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のんちゃんママさんだけでなく、聞くことが苦手な人は多いですよね。
昨日の先生も全く子どもの言葉を聞こうとしていませんでした。 “聞かれたことだけに答えなさい”という感じです。 でも、子どもというものはいつでも話したいし、聞いてもらいたいのです。そして、それを聞いてもらうことで子どもは自分を確認し、整理し、次のステップへと進んでいくことが出来るのです。 例えば、学校で悲しい出来事があった時でも、それをお母さんに話すことが出来れば子どもはその悲しみを乗り越えていくことが出来ます。特別にお母さんが解決方法を示さなくても、子どもの感情は話すだけで落ち着いてくるのです。 でも、それを話すことができないとその悲しみはズーッと心の中に残ってしまいます。 そうなんです、話しを聞いてもらうだけで子どもたちは落ち着くのです。 それを、“しずかにしろ”と怒鳴り、むりやり話を聞かせようとするから落ちつきがなくなるのです。 それは家庭の中でも学校でも同じです。 でも、子どもの話に耳を傾けるためには大人の心にゆとりが必要です。ゆとりがない人は、子どもに自由に発言させることが子どもに支配権を奪われるようで怖いのです。そして、最近そのゆとりのない大人がやたらと多いのです。 どうしてだか分かりますか。 話を聞いてもらえないからです。 大人だっていっぱい話したいことが詰まっているのです。それを一人で抱えているから前に進めなくなって、心の中からゆとりが消えてしまうのです。 まず、その事に気付いて欲しいのです。 自分の心の中に外に出たがっている言葉がいっぱい詰まっているはずなんです。 その言葉を一つ一つ丁寧に紡いで、その言葉に耳を傾けてあげて欲しいのです。 誰も聞いてくれる人がいなければ、自分で聞いてあげるのです。 その言葉を無視しても否定してもいけません。 どうも真面目な人ほどそのような言葉を無視し、否定してしまうのです。 (不真面目な人はその言葉に振り回されてしまいますけどね。) 何もしなくてもいいのです。 ただ、その言葉として生まれ出ることが出来ない心の中の言葉に耳を傾けてあげるのです。それはまた、自分の心の声を聞くことでもあります。 そうすれば、何かが変わっていくと思います。そして子どもの言葉にも耳を傾けることが出来るようになるのではないかと想います。 子どもは自分の言葉に耳を傾けてくれる人の言葉に耳を傾けます。 子どもから学ぼうと心がけている人から学ぼうとします。 でも、 一方的に、子どもに聞かせようとしている人の言葉は聞きません。 一方的に、子どもに教えようとしている人からは学びません。 そういうものなんです。 最後に、こだまさんの 当時は対立していたんで気がつきませんでしたが、今は、学校側の本当の考えというか、思いのようなものを知りたいな、と思います。 というコメントに私なりの考えを書かせて頂きます。 学校は子どもを育てる場であると同時に先生を育てる場でもあるのです。 先生はどこかでみっちり修行をして学校の先生に赴任してくるわけではなく、未熟な状態で学校にやってきて、子どもやお母さんや他の先生たちに揉まれて一人前の先生に成長していくのです。 でも、“うちの子をそんな未熟な先生に見てもらいたくない”というのも親心でしょう。 でも、そんなお母さん達の気持ちに合わせて学校が未熟な先生を担任から外していたら、そのうち学校は未熟な先生ばかりになってしまいますよね。そうしたら学校が崩壊してしまいます。 そういうことを言うと、“では、未熟な先生のためにうちの子にモルモットになれって言うのですか”とおっしゃる人もいるでしょうね。 そうではないのです。 先生が成長していく姿をお母さんや子どもたちと一緒に体験していくのです。 お母さん達に支えられ、子どもたちに鍛えられて未熟な先生が少しずつ成長していく姿を子どもたちに見せてあげるのです。 これは、教科書では学ぶことが出来ない学びです。 こんな学びが出来る子どもたちは幸せ者です。 決してモルモットではないのです。 でも、お母さん達が先生を排除してしまったら子ども達はわずかばかりの知識と引き替えに、学校や大人に対する不信を学ぶでしょうね。 これは悲しいことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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