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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2006.10.18
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カテゴリ:カテゴリ未分類
私は、言葉の使い方に関しては神経質な方だと思います。
でも、それは国語的な意味ではなくて、言葉と実際がどのようにつながっているのかという意味で気になるのです。

例えば“遊びという言葉はどのような意味なんだろう”ということが気になるのです。
みんなが“遊び”という言葉を使っていますが、みんな同じ意味で使っているのかどうか、それが気になるのです。

Aさんが“遊びは大切です”と言い、そしてそれを受けてBさんも“そうですね、遊びは大切ですね”と答えたとき、果たしてこの両者は同じイメージを共有しているのでしょうか。

Aさんの“遊び”のイメージはAさんの体験によって作られています。そして、Bさんの“遊び”のイメージはBさんの体験によって作られています。
でも、AさんとBさんは同じ体験はしていないでしょう。

Aさんの頭の中には木登りや鬼ごっこなどのむかし遊びがあったかもしれません。それに対して、Bさんの頭の中にはゲームセンターやおもちゃのイメージがあったかも知れません。

でも、普通の会話ではそこまでは確認しません。

私はワークでよく自由とか平和とテーマにします。
ただし、私は自分の考えを押しつけることは嫌いなので、基本的に私の考えを多くは語りません。
そうではなくて、皆さんに聞くのです。

“皆さんは自由が大切だと思っていますよね。では、その自由とは一体なんですか?”と聞くのです。

“平和”も同じです。
“平和とはどのようなことですか?”

すると、自由が大切、平和が大切と言っていた人たちの多くが黙ってしまうのです。
説明してくれる人もいますが、でも大部分が誰でも知っているようなステレオタイプの答えだけです。

多くは国語辞典に書いてあるようなただの説明であったり、頭で考えただけの理屈ばかりなのです。

それで私は、“自分の生活とのつながりの中で、自分の言葉で語ってくれませんか”とお願いします。

すると、またほとんどの人が黙ってしまうかトンチンカンなことを言います。
つまり、言葉が空っぽなんです。

知らないのに知らないことを知らないのです。そして、知っているつもりでいます。
だから言葉が届かないのです。

子どもに“ちゃんと片づけなさい”と言っているお母さんに“ちゃんとってどのようなことですか?”と聞くとここでも明快な答えは出てきません。

お母さんが満足するレベルが“ちゃんと”なんでしょうけど、そんなの子どもには分かりません。
また、Aさんの“ちゃんと”と、Bさんの“ちゃんと”は同じではないかも知れません。

多くの人はそんなこと気にしないのかも知れませんが、私には気になるのです。
なぜなら、そのような空っぽの言葉で子どもを育てることはできないからです。
さらに、空っぽの言葉しか持っていない人は洗脳されやすいのです。
相手の言葉を検証する能力がないため、偽の中身をそのまま受けいれてしまうのです。


私は言葉が大好きです。
でも、その言葉の限界も知っています。
世の中には言葉では伝えることが出来ないことがいっぱいあるからです。

でも、その言葉では伝えることが出来ないことが言葉の世界を支えているのです。

秋の草原で風に吹かれて青い空を眺めているときの感覚は言葉では伝えることが出来ません。でも、その感覚の体験があるからこそ言葉に生命を吹き込むことが出来るのです。

そして、今子どもの育ち、教育を考えるときに一番の問題は“言葉では伝えることが出来ないこと”を伝え育てることが子どもの育ちの中からすっぽりと抜け落ちてしまっていることなんです。

だから、本を読んでも言葉では伝えることが出来ないことを自分で補うことができず、その世界を楽しむことが出来ないのです。

言葉は暗号のようなものです。
暗号はそれ自体には意味がありません。でも、暗号解読書を通すときに意味が現れるのです。
“ジャスミンの香りを嗅いだときのような刺激”というという言葉があったとき、ジャスミンの香りを嗅いだことのない人にはそれがどんな刺激なのか分かりません。
“ジャスミン”という暗号が解読できないのです。

“子どもの育ちには愛情が必要です”と言われても、子どもの頃に愛されてこなかった人はその“愛情”という暗号を解読できません。

言葉を解読するためにはその体験が必要なんです。
その体験のない人は言葉を“自分の言葉として”使えません。
体験自体は言葉ではありませんが、体験がないことには言葉に生命を与えることが出来ないのです。

そして、他の人の語る言葉の生命を受け取ることもできません。

ですから、その体験が不足している今の子どもたちは言葉を使えません。
何かについて語る。
対話、相談する。
自分の気持ちや感情を説明する。
自分が体験したことを相手に伝わるように説明する。
自分の考えを説明する。

そういう言葉の使い方が出来ないのです。
また、それは多分今普通の大人の状態でもあると思います。

いっぱい言葉を知っているだけで中身がないからです。
だから、昨日の話ではありませんが、自己主張など出来ないのです。
また、本を読んでも解釈するだけで楽しむことが出来きないのです。


そして、私は子どもたちに対してもお母さん達に対してもその“言葉では伝えることが出来ないこと”と伝えようとしています。
ですから、基本的にワークショップという形で活動しています。
(講演会の方が謝礼は多いのですけど・・・。)

そして、その“言葉では伝えることが出来ないこと”を伝えることが出来たとき、(誤解なく)言葉が伝わるようになるのです。
(お分かりになりますか)

ある人とある人の間に言葉が伝わっているとき、その二人の間には言葉では伝えることができないものが共有されているのです。

私の言葉に共感して下さる方の言葉を読むとき、言葉では伝えることが出来ない世界でのつながりを感じるのです。

だから、そのような人を仲間と感じるのです。





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Last updated  2006.10.19 05:50:21
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