。
ですから、本当の学びは“今、自分は何をやっているのか”という気づきから始まります。
その気付きにつながらない学びは、全て無駄です。

* * *

メインHP「生命を考える」
こちらも覗いてみてください。
色々な文章、そして学びや遊びの企画が出ています。
(更新の履歴)

* * *

「わらべうた」の冊子(CD付き)、
子育て関係の手作り冊子も出しています。

* * *

「ガキ大将クラブ」のススメ(お母さん達へ! ガキ大将になろう)
「お母さん達の仲間作りワークショップ」を企画しませんか

* * *

以下のHPで私の子育てワークのビデオを見ることが出来ます。
三重県ホームページ>三重県インターネット放送局>暮らしの情報>教育

* * *

<教室の生徒募集です>(湘南・茅ヶ崎周辺の活動)

○子どもの造形教室

○親子遊び(2才から)
○他のクラスもあります。

私は、これらの教室の他に色んな地域、公民館、地区センターで親子遊び、造形ワークショップ、からだ遊びワークショップ、お母さん達の勉強会(気質、子育て)、幼稚園の先生などの勉強会をやっています。
公民館や地区センタに企画を持っていったり、仲間を集めてお呼び頂ければワークの出前をします。お問い合わせ下さい。
みんな体験型のワークショップです。

森の声の日記 [全1544件]

「感覚を育てるレッスン(その9)」(声を出して本を読む) 

多くの人があまり考えませんが「言葉」は感覚の集合体です。言葉は感覚の働きから生まれ、相手の感覚の働きに響きます。「言葉が届く」「言葉を伝える」というのはそのような意味です。

ですから、感覚を通して「言葉」を紡ぐことが出来ない人の言葉は人の心に届きません。想いを伝えることも出来ません。そのような人の言葉は相手の感覚に響かないからです。

また、感覚を通して「言葉」を紡ぐことが出来ない人は他の人の言葉に共鳴することも出来ません。「言葉」と「感覚」がつながっていないので、言葉が頭で処理されるばかりで、心にまで届かないからです。

頭から出た言葉は頭に届き、心から出た言葉は心に届き、からだから出た言葉はからだに届き、感覚から出た言葉は心とからだに届くのです。それは人間は「声」によって共鳴するように出来ているからです。

ちなみに、ここで言う「言葉」とは「声によって伝えられる言葉」のことです。文字で伝える言葉が生まれたのは人類の歴史の中ではつい最近のことであり、それもほんの一握りの人たちだけが使うことが出来た特別な技術に過ぎないからです。

ですから、「文字による言葉」は「人間」という存在に於いては必要不可欠なものではありません。「文字」は「人間」ではなく、その人間が作る「社会」が必要とするものなのです。ですから、巨大で複雑な社会を維持するためには「文字」が必要になります。

でも、生活を維持するためだけなら文字は必要ありません。子どもたちもまた文字は必要としていません。子どもが文字を必要とするのは、「自分」と「社会」とのつながりを意識するようになってからです。

ちなみに人が文字を読んで理解する時には、脳の中でそれを「音」に変換して、その「音」を聞いて理解しているそうです。ですから、言葉の基本は「声による言葉」なのです。それはつまり、「声によって語られた言葉」を理解することが出来ない子は、「文字に書かれた言葉」も理解することが出来ないということを意味しています。

ある種の障害の人は耳で聞く言葉は理解することができますが、目で視る言葉が理解できないそうです。そのような人の脳を調べると頭の中で「文字を音に変換する機能」にトラブルがあるそうです。そのような子は当然本など読むことが出来ません。文字によって言葉を理解する能力は、最近発達した新しい脳の機能なので、時々先祖返りした人が出てしまうということなのでしょうか。

だとすると、親子や、他の大人や、多くの友達との会話が少ない状況で育った子どもは、いくら文字や、難しい言葉や、漢字を教えても理解力は高くならないと言うことです。

ということで、文字を「目」で読むのではなく、声に出して「音」として体験してみましょう。

文字を音声化する時に最初に突き当たる障害があります。目だけで読んでいた時にはすらすら読めたのに、声に出して読もうとすると急に読めなくなるのです。ただ文字を声に変換するだけなら簡単なんですが、目で読んでいるままに音声化しても、本人もまたその「声」を聞いている人もその内容が理解できなくなってしまうのです。

