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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2009.11.14
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今日はちょっと脇道にそれてみます。

今、一部の人の間では「2012年」という年が特別な年として語られています。それはノストラダムスの時のように「2012年に人類が滅亡するかも知れない」という噂が流れているからです。
2012年に人類が滅亡するという映画も11月21日から公開されます。

この2012年が特別な日として扱われている理由は古代マヤ文明の暦が2012年12月23日で止まっているからです。

詳しくはウィキベディアでお読み下さい。

ただ、ノストラダムスの予言とは違って、マヤの暦は「具体的な何か」を予言しているわけではありません。単に、マヤの人たちがそこまでしか暦を作らなかったということです。そのことにどのような意味を見いだそうとするのかは人それぞれです。

また、マヤの暦の他にもいくつかの予言があるようで、それらのいくつかが同時に2012年を特別な年として扱っていることもその背景にあるようです。

さらには、科学者の中にも2012年(前後)は太陽活動や天文学的な現象において特別な年であると主張する人も多く、信憑性を高めています。

マヤの人たちは天文学的な知識に優れており、天体的な事象と関連づけて暦を作っていたようですから、暦が終わる2012年が何らかの天文的な出来事が起きる年として考えられていたことは容易に想像できます。

ですから2012年が天文学的、占星術的に特別な日であることは確かなことなのでしょう。

でも、それは必ずしも「人類滅亡」を意味するものではないと思います。私たちが使っているカレンダーだって12月31日までしかありませんが、それが大晦日の夜に大災害が起きるという根拠になどなるわけがないからです。

ただ、12月31日が一つの区切りであることは事実です。今私たちが使っている暦は、必ずしも天体の動きと密接にリングしているわけではありませんから、その区切りは人間社会だけのものですが、冬至などを区切りにしている暦ではその区切りは生命あるもの全ての区切りとして、その前後で大きく生命や天地を支えているエネルギーの流れが変わっていきます。

ただし、その変化は急激に起きるものではありません。冬至の一日前と、一日後で急に何かが変わるわけではありません。でも、冬至を境にして次第に自然界は変わっていきます。人間の心とからだの状態も変わっていきます。

昨日書いたように、気質はその人のエネルギーの流れ方と関係しているので、大地や天体のエネルギー変化にも敏感に反応するからです。春になると心とからだが不安定になったり、ウキウキした気分になるのはそのせいです。

全ての生命現象は電気的な仕組みによって支えられています。つまり、生命は電気的なエネルギーによって支えられているのです。「心」の働きも電気的なエネルギーの流れによって生まれています。だから、外部からの電磁波や電気的な影響を受けやすいのです。

生物は太陽からの熱をそのまま取り入れているのではありません。熱はそのままではすぐに冷えてしまうからです。生物は太陽からの熱エネルギーを電気的なエネルギーに変換して保存しているのです。それは、低いエネルギー状態の物質から、高いエネルギー状態の物質を作るという形で行われています。その過程で細胞内で使われているのも電気的なエネルギーです。(脂肪は充電器のようなものです。)

そして生物はその高いエネルギー状態の物質を分解することでエネルギーを得て活動しています。

秋になって落ち葉が落ちると、落ち葉は腐敗して土に還る過程で熱を出します。そのようにして太陽からもらったエネルギーを大地に返しているのです。

と話がそれましたが、それと似たような論理で2012年の天文的な変化によって、宇宙のエネルギーの流れが変わって、人の心やからだの状態が変化し始めると主張する人たちもいます。

つまり、2012年に関しては「災害によって人類が滅亡する」と考える人たちと、「その年を境に人類の進化に変化が起きる」と考える人たちがいるのです。

でも、実際の所は誰にも分かりません。もし後者なら、2012年が過ぎても実感としての変化はないでしょう。みんながその変化に気付くのは100年後くらいかも知れません。
でも、もしかしたら両者とも起こらずに、このままの状態が続くだけかも知れません。

(私がセルフケアの「Jin Shin Jyutsu」を学んでいたアメリカ人の女性は「クンダリーニチャクラが勝手に開いて大きなエネルギーが流れ、精神とからだの準備が出来ていない人は気が狂ってしまうだろう」と言っていましたが、多分そのような劇的な事は起こらないと思います。)

ですから、そんなに深刻に2012年問題を考える必要もないと思います。どっちみち人類が滅亡するなら逃げられない訳だし、精神の進化が起きたとしてもその変化に気付くだけの能力を持った人はほとんどいないわけですから。また、気が狂ったとしても、狂ったことにすら気付かないでしょう。気が狂うとはそういうことだからです。

でも、2012年の問題はそれだけではありません。2012年の変化を待っている人たちが大勢いるからです。
それはノストラダムスの予言の時にはなかったことなのではないでしょうか。

今人類は一つの終点に到達しようとしています。2012年の問題がなくても、私たちはこの終点から先の世界のヴィジョンを描くことが出来ないでいます。それは単なる予想ではなく、世界規模で起きているこの世界の現実です。

地球規模で見た時、人口も経済活動も飽和状態です。それでも、政治家達は「もっと子供を産め、もっと経済を発展させろ」としか言えません。人間が生きるためのそれ以外の方法が分からなくなってしまっているからです。でも、冷静に考えたらそんな考え方はやがて破綻することが目に見えています。

その結果、2012年に何も起きなくてもこのままの状態が続くだけなら、それほど遠くない将来人類は衰退していくでしょう。

科学技術の進歩が人類を救ってくれると思い込んでいる人もいますが、実際に科学技術がどのようにして世界規模で人類を救うことが出来るのかという説明も、議論も聞いたことがありません。みんな科学を「魔法」のように信じているだけです。

社会経済が疲弊したら、科学の進歩はそこで止まってしまうのです。科学はお金と政治がないと進歩することが出来ないのです。

一部の企業が画期的な技術を開発したとしても、当然それは「代価」を求められます。すると、一部の人しかその技術を使うことが出来ません。すると、その技術を使うことが出来ない人たちの不満が溜まります。すると、政治的に不安定な状態になります。これは今、世界規模で起きていることです。インフルエンザのワクチンでも同じような問題が起きています。

今、私たちが精神という視点から人類の未来のことを考えることは、オカルトでもなんでもなく、この終点を新たな出発点とするために必要な非常に現実的な問題なんです。

PS)
今、新聞のテレビ欄を見たら、今日の21:00からの「世界不思議発見」で、「2012年問題」を扱うようです。





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Last updated  2009.11.14 08:29:43
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