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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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意識の習慣 New! かめおか ゆみこさん

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森の声

森の声

2011.06.09
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カテゴリ:カテゴリ未分類
私は基本的に「○○のために」という考え方があまり好きではありません。テレビや様々なメディアには「未来のために」「子どものために」「動物達のために」「自然のために」という言葉が氾濫していますが、そういう言葉を聞く度に何か違和感を感じます。

それは、その「ために」という言葉に「今という時間」と「共に」というつながりを感じないからです。

「未来のために」という言葉を聞くと、へそ曲がりの私としては「じゃあ今は未来のための準備期間か」と思ってしまいます。

でも、実際に私たちに与えられているのは「今」という時間だけで、「未来」という時間は頭の中だけにしか存在していません。

その「今」が「未来のための準備期間」だとすると、私たちはズーッと空想の世界を生きなければならないことになります。

「子どものため」という時のその「子ども」は現実の子どもではありません。大人の頭の中にだけにしか存在していない空想の「子ども」です。

そのように考えなければならない時もあるかも知れませんが、その「頭の中の子ども」と、「実際の子ども」をしっかりと区別して認識しておいた方がいいです。

そうでないと「空想の子ども」のために頑張ったことが、かえって「実際の子ども」を苦しめることになってしまう事もあるからです。

実際、私は「子どものために」という子育てを押しつけられて苦しんできたお母さん達をいっぱい知っています。

「動物達のために」という考え方も、ちょっと変です。(多分)動物達が望んでいるのは、「保護」ではなく、人間達に占拠された住みかや環境を返してもらうことのはずだからです。

それは「ために」ではなく「共に」ということなのではないでしょうか。

現代人は「今」と「共に」を大切にしないで、頭の中だけにしか存在しない「空想の世界」ばかりを見ています。

小学校に入って困らないように幼稚園から準備をし、中学校に入って困らないように小学校から準備をし、高校に入って困らないように・・・・と延々と続く人生には「今という時間」が存在していません。すべてが空想の世界です。

そのため、子どもは「現実を生きる力」を育てることが出来ないまま大人にならざるおえなくなってしまっています。

人間と自然のつながりが消えてきてしまっているのも、自然が崩れ始めているのも、人間が「今」という時間と、「共に」という生き方を大切にしなくなってしまったためです。

その「今」と「共に」を大切にするということは、「感覚」と「からだ」を大切にすると言うことでもあります。なぜなら、この「感覚」と「からだ」は、「今」という時間と、「共に」というつながりの中にしか存在することが出来ないからです。

それに対して、「ために」という空想の世界の中には「感覚」も「からだ」もありません。あるのは観念ばかりです。ですから「ために」と考える人は感覚とからだを閉ざしてしまっています。そして、「満たされる」という感覚もまた存在していません。

「満たされる」という現象は、「今」という時間の中でしか起こり得ないからです。空想の世界の中では人は決して満たされることはないのです。

そのため、「子どものために」「未来のために」「動物のために」「自然のために」と考える人達は、いつまでも満たされることはありません。とにかく空想の世界が相手ですから、その理想には限りがないのです。

それに対して、「子どもと共に生きる」、「動物と共に生きる」、「自然と共に生きる」、「今を楽しむ」という生き方は「現実の世界」を相手にしているので、「満たされる」という感覚が存在しています。

そのような生き方をしている人達は多くを求めません。満たされているからです。

ただ、最後に付け加えますが、私は「ために」という活動が全部ダメだと言いたいわけではありません。

「今という時間」「共に」というつながりを大切にした上での「ために」なら大賛成です。でも、「ために ために」と強く主張する人に限って、その大義名分に酔ってしまって、「今という時間」「共に」というつながりを忘れてしまう傾向があるような気がするのです。

また、今、「被災された人たちのために」という活動が盛んです。
それ自体は素敵なことだと思います。

でも、その活動の中に被災した人たちの「今という時間」と、「共に」という感覚が抜けているなら、それは単なる自己満足か押しつけに過ぎません。

政府のやっている活動はそのようなものです。





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Last updated  2011.06.09 15:15:53
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