人は文字を読む時、その意味を理解しながら読んでいます。でも、それを声によって音声化しようとすると、「文字を読む」ことと「声を出す」ことばかりに意識が取られて意味を理解すると言うことが出来なってしまうのです。

そんな時、その文字が表す言葉を発している人の立場に立って、その人の気持ちや想いを感じ取りながら声に出して読むと、意味が理解できるようになるのです。つまり、文字を文字化される以前のオリジナルな状態に戻してあげるのです。すると、文字はただの「音」ではなく、人の心に響く「声」に戻ります。すると、その声を耳で聞いてそのまま理解することが出来るのです。

ただし、その意味は文字を目だけで読んだ時の意味とは異なってきます。目で読む言葉は頭で理解されますが、気持ちや想いを感じ取りながら声に変換して読むと、直接人から聞いたように、感覚や心やからだで理解されるからです。

ということで続きます。


Last updated 2009.11.23 08:53:20
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2009.11.22

「遅くなりましたが今日はお休みします」 

今日は朝から忙しくて、また午後は出かけていて先ほど帰ってきたのでお休みにさせていただきます。


Last updated 2009.11.22 23:09:32
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2009.11.21

「子育ては自分育てから」(自分の感覚と向き合う)

以下は先日個人的に頂いたメールです。

> ここ数日のブログを読ませて頂いていて、実際に試したりしていたのですが、自分の中で大きな発見がありました。
> 今まで、自分を感じることが苦手で、何をするにも落ち着かず焦っていました。
> 食べるときも、歯を磨くときも、しゃべるときも。。
> 意識してもどうしてもゆっくりすることができなかったのです。
> 今日のブログに載っていた、肌に触れる、やってみました。
> 触れられているほうはこんな風に感じているんだ。。とその時は、なんとなく思っていただけでした。
> それから今日1日、何かするたびに受けている側を意識していたら、焦らずにゆっくり感覚を味わっている自分がいました。
> 更に、ここ十数年ずっと直らなかった癖があったのですが、受けているからだのほうを意識したら、その瞬間癖が止まったんです。
> あれだけ、やめたいと思いながらもやめられなかったのに。。癖がなくなりそうです!
> 私は、ずっと自分を感じることを自分自身が拒否してきたんでしょうか。。
> 今日は、食べるのも、歯を磨くのも、何をするにも新たな発見があって楽しい1日でした!


「自分の感覚に気付く」と言うことは「自分自身に気付く」ということです。そうすると、自分自身とコミュニケーションが取ることが出来るようになります。そのことで自分の想いを無意識やからだに伝えることが出来るようになるのです。

これは子育てでも同じです。多くのお母さん達が子どもとコミュニケーションが取れないまま子育てをしています。そのため子どもに自分の想いを伝えることが出来ず、ただ押しつけてばかりいます。でも、子どもというものは押しつけられたら反発するように出来ています。それで、ほとんどの場合「想い」とは逆の結果になってしまうのです。

これはまた、心とからだの場合も同じです。心の声を無視して、からだを道具のように使っていると、心やからだは反発して、「心の不調」や「からだの不調」を引き起こします。子どもの場合は問題行動が多くなったりします。

実は、その人の「子育ての方法」は、その人が「自分の心やからだとどのように関わっているのか」ということと密接にリンクしているのです。

ですから、子どもとのコミュニケーションが分からない人、子どもの気持ちを感じ取ることが出来ない人は自分の心やからだともうまく付き合うことが出来ていません。そして、そのことが様々な苦しみを生みだしているのです。

ですから、子育ての問題を解決するのに育児書などを読んで「子どもの扱い方」などを学んでも無駄なんです。マニュアル的な方法が有効なのは最初だけです。子どもはすぐに「親の下心」を感じ取って、別の手を使い始めるので話がドンドンこじれてしまいます。

それでまた「新しい方法」を探すのでしょうが、それもまたすぐに同じ結果になります。そのようなことを繰り返していると、子どもはお母さんとのコミュニケーションを閉ざしてしまいます。そして「孤独」の中で苦しむようになります。

子どもには「親の本音」を感じ取る特殊な能力があるのです。

子どもは何かをして欲しいのではなく、ただ耳を傾けて欲しいのです。耳を傾けてくれないから、色々な問題行動を起こして親に気持ちを向けてもらおうとしているのです。

このような場合一番適切な方法は、大人が自分の心やからだとのコミュニケーションを取り戻すことです。それは、一見子どもの問題から目をそらしているように見えますが、実は子どもがトラブルを起こしている時に、子どもばかり見てしまうとかえって子どもの問題は解決しないのです。

