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今朝、ネットでニュースを見ていたら「評論家・木元教子 原子力否定しても何も生まれず」という記事が目にとまりました。
彼女は完全に原発賛成派のようで、文章は いま原子力は、エネルギー安全保障の柱、前を向いて稼働する。7月9日、関西電力の大飯原子力発電所3号機は、フル稼働に達した。これで、日本の稼働原子力発電所ゼロの状態は解消する。(きもと のりこ) という言葉で締めくくられています。 多分、木元さんの意見は多くの原発賛成派の人たちと近い考え方なのなのでしょう。 ただ私はこの文章の内容の是非については何も言いません。専門家でもないので反論するだけの知識もありません。 でも、この文章には「なぜ?」が全くないということは分かります。 あるのはただの「計算」ばかりです。100%、計算だけの文章です。 テレビやネットなどで原発賛成派の人たちの意見を聞いたり見たりしていると、みんな「1+1=2」的な計算の延長に「だから原発は必要なんだ」という議論をしています。 そこには「計算」はありますが「なぜ?」に基づく「自分の考え」はありません。 これは「簡単便利信仰者」の特徴なのですが、「客観的な計算」というものと、「自分の考え」というものの違いが分からないのです。 そのような人に「あなたの考えを聞かせて下さい」というと、知識や常識を論理的に組み立てて「自分の考え」として答えてきます。 でも、これはコンピュータやロボットにでも出来る作業です。 私たちは「人間が人間らしく生きることが出来る社会」を求めているのですから、その考え方や判断にも人間らしさが必要なはずなのですが、「簡単便利信仰者」にはそういう視点は全くないようです。 もしかしたら「人間が人間らしく生きることが出来る社会」というものに対してさえ興味がないのかも知れません。 そして、困ったことに、その計算だけで物事を考える人たちが世界を支配しています。 だから、人類は豊かにはなったけど、その豊かさが人類の幸せにはつながっていないのです。 そこで私たちは「なぜ?」と問いかけなければいけないのですが、計算だけで物事を考える人はそのことに気付きません。 そのような人たちには、「なぜ?」と問いかけるような「人間的な考え」は通用しません。 だからといって、私は単純に原発反対派の人たちの言うことをそのまま肯定しているわけではありません。 ただ単に「怖いから反対」「とにかく反対」という考え方もまた「人間的」ではないと思うからです。それは「動物的」な考え方です。そして、動物的な考えの人たちもまた「そんなの当たり前だろ」と繰り返すばかりで、自分の頭で考えず、「なぜ?」と問いかけません。 コンピュータ的な考え方と、動物的な考え方が話し合うことは不可能です。ましてや一致点など見つかるわけがありません。両者とも「自分の頭」で考えていないのですから。それで結局戦いになるばかりです。 でも、どっちが勝ったとしても、「人間が人間らしく生きることが出来る社会」が生まれるわけがありません。 それに対して、「なぜ?」と問いかけることが出来る人は対立しません。戦いません。一緒に考えようとするばかりです。 そして、「違うところ」ではなく、「同じところ」を探そうとします。「同じところ」から話を始めようとするのです。 マザー・テレサは、宗派を問わず貧しい人、死にかかっている人を救おうとしましたが、それもまた「違い」よりも「同じ所」に目を向けたからです。 でも、「なぜ?」と問いかけることが出来ない人は、いつでも自分と相手の「違うところ」ばかりを探し、対立しようとします。だから、「話し合い」が出来ないのです。 そういう点では徹底した原発賛成派も、徹底した原発反対派も同じ人種です。 また、政治家たちもそのような人ばかりです。 ちなみに、幼い子どもたちはマザー・テレサと同じように、みな「同じところ」を探すのが得意です。幼い子どもたちにとって「違い」はそれほど大事なものではないのです。 大人たちは思想や宗派で対立し戦いますが、幼い子どもたちにとって大切なのは「一緒に遊べるかどうか」だけです。 だから、草花や様々な生き物たちと「自分」との間に垣根がないのです。それがアニミズム的な世界です 「違い」が大切になるのは思春期が来て、自我が目覚めてからです。 ただ、幼い子どもたちでも早い時期から知的な学習を強いられてしまっている子は、「なぜ?」と問いかける能力を失い、「違い」ばかりを探すようになります。 だからこそ、幼い子どもたちの目を閉ざさないようにする子育てや教育をする必要があるのですが、困ったことに、「なぜ?」と問わない人たちに、「なぜ?」と問うことによって初めて気付くことが出来る世界のことを伝えることが出来ないのです。 それは、目を閉じて生きている人たちに、目で見える世界のすばらしさを伝えることが出来ないのと同じです。 ********** 原発事故の問題でも、再稼働の問題でも、津波で多くの小学生が亡くなってしまった大川小学校の問題でも、大津で起きた中二の男の子の自殺の問題でも、消費税の問題でも、被災者、被害者、弱者は「なぜ?」と問うているのに、お偉い人たちはその「なぜ?」には一切答えず、知識や常識を論理的に組み立てた計算結果ばかりを提示してきます。 自分の頭で考えることが出来ない人たちなのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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