|
カテゴリ:カテゴリ未分類
現代人は、「遊び」には無関心だったり否定的なのに、「スポーツ」には強い関心もあり、また積極的に子ども達にやらせようともしています。
でも、子どもの育ちには「スポーツ」よりも圧倒的に「遊び」の方が必要なのです。 とはいっても、「遊び」と「スポーツ」は時としてよく似ています。実際、見ただけではその違いが分かりにくい場合もあります。 羽子板は「遊び」ですが、バトミントンは「スポーツ」です。 でも、そのバトミントンでも友達同士や親子でやるときには「遊び」になります。 子どもがお父さんとやるキャッチボールは「遊び」ですが、スポーツチームでやるキャッチボールは「野球」」というスポーツの一部です。 「ゆうびんやさん おはいんなさい」と歌いながらやっている縄跳びは「遊び」ですが、「スポーツ」としての縄跳びもあります。 やっていることは似ています。でも、遊んでいるときには笑顔がありますが、スポーツの時には笑顔がありません。 どんな種目でも、笑いながらプレーしている試合など見たことがありません。 「遊び」と「スポーツ」の違いは「やっていることの違い」というより、「取り組む意識の違い」なんです。 私は若い頃スペインに半年ほどいましたが、どこの公園でも子ども達がサッカーで遊んでいました。 色々な年齢の子が