その「自分の心やからだとのコミュニケーション」を取り戻すために、自分の感覚と対話するのです。

「子どもの問題」は「自分自身の問題」の現れに過ぎません。だから、「子どもの問題」を解決しようと思う前に、「自分自身の問題」を解決すべきなんです。すると、「子どもの問題」は自然に消えてしまうのです。

子どもは親の鏡ですから。



Last updated 2009.11.21 07:01:24
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2009.11.20

「人の話に耳を傾けることと感覚の働き」(多様な感覚を肯定する)  (6)

あいあいさんが
こどもに限らず、感覚の違いを伝えることの難しさを感じます。これがないと、ものごとの共有ができないのではないかと思います。感覚の差を諦めるのでなく、違いを楽しめる感覚を持っていたいな、と思いますが、・・・

と書いてくださいました。今日はこのコメントから思いついたことを書きます。

人はみな感覚が違います。感覚が違うと言うことは心が違うということであり、考え方や、行動の仕方が違うということです。でも、普通その感覚の違いは自覚されていません。そしてみんな自分の感覚こそが正常で、普通で、一般的だと思い込んでいます。と言うより自分と異なった感覚は間違った感覚、未熟な感覚だと思い込んでいます。だからキリスト教徒とイスラム教徒は対立し、大人は子どもの考えや行動を未熟だと思うのです。

子どもの考えや行動と大人の考えや行動との違いはその「感覚」の違いから生まれてくるのであって、「未熟」だからではありません。ですから、大人でも子どもと似た感覚を持った人は、子どもと似た考え方や行動をします。

ココアさんが16日のコメントに
昨日はワークに参加したものです。
ワークで出された絵、一つの絵を見て、人それぞれあまりにも違う感じ方をすることにとても驚きました。
そして今まで自分が話したり表現してきた事、他人には実はまったく違う受け止め方をされていたのかもしれない、、、と思いショックも受けました。
ワークを受けなければ分からなかった事、知らなかった事、発見できました。
ありがとうございます。


と書いてくださいましたが、そのようなことが日常的に起きているのです。

この感覚の違いは話し合っても理解できません。逆に話し合えば話し合うほど相手のことを「バカ」「分からず屋」「頭が固い」「変人だ」、時には「狂ってる」などと感じてしまうものです。

時々、「どんな相手でも、心を割って話し合えば人と人は分かり合える」と言う人がいますが、これは無邪気な幻想です。そしてそういう人に限って、自分の感覚を押しつけようとし、話し合えば話し合うほど誤解を強めてしまうのではないでしょうか。

では、人と人が理解し合うのは不可能なのかというとそういうことではありません。一人一人が自分の感覚の働きに気付き、多様な感覚を理解できるようになればいいのです。それが感覚が成長するということです。

そのためには「話し合う」のではなく、まず「相手の話を聞く」ことから始める必要があります。素直に相手の話を聞くことで、相手がどのような感覚を大切にしているのかを感じ、理解するのです。

でも、これがなかなか難しい。「話し合い」は対等な関係ですが、「話を聞く」というのは一歩自分が引き下がったような印象を持ってしまうからです。そして、プライドが邪魔をしてしまって、その「一歩引き下がる」ということがなかなか出来ません。ましてや、「肯定的に話を聞く」などということはもっと出来ません。

多くの場合、相手の話を聞くのは反撃のチャンスを狙うためです。子どもがトラブルを起こした時に、子どもに説明を求めるのも子どもの気持ちを理解するためではありません。ただ原因をはっきりさせ、「子どもを矯正するために」話を聞いているだけです。そうではありませんか。

それは人は自分の価値観だけを絶対的な基準として相手や世界を理解しようとしているからです。ちなみに「価値観の違い」は「感覚の違い」によって作られます。

でも、平気で自分の感覚を相手に押しつける人は、一見自己肯定感が強い人のように見えますが、実は自分自身を肯定できない人なんです。なぜなら、そのような人は自分の感覚に耳を傾けることが出来ない人だからです。自分と向き合うことが出来ないから、相手に自分を押しつけているのです。

鬱の状態の人も同じだと思います。鬱になると自分の心のことばかり考えるようになるようですが、でも「心に耳を傾ける」という事はしないで、心を否定することばかり考えているのではないでしょうか。そして、「分かってもらう」ことばかりを要求します。

