4日目(続き)
さて、レストランを出て直ぐ、ハイリゲンクロイツ修道院があります。中世の修道院施設がほぼ完全に保たれています。教会前には、ペスト終焉の記念像。敷地内にはSHOPがあって、薬草のリキュールなんかも売ってます。次は、悲劇の舞台となったマイヤーリンク礼拝堂。フランツ・ヨーゼフ1世とシシィの息子であり、皇太子のルドルフが、既婚者でありながら17歳だったマリー・ヴェツラを道連れにピストル自殺を図った狩猟の館。その後、シシィらの希望で礼拝堂に改築されました。中に聖母の像があるんですが、その像はシシィそっくりなんだそうです。胸に矢が刺さり、苦悩の表情を浮かべる聖母。息子の死を悼み、シシィが聖母像を置いてくれるように頼んだんだそうです。リンクする、聖母とシシィ。何だか泣けました。が、全然ゆっくりと内部を観れなかった!写真も撮っちゃダメだし。あー、残念!!!!礼拝堂内部を観ている内に雨が降ったらしく、バスや地面はびしょ濡れ。出る時もちょっと降ってましたけど、大したことはありませんでした。さあ、もうツアーも終わり。名残惜しいですが、バスでウィーンに戻ります。またオペラ座横でバスを降り、ツアー終了。自由行動、再開です。マイヤーリンク礼拝堂を訪れたら、何だかあの3人に会いたくなって、また行っちゃいました。カプツィナー教会に。ここは、礼拝堂と納骨所は別になっていて、納骨所は4ユーロ必要。受付のおばさんに「また来た」ってな感じで怪訝な顔をされちゃいました。そりゃそうですねよー。納骨所に2回も来る女なんてねー!(←他人事ですが、お前だよ!)フランツ・ヨーゼフ1世を中心に、右にシシィ、左にルドルフの棺が置いてあります。(この3人だけ別室に置いてあります)他に客がちらほらとしかいなかったので、静かに再対面することが出来ました。シシィは息子であるルドルフと一緒に暮らす事が出来なかった(姑であるゾフィに取られてしまった)ので、今は何時も傍にいられて幸せなんじゃないかな。などと灌漑に耽ってしまいました。気付いたら、もう閉館の時間。出口に向かったら、鍵が閉められてました。受付のおばさんが鍵を開けてくれ、「ダンケシェーン。アウフヴィダーゼーエン」(ありがとう、さようなら)と言ったら、笑顔で「ヴィーダーゼーエン」と返してくれました。教会を出て、またテクテク歩き。シュテファン寺院に着いたら、何やら人が入っていく。もう18時過ぎなのに何だろう?と思って私も入っていくと、ミサが行われていました。観光客は入れないように、柵で仕切られてますが、遠くから観ることが出来ます。ミサなんて観るのは初めてなので、興味深かったです。でも遠かったので、何をしてるのかは分りませんでした。ミサが終わった後は、信者さんが灯したキャンドルのユラユラ揺れる炎をボーッと観ながら暫し、ベンチに座ってました。(別にクリスチャンでもないくせに)それから寺院を出て、ご飯を食べようかなと。甘いものが2回続いたので、無性にしょっぱい系のご飯が食べたくなり、行っちゃいました。遂に、禁断(?)の日本食レストランへ。郷に入りては郷に従え!……十分わかります。でも、でもご飯が食べたかったんだよー!!ってな訳で、天満屋へ。(ちょっと迷った)しかも入口を間違えて、開かない取っ手をガチャガチャ回してしまいました。(中のお客さんの外国人に「入口はあっちだ」とジェスチャーで教えてもらいました(恥)無事に入店。頼んだのは、天丼!とオレンジジュース。(変な組み合わせですが)天丼は、お味噌汁とお新香付き。美味しかったー!オレンジジュースは酸っぱかったですが。一気に元気回復。さ、もうホテルへ戻りましょうかね。インぺリアル・ホテル横っちょにある停留所から路面電車に乗ろうと、早歩きかつ大股で闊歩していたら、外国人に何か話しかけられました。始めは何言ってるんだか分からなくて、2~3回聞いたら「Where is Grand Hotel」と聞かれたのは分りました。言ってる事は解ったけど、グランドホテルの場所なんて、ツーリスト(しかもウィーン滞在2日)の私に分かる訳がない。「Sorry,I don't know」と答えたら「Oh」と行ってしまいました。が、その後インペリアルホテルのドアマンに聞いてた様子。「This is Imperial」なんて返されてるのを聞いてしまいました。無事にグランドホテルまでたどり着けたんでしょうかね、あの2人は。私はといえば、路面電車の71番に乗って(切符初めて使用)3つ目で降りる。乗ってる人が少ないと、止まらない事もあるというのでちょっとドキドキ。でも無事に止まってくれて、降りられました。そこから徒歩でちょっと歩いてホテルに到着。明日はプラハへ。まだまだ行きたい所はあるので、また来ようウィーンへ!