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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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魂がふるえるような… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

森の声

2014.11.25
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日のブログに関して、きなこさんから以下のようなコメントを頂きました。

「相手がいる問題」は、「相手」のことを理解し、相手の価値観を肯定した上で解決方法を考えないことには話がこじれるばかり。と書いておられてました。

息子のことを理解すると、テレビの内容はちんぷんかんぷんだけど父親と居たい見たい。
主人のことを理解すると、自分も見たいし、子供も見たがってるから見る。何かで遊ぶより楽。
私は、子供には早い刺激が強い。父親と違う遊びをして欲しい。

これらを相手を肯定させて考えると、やはり自分は堪えて見せてあげるべきなんだなと思いました。子供の前で喧嘩しない為にも。
でも内心はイヤだ。見せたくない。です


これもこれで、一つの解決法かも知れませんが、でも、「自分が犠牲になれば済む」的な考え方は、うまく行かないと思います。

お母さんがそのことでイライラしていたら、そのイライラが子どもやご主人にも伝わってしまうからです。

だからといって、きなこさんがきなこさんのやり方を押し通したら、子どもやご主人がイライラすることになるでしょう。

そしてそれは、きなこさんにも返ってくるでしょう。

きなこさんのおっしゃっていることはよく分かります。でも、きなこさんは「テレビが好きな男性」と結婚したのですよね。

家にはテレビがあり、お子さんはお父さんとテレビを見るのを楽しみにしているのですよね。

そして、その状態を変えるのは困難な状態なのですよね。

これは、その状態がいいとか悪いの話ではなく、「それが今の状態なんですよね」ということです。

だから、きなこさんは「自分が我慢すれば丸く収まる」と考えたのでしょうけど、この答えは誰のためのものですか。

ただ、「対立」を防ぐためものであって、誰のためのものでもないですよね。

政治の問題でも、地域の問題でも、「ママ友」間の問題でも、ただ対立を防ぐだけの解決法は、誰かの所に不満が溜まりやすいため、結局はトラブルの原因になっていくのです。

ここでの問題は、ご主人の「子どもにとって良いと思われること」と、きなこさんの「子どもにとってよいと思われること」が対立しているということですよね。

ただ、ご主人の言い分は子どもをダシにして、自分の欲求を通そうとしているようにも思えます。「見せた」から「見たがる」ようになるのです。最初から見せなければ見たがりはしないのです。

でも、過ぎてしまったことを云々しても意味がありません。もう、見ているし、子どもも見たがっているという現状から話を始めましょう。

また、ご主人の肩を持つわけではありませんが、男性は「コナン」のような番組が好きなんです。

男の子の嗜好と、女の子の嗜好は同じではないのです。
男の子は「○○レンジャー」に憧れ、棒があれば棒を拾い、石があれば石を投げ、ドロンコがあれば団子を作り、仲間がいれば競争し、アリンコがいれば踏みつけるのです。

機械ものも好きです。

それがいいとか悪いとか言うことではありません。「男の子というのはそういう生き物なのだ」、ということです。そして、その状態から人生を始めるのです。

その時、お母さん達が「私が嫌いだから」という理由だけで、男の子達にも「女の子の価値観」を押し付けてしまったら、それもそれで問題があるような気がします。

女性にはどうも分からない感覚のようですが、男の子は「棒」が大好きです。
そんな時、「棒を拾うな」と禁止するのではなく、「危なくないように気を付けなさい」と伝えればいいのです。

コナンの暴力的な画面が嫌いなら、日常生活の中ではみんなが仲良く遊べる場を作ってあげればいいのです。

お母さんが遠ざけても、子どもはお母さんの目の届かないところでそのようなものを求めてしまうので、遠ざけきれないのです。

なにせ、本能ですから。

これは食べ物でも同じです。

時々、お菓子でも、仕付けでも、テレビでも、ゲームでも、純粋培養的な子育てをしているお母さんがいます。

でも、お母さんが子どもの日常生活を管理出来るのは、子どもがお母さんの側で遊んでいる時だけです。

子どもが幼稚園に入って、お友達の家に遊び行ってしまったら、お母さんの眼は届かないのです。

すると、それまで押さえ込まれていた本能が暴走してしまうことが多いのです。

私の周りには、ご飯は玄米で、スナック菓子など一切食べず、テレビも一切見せない、という子育てをしているお母さんも時々います。

でも、子どもが幼稚園に上がって、友達の家に行くようになると、その反動で「友達と遊ばすズーッとテレビを見ている」とか、「おやつのお菓子を友達の分まで食べてしまう」という話を時々聞くのです。

でも、お母さんはそのことを知りません。

周囲全体がそのような子育てをしているならともかく、そうでない場合は本能を押さえ込むような子育ては、かえって危険なんです。

それよりも、「関わり方」を教えた方が安心です。


「クッキーを食べてはいけない」ではなく、「クッキーは一日一枚だよ」というような関わり方です。

「クッキーを食べてはいけない」と言われている子は、友達の家では何枚も食べてしまうかも知れません。でも、「一日一枚だよ」と教わっている子は、友達の家に行ってもそれを守ろうとするのです。

また、おままごとで「ドロンコのお団子」を作っても、子どもはそれを食べたりはしません。それと同じで、アニメで暴力的なシーンを見ても、それだけで子どもが暴力的になるわけではないのです。

我慢ばかり強いられ、からだを思いっきり使ったり、友達と仲良く遊ぶ体験が少ないから暴力的になるのです。

ゲームも同じです。

私はゲームは嫌いですが、ゲームをしたからといって、それだけで子どもが暴力的になるとは思っていません。

いつも、自然の中で仲間と群れて遊んでいる子は、ゲームをやっていても、ゲームに洗脳はされないのです。

リアルな体験が不足している子がゲームに洗脳されるのです。

大切なのは「バランス」であって、「遠ざけること」ではないのです。


そもそも、大人による大人のための、「経済が何よりも優先される現代社会」では「子どもの育ちに有害なもの」を子どもから遠ざけることは不可能なんです。

いい悪いではなく、私たちはそのような社会に生きているのです。





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Last updated  2014.11.25 10:07:38
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