ただし、「鬱」は病気ですから、本人の努力だけではこの状態から抜け出すことはできません。「鬱」は「感覚が正常ではなくなる病気」なんです。だから「薬」が効くのです。逆にいうと、だから本人の努力では治せないのです。感覚が狂っていたら、正常な判断が出来ないからです。

人間というものは最初から「多様な感覚の集合体」です。脳は「脳の感覚」を持っています。同じように心は「心の感覚」を持ち、内臓は「内臓の感覚」を持ち、筋肉は「筋肉の感覚」を持っています。そして、それらの感覚の複合体が「わたし」という存在を形成しています。

大切なことは、それらの感覚がお互いに助け合い、バランスよく働くことです。これは視点を変えれば、人類規模でも言えることです。気質も似たようなものです。



Last updated 2009.11.20 06:17:37
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2009.11.19

「感覚を育てるレッスン(その8)」(歩く速さを変える)  (4)

人間は普段は無意識に行動しています。無意識に起きて、無意識に着替え、無意識に朝食を作り、無意識に会話しています。

そのような時、主に意識しているのは「自分の感情」ばかりです。

「まだねむいな」
「何で起きてこないんだろう」
「おはようぐらい言えよな」
「どうしてもっとてきぱき出来ないんだろう」

などなどです。

でも、そんなことを考えている間にも、心やからだはちゃんと働いて、手を動かし、からだを動かし、会話をし、毎日の生活は「いつものように」繰り返されていきます。

このような時、感覚は「いつものやり方」を繰り返すことしかしません。だから心もからだも「いつものやり方」でしか働きません。

叱らないようにしても叱ってしまうのも、もう少し朝早く起きようと思っているのに起きられないのもそのせいです。

自分を変えたいと思うのなら、自分の感覚を変える以外に方法はありません。そして感覚が変われば、「変えよう」などと思わなくても自然に変わってしまいます。なぜなら、心とからだの働きをコントロールしているのは「感覚」だからです。

その感覚を変えずに、ただ「思うだけ」で自分を変えようと思っても、それは無駄なことです。

「何か」を変えたいと思うのなら、その「何か」を引き起こしている背景を変える以外に手はないのです。それは子どもの問題行動などでも同じです。

ではどのようにしたら「自分の感覚」を変えることが出来るのだろうかということです。

そこで問題を逆にたどります。「毎日のやり方」が感覚の現れなら、その「毎日のやり方」を変えて、その時の「感覚における違和感」に意識を向けてみるのです。

多くの人が自分を変えようと思って「新しいこと」に挑戦しますが、その時に感じる「違和感」を無視したり、否定したりしてしまうので、「違和感」が無意識に働きかけ、その「新しいこと」を止めさせてしまうのです。

実はその「違和感」を引き起こしているのは、無意識の中に存在している「変わりたくない自分」なのです。ですから、その「違和感」に意識を向け、暖かい気持ちで包んであげることです。否定してはいけないのです。

いつも怒っているお母さんが、怒ることを押さえていると、余計にイライラしてくるものです。それは、自分で自分の感情を抑え込んでいるので、「抑え込まれている自分」が反発し、怒りの感情が目覚めてしまうからです。つまり、子どもに対する怒りだけでなく、自分自身に対する怒りも目覚めて、怒りが増幅してしまうのです。

そんな状態で「怒り」を爆発させても、子どもは傷つくばかりで、決して問題行動は改善されません。

子どもに対してすぐにイライラしてしまうお母さんは、子どもの感覚を感じ取ることが出来ないお母さんです。また同時に、自分の感覚にも意識を向けていないでしょう。だから「無意識」に振り回されてしまい、子どものことが理解できないし、自分の生活を変えることも出来ないのです。

ちょっと簡単なレッスンをやってみましょう。普段と歩く速さを変えてみるのです。ただそれだけです。でも、「ただそれだけ」が非常に難しいのです。なぜなら、「時間感覚」を変えないと「歩く速さ」を変えることは出来ないからです。

子どもと大人とではその「時間感覚」が違います。そして、お母さんのイライラの多くの原因がその「時間感覚」の違いから生まれているのです。

お母さんがいくら怒鳴っても、叩いても子どもの行動が変わらないのも、子どもの時間感覚が変わらないからです。

でも、子どもの時間感覚は生理的なものなので本人でも変えることが出来ません。それに対して大人の時間感覚は、「意識の持ち方」を変えることで変えることが出来るのです。実際、急いでいる時には速く歩き、急いでいない時にはゆっくり歩いていますでしょ。

