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明けまして おめでとう ございます。
今年もよろしくお願いします。 以下の写真は昨日(1日)の朝、実家(鎌倉)の二階から撮ったものです。 **************** 3.11の震災以降、特に「頑張れ」とか「頑張ろう」という言葉を聞くようになった気がします。 それはまた、今日本全体を覆っている閉塞感の表れかも知れません。 歌でも「頑張れば夢は叶う」的な歌が多くあるような気がします。年末のテレビではYUIという歌手の「fight」という歌を何回も聴きました。 その歌詞は 頑張れ頑張れ 命燃やして 続く現実 生きてゆく 頑張れ頑張れ 限りある日々に・・・ 花を咲かせる というようなものです。 でも、この「頑張る」という言葉、よく考えると意味がよく分からないのです。 「頑張る」の「頑」の文字は「頑固」と同じです。でも、「頑固」にはあまりいい意味がありません。 ちなみに「頑張る」の意味をgoo辞書で調べたら 1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」 2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「―・って自説を譲らない」 と書いてありました。 YUIの歌の歌詞の意味は多分、1番の方でしょう。 では、この説明に出ている「我慢」とはどういう意味なのか気になったので、それもgoo辞書で調べたら 1 耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。「彼の仕打ちには―がならない」「ここが―のしどころだ」「痛みを―する」 2 我意を張ること。また、そのさま。強情。 「―な彼は…外(うわべ)では強いて勝手にしろという風を装った」〈漱石・道草〉 3 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。 「汝仏性を見んとおもはば、先づすべからく―を除くべし」〈正法眼蔵・仏性〉 と書いてありました。 この中で、YUIの歌詞の中の「頑張れ」に意味として適当なのは一番の「堪え忍ぶこと」「こらえること」なのでしょう。 私は、別にYUIの歌を非難しているわけではありません。この歌で励まされ、必死になって頑張っている人もいっぱいいるでしょう。 それはそれで認めます。 でも、「頑張る」という発想だけでは、事態は良い方向に向かないのではないかということです。 この、「我慢」の意味の中に、道元さんが正法眼蔵の中に書いた 3 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。 「汝仏性を見んとおもはば、先づすべからく―を除くべし」〈正法眼蔵・仏性〉 という言葉がありました。 道元さんは「我慢」を否定しているのです。 なぜなら、「我慢」ばかりしている人は自分を変える気がない人だからです。そのような人は成長しません。 そして、人に我慢を求める人は、その人の成長を望んでいるのではなく、その人を支配しようとしている人です。 また、我慢して頑張っている人が求めているのは「負けないための強さ」です。ですから、我慢し、頑張ることで「強さ」を得ることは出来るかも知れません。 そしてそのような人は、自分が「強さ」を得たことを「成長した」と感じるのでしょう。 だから、スポーツのように「強さ」を求めるような競技においては「頑張れ」という言葉は合っていると思います。 でも、「強くなること」と「成長すること」は本質的に異なることです。また、単純な「強さ」は「鈍感さ」につながります。 人は強くなると鈍感になってしまう傾向があるのです。ですから、憂鬱質の人たちから見たら、胆汁質の人たちは鈍感なのです。 また強さを求める社会では、敗者を馬鹿にし、弱者に優しくないのです。 それに、世の中には「頑張る」とか「我慢」という方法では乗り越えることが出来ないものもあるのです。 頑張ったり我慢したりしたら余計に問題がこじれてしまうものもいっぱいあります。 太極拳や合気道などでも「頑張るな」と言います。こちらが頑張れば向こうも頑張ります。すると力と力の戦いになります。スポーツではそれが面白いのですが、本当に生きるか死ぬかという戦いにおいては、そんな戦いばかりしていたらすぐに死んでしまいます。 じゃあ、何もしない方がいいのか、というとそういうことではありません。「別の方法」があるのです。でも、その「別の方法」を日本人は忘れてしまっています。 それは「工夫すること」と「努力すること」です。 一見、「頑張ること」と「努力すること」は似ていますが、よく考えるとその意味は大きく異なります。 「頑張ること」は「守ること」につながっています。ですから敵に攻められているときには頑張る必要があります。 でも、攻撃している時や、何かを育てようとするときに必要になるのは頑張ることではなく、工夫し努力することです。 頑張るだけの攻撃は簡単に破られてしまいます。農作物を育てるような行為においては、何を頑張ったらいいのかすら分かりません。 新しい製品を開発するときも、社会を変えようとするときも、必要になるのは工夫し努力することです。 頑張るだけでは何も変わりません。 頑張ってしまうと、固くなってしまい自由に動けなくなってしまうからです。 でも今の若者たちは、「必死に頑張っている人」はかっこよくて、「地道に努力している人」はダサイと感じる感性を持っているような気がします。 でも、社会を本質的なところから変えることが出来るのは「地道に努力している人」の方です。 「子育て」においても同じようなことが言えます。 子どもは「壁」でも「敵」ではありません。子どもが言うことを聞かなくても、それは子どもがお母さんを攻撃しているわけではありません。 だから、子育てでは頑張ってはダメなんです。というか、もともと頑張る必要などないのです。 子育てにおいて必要なのは「工夫」と「努力」です。頑張ってはいけないのです。子育ては頑張れば頑張るほどおかしくなっていきます。 でも、工夫や努力をするためには頭を使う必要があります。なぜなら「工夫」と「努力」においては「どのように」ということが非常に大事な要素になるからです。 でも「頑張る」にはそれがありません。むしろ思考停止が求められます。 戦争中にはそのような「頑張れ」が押しつけられました。 何にも考えていなくても、一生懸命に目の前の出来事に対応することで頑張ることは出来ます。でも、考えないことには工夫や努力が出来ないのです。ですから、その状況を変えることが出来ません。 ただ、「通り過ぎる」のを待つばかりです。 ちなみに、この「頑張る」は非常に日本的な言葉のようです。「秘すれば花」的な日本人の美学とつながっているのでしょう。 英語には「努力」に相当する「effort」という言葉はありますが、「頑張る」に相当する言葉はないようです。 gooの和英辞書で「頑張る」を調べたら 1 〔踏ん張る〕hold out, hang on 援軍が来るまでがんばった They 「held out [hung on] till reinforcements arrived. がんばれ!Stick with [to] it!/((口)) Hang in there!/〔試験や試合の前〕 Good luck! 最後までがんばるぞ I'll stick it out! もっとがんばらないと進級できないよ If you don't work harder, you won't be able to move up to the next grade. などでした。 でも、日本語的なニュアンスは感じません。 日本は、明治維新以来「欧米に追いつけ、追い越せ」と必死になって頑張ってきました。戦後も、経済復興を目指して頑張ってきました。 でも、今日本が向き合っているのは、その「頑張る」という方法が通用しない事態なのです。 「頑張る」という方法だけではもう通用しない時代になってしまっているのです。 でも、多くの人がその事に気付いていません。そして頑張ればまた元の栄光を取り戻せると思い込んでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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