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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声@ Re[1]:「魂のはなし」(もう一人の自分)(06/10) めげぞうさんへ >6年生の子どもたちが、…

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森の声

森の声

2012.07.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
未熟な母さんにお約束した「信じること」については明日書かせた頂きます。
今日もまた「イジメ」について書かせて頂きます。

皆さんもご一緒にお考え下さい。この問題には正解がありません。そして正解のない問題は考え続けなければいけけないのです。思考停止してしまった時点で「思い込み」が「正解」になってしまい、問題を悪化させてしまうのです。


今の子どもたちが「一緒に出来るもの」といったら「ゲーム」しかありません。しかもそれは、物やディスプレーやネットを介しての「間接的な一緒」であって、昔の子どもたちが体験していたような、顔と顔を見合わせ、肌と肌が触れあうような関係での「直接的な一緒」ではありません。

また、子育てでも昔のお母さんたちはいつも赤ちゃんをオンブしていました。また、寝るときには子守歌を歌い、添い寝をし、小さいときから家事を手伝わせ、一緒に食卓を囲みました。

このように昔は、親子の間にも「一緒」があったのですが、この「一緒」も消えてしまいました。

今の若いお母さんはオンブをしません、子守歌も知りません。添い寝をしている人はまだいっぱいいると思いますが、それでも添い寝をしない人、添い寝を嫌がる人も増えています。

小学生ぐらいになると部屋は個室で、塾通いの子どもは忙しく、生活もバラバラで、家事を手伝わせるより勉強をさせ、子どもが食事をしているときにはお母さんは何か他のことをしています。

もちろんそうでない家庭もいっぱいありますが、そのような家庭が増えてきたし、実際に多いと言うことです。(子どもに食事の風景の絵を描かせるという調査もあります。)

ですから、今、「一緒」を体験しないまま成長している子どもたちがいっぱいいます。

これは考えると恐ろしいことです。

そのような子どもたちにとっては、「仲間」とは、一緒にゲームをやる関係の子だけを指します。他に「一緒に出来ること」がないのですから。

ですから、ゲーム機を持っていない子は当然仲間はずれになります。実際、お母さんたちからこのような相談をよく受けます。

このような子どもたちが、学校という場で仲間を作ろうとしたら、学校の中でゲームをするしかありません。他に「仲間を作る方法」を知らないのですから。

特に、家族との「一緒」が希薄な子どもたちほど孤独ですから、その孤独を癒すために「仲間」を求めるのです。

この時、担任の先生が「仲間作り」を意識したクラス作りをしているならゲームをする必要は消えるのですが、ただ比較し、競争させるだけのクラス作りをしていると、孤独に耐えられない子どもは自分の力で仲間を作ろうとします。

そこで「イジメ」というゲームは、非常に手っ取り早い「仲間作りの方法」になります。その際、イジメは仲間作りが目的ですから、決して一人ではいじめません。必ず数人で徒党を組みます。

そして、単なるゲームですから対象は誰でもいいのです。ただ、問題が大きくなりそうな相手、反撃してくる相手、反応しない相手は避けます。楽しくゲームできなくなってしまうからです。

「対象は誰でもいい」ということは、その対象を「人間」としては考えていないということでもあります。ですから、相手の子がどんなに苦しんでいても、その苦しみには関心がありません。苦しめて喜んでいるのではないのです。

それがゲーム世代の子どもたちの「イジメ」の特徴です。そして、そのゴールは相手が死ぬことです。

ゲームは勝ち負けを遊びます。そして、「勝つ」ということは「相手を殺す」ことを意味します。ゲームはそのように出来ているのです。

ゲームの中で自分が殺す相手に同情していたらゲームなど出来ないのです。そして、今、毎日のようにゲームの中で殺している子どもたちがいっぱいいます。

うちの教室でも、「バンって撃ったら相手の頭がすっとぶんだぜ」と楽しそうに話をしていた小学生がいました。

そういう遊びを毎日している子に「イジメは良くない」「イジメは卑怯だ」と言っても、何のことか分かりません。そもそも、自分たちがやっていることが「イジメ」などとは思っていないでしょう。

実際、大津の事件でも加害者の少年たちはそのように訴えています。

それが「イジメ」だと分かるのは「ゲーム」に参加していない子どもたちだけです。

イギリスなどでは「狩り」がスポーツとして認められているようですが、「狩り」が嫌いな人にとっては「狩り」は動物虐待ですが、狩りを楽しむ人はそんなこと考えたりはしないものです。

ただ、「ゲーム」だけがイジメの原因ではありません。
仲間と鬼ごっこや基地作りもやって、時々はゲームも一緒にやるという程度なら問題はないのです。ゲームしか「一緒」を体験できる場がないのが問題なのです。

また、家庭の中でも家族と一緒に生活できている子はゲームに支配されることもないのです。

子どもがゲームに支配されてしまう一番の要員は「孤独」なんです。そして「孤独」こそがイジメの最大の要因でもあるのです。

そして、自殺もまた孤独によって起きます。何かをされたから自殺をするのではありません。救いのない完璧な孤独の中で自殺が起きるのです。

ですから、大津の事件の加害者の子どもたちも、自殺した子どもも、家庭の中で孤独だったのだろうと思います。

「イジメ」と「自殺」の原因は同じなのです。

だからこそ、子どもたちを孤独にしてしまった周囲の人間や、社会全体に責任があるのです。


そのような視点を持たない限り、どのように指導しても、言葉かけをしても、監視を厳しくしても、イジメも自殺もはなくなりません。

「イジメを止めよう」「イジメは卑怯だ」と繰り返しても、孤独な子どもは孤独に耐えられずに、仲間を求めてイジメを繰り返すのです。

自我が未成熟な子どもにとって「孤独」ほど苦しいものはないのです。そして、自我が未成熟な子どもは自分を抑えることが出来ないのです。

子どもだけでなく、現代社会には

「仲間とつながることが出来ない孤独」
「自然から切り離された孤独」
「心とからだが分離したことによって生まれる孤独」
「感覚が閉ざされることによって生まれる孤独」
「生きる意味と目的を失った孤独」
「家族がつながり合えないことから来る孤独」
「物語を失った孤独」
「先祖とのつながりを失った孤独」
「神や仏といった絶対的な存在とのつながりを失った孤独」

に苦しんでいる人がいっぱいいます。





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Last updated  2012.07.19 09:07:01
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