子どもは急いでいる時も、急いでいない時にも同じ早さでしか歩きません。だから大人はイライラするのです。そんな子どもが歩く速さを変えるのは、「意識」によってではなく「感情」の働きによってです。子どもは楽しければ早く動き、楽しくなければ「ゆっくり」になってしまうのです。

大人の感覚は「意識」とのつながりが強く、子どもの感覚は「感情」とのつながりが強いのです。ですから、大人の感覚育ては「意識」に働きかけ、子どもの感覚育ては「感情」に働きかけるのです。

大人と子どもとでは違う感覚原理を持っているのです。そのことに気付かないと大人は子どもの心を感じることが出来ません。

まとまりもなく中途半端ですが、今日はここまでにさせて頂きます。



Last updated 2009.11.19 08:41:39
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2009.11.18

「感覚の育ちと言葉の働き」(言葉が感覚を創造する)  (9)

あと、多くの人が気付いていないのが「感覚の働き」と「言葉」の関係です。実は、能動的に何かを感じようとする時には、その人が持っている言葉以上のものを感じることは出来ないのです。

例えば「スベスベ」という言葉を知らない人は、目で見ても、手で触れても「スベスベ」という状態を認識できません。「風」という言葉を知らない人は「風」を認識することが出来ません。「青」という言葉を知らない人は「青」という色を認識することが出来ません。見えていても、感じていても、意識として認識できないのです。なぜなら「言葉」というものは物事を認識するための道具だからです。私たちは「犬」という言葉を知っているから、犬を「犬」として認識することが出来るのです。

このようなことはにわかには理解することが出来ないかも知れませんが、「比較文化論」などのようなものを学ぶと、言葉の違いがいかに感覚の違いとつながっているのかと言うことが分かって来ます。また、子どもの成長における言葉の発達と精神の発達のつながりを調べてもこのようなことが分かってきます。
ですから、大人の言葉を持たない子どもたちには、大人の感覚世界は理解できないのです。その逆も同じです。

ちなみに、「言葉を知っている」ということは「状況に合わせて適切に使える」という状態を意味しています。「イヌ」という「音」を知っていても、その「イヌ」という音を適切に使うことが出来なければ、それは「犬という言葉を知っている」という事にはなりません。ですから子どもがいくら難しい言葉を知っていても、状況に合わせてそれらを適切に使いこなすことが出来ないのなら、それらは単なる「音」や「知識」であって「言葉」ではありません。それは、英語の歌を覚えて歌っていても、「英語を知っている」とは言えないのと同じことです。

私たちは「時間」を感じることが出来ます。でも、「時間」は肉体的な感覚では感じることが出来ません。そんなものを感じる感覚器官など存在していないのです。では私たちはどこで「時間」感じているのだと思いますか。実はそれは「心」なのです。だから人が感じる時間には客観性がなく、時計が必要になるのです。「心」は一つの感覚システムなのです。

「時間」だけでなく、「優しい」「柔らかい」「気持ちがいい」「幸せ」などの言葉も皆「心の感覚」によって生まれてきます。「私は今幸せを感じています」など言いますが、「幸せ」を感じるのも「心の感覚」です。

そしてその「心の感覚」は言葉が創り出しています。「神様」という言葉が生きている文化の中で生活している人は「神様」を感じることが出来ます。「神様」は宇宙の始まりから存在していたのではなく、「神様」という言葉が生まれた時に生まれたのです。

そして、「神様」という言葉が使われるようになって人々は「神様」を感じることが出来るようになったのです。

確かに、「神様という言葉でないと表現できない何か特別な現象」は、その言葉以前からあったのでしょうが、それはただの現象であって「神様」ではありませんでした。

でも近代に入って、その「現象」が「科学」という言葉と結びついてしまったため、人々は次第に「神様」を感じることが出来なくなってしまったのです。

言葉は心の世界を創り出します。ですから、子どもたちは言葉を学びながら心を育てています。言葉を学ぶことが出来なければ感情はあっても、心が育たないので感情に振り回されるだけの人間に成長してしまいます。

ちなみに言葉は体験とセットでないと学ぶことが出来ません。テレビや教科書だけでも「音」や「漢字」を覚えることは出来ますが、体験とセットでなければ「自分の心や感情や考えを伝える手段」として使いこなすことが出来ないのです。

ちなみに日本の言葉の教育では「理解できること」が優先されていて、「伝えること」は大切にされていません。実際、「会話」や、「対話」や、「議論」の授業なんてありませんよね。あったとしても先生が話し合いを誘導していますよね。そんな「結論ありき」の話し合いは「対話」でも、「議論」でもありません。(裁判員制度でも似たような状況なのではないでしょうか・・・。)

でも、自分の感情や感覚や考えを伝えたい時に使うことが出来ない言葉は「自分の言葉」ではありません。また、自分の感情や感覚や考えを伝える言葉を持っていない人は、他の人と理解し合うことも、つながることも出来ません。

日本の教育では子どもたちが「大人の言葉」、「教科書の言葉」を理解できれば、子ども自らが「自分の感情」や、「感覚」や、「考え」を伝える言葉を学習出来なくても問題がないのです。

大人が子どもに言葉を求めるのは子どもが何か事件を起こした時だけです。そんな時大人は、「子どもが何にも言ってくれなかったから分からなかった」と言いますが、生活の中や学校で、子どもたちに「自分の感情や感覚や考えを伝える言葉」を教えていないのに、そんな時だけ「言ってくれないから・・・」などと言うのは、全くの言い逃れに過ぎません。

そして、今多くの日本人が「自分の言葉」を失い、他の人とつながることが出来なくなってしまっています。携帯はその言葉を失った人たちにとっては丁度よい道具として登場しました。

また、「最近の子どもは我慢が出来ない」などと言われますが、どういう子どもが「我慢が出来ない子」なのかというと、「言葉によって自分を表現することが出来ない子」が「我慢が出来ない子」なんです。

すぐにいらついたり、むかついてしまう子も同じです。そのような子は自分の感情や感覚や考えを自分の言葉で説明することが出来ません。嘘だと思ったらあなたの身近にいるそのような子どもに問いかけてみてください。自分の気持ちを言葉化することが出来ないはずですから。

言葉を使うと言うことは心を使うと言うことです。だから言葉を使うことで心を働かせ、心でないと感じることが出来ないことを感じることが出来るのですが、それと同時に言葉のトレーニングが心のトレーニングになっているので、言葉の使い方を学んだ子は自分の心をコントロールすることが出来るのです。だから我慢ができるのです。

それを「我慢を教えてやる」と「我慢」を押しつけてしまったら、虚無的な子になるか、余計に我慢が出来ない子が増えるばかりです。

以下は昨日の新聞に載っていた記事です。
最後の方に「子どもが悩みを打ち明けたいときに打ち明けられるシステムづくりが重要だとしている」と書いてありますが、そんなシステムを作ってもほとんど意味がないでしょう。

話すことが出来ない子どもが、その子どものことを知らず、また「聞く技術」もない熱意のボランティアさんに相談しても問題が解決するとは思えないからです。

******************************

子どもの自殺、08年は過去最多に 自殺白書

 鳩山内閣は17日、「09年版自殺対策白書」を閣議決定した。08年中の自殺者は3万2249人で前年より844人減ったが、学生・生徒(小学生を含む)は99人増え、統計をとり始めた78年以降最多の972人となった。学生・生徒の自殺は03年以降、増加傾向にある。

 前年比11.3%増で、サラリーマンなど職業別の集計の中で唯一、増加した。自殺の理由(1人あたり複数)が特定された中では、学業不振や進路の悩みなど学校問題が337人、うつ病など健康問題が284人、家庭問題が81人だった。

 学生・生徒の自殺は全体に占める割合は大きくないものの、いじめを苦にした自殺や連鎖的な傾向が見られるなどの問題があると白書は指摘しており、子どもが悩みを打ち明けたいときに打ち明けられるシステムづくりが重要だとしている。



Last updated 2009.11.18 09:10:17
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2009.11.17

「感覚の働きとコミュニケーション」  (3)

ダージリンさんが
子ども達の遊んでいる様子を見ていると、私なんかが考える当たり前のコミュニケーションが、どんどん失われているように思えるんです。
子ども達は、一緒に遊んでいるようで、まともには関わっていません。
関わりが何かということを、知らないように見えます。


と書いてくださいましたので、今日は感覚の働きとコミュニケーションとの関係について考えてみます。実は感覚の働きとコミュニケーション能力とは切っても切れない関係でつながっているのです。

なぜなら感覚の働きはもともと外部や他者とコミュニケーションするために生まれたものだからです。ですから、人間は人間が持つ全ての感覚に於いて外部や他者とコミュニケーションを行っています。それは、視覚や聴覚だけでなく、味覚や触覚や嗅覚でもコミュニケーションを行っているということです。というより、それこそが「感覚の役割」なんです。

ですから、その人のコミュニケーション能力はその人が自分の感覚をどのように使っているのかということで決まってしまいます。

視覚や聴覚をただ理解し判断するための道具としてしか使っていない人は、心やからだに関する情報のコミュニケーションは苦手です。また、自分の心やからだとの対話(コミュニケーション)も苦手です。

また、感覚をうまく使えない人は表現することが苦手です。なぜなら感じたことを表現するのが「表現」だからです。ですから、感じない人は何を表現していいのかが分からないのです。この問題は後日改めて扱うと思います。(多分)

現代人は視覚や聴覚を、「理解し判断するための道具」としてしか大切にしませんが、でも、視覚や聴覚の働きはもともと「見て感じる」「聞いて感じる」ためのものです。それは絵や風景を見たり、音楽や自然の音を聴いたりする時に使われている感覚です。そうでないと、見たり聞いたりしたことに合わせて自分の心やからだの状態を整えたり、とっさに行動をすることが出来ないからです。

ですから、絵を「分かる、分からない」というレベルでしか見ることが出来ない人は、視覚の「感じる能力」が成長していません。

よく、学校などで子どもがトラブルを起こした時に、「何も言ってくれなかったから分からなかった」と教師が弁解しますが、その「見て感じる能力」があれば、言ってくれなくても、見れば分かったはずなんです。

「何を悩んでいるのか」ということは分からなくても、その子が「何か悩んでいる」ということは見れば分かるのです。本来、視覚にはそのような「感じる能力」もあるのです。でも、その能力を目覚めさせている現代人は多くありません。

また、風の音や水の流れる音を感じることが出来ない人は、聴覚の「感じる能力」が育っていません。

聴覚の「感じる能力」が育っていると、人の声を聞いただけで相手の心やからだの状態を知ることが出来ます。本来、人はそういうことまで「聴く」能力を持っているのです。でも、この能力もほとんどの人が失ってしまいました。

ですから、見えても、聞こえても、この感じる能力が働いていなければ、心やからだのレベルでのコミュニケーションは出来ないのです。
そして、意味に頼ったコミュニケーションでは心もからだも満たされません。

でも、現代社会ではこの「心やからだのレベルでのコミュニケーション」というもの自体が大切にされていません。だから、「感じる」という事も大切にされていないのです。
現代社会では、「道具としての人間」しか必要としていないし、そのための教育しか行っていません。

もっとも、「近代的な学校というシステム」自体が、産業革命の時に「道具としての人間」を育てるために始まったものですから、それはそれで当たり前なのでしょう。ですから、私たちは学校に多くを求めてはいけないのです。子どもの人間らしさは生活の中で、家庭の中で育てるべきで、そこまで学校に求めても無駄なのです。

もともと、学校の役割と家庭の役割は異なっているのです。家庭は勉強をさせる場ではなく、人と人との関わりを通して人間らしさを育てる場なのです。

そのことが分かっていないから子どもは苦しくなってしまうのです。そして、心とからだが不安定になるので、結局学力も向上しません。先日逮捕された市橋の親もそのことが分かっていなかったのでしょう。

教育のスローガンとしては「個性を大切に」とか、「思いやりがあって優しい子を育てる」とか、「自立できる子どもを育てる」などと言いますが、実際にそれらが価値を持つ場が与えられていなければ、子どもは決してそのようなものを育てることは出来ません。そして、学校の中にはそのような場はありません。

子どもだけでなく、全ての生き物は「実際に今必要としていない能力」を育てることは出来ないのです。「将来必要になるから」という理由で、今必要のない能力を育てることは不可能なんです。それを押しつけることは強いストレスを生みだし、虚無心か反抗心ばかりが育つことになります。

コミュニケーション能力は感じる働きに支えられています。ですから、深く感じることが出来る人は深いコミュニケーションを行うことが出来ます。そして、深いコミュニケーションを行うことが出来る子は深く理解することが出来ます。それが結果として学力の向上へとつながるのです。

そのように土台を固めることなしにいきなり学力を求めても、子どもを不幸にするばかりです。



Last updated 2009.11.17 07:11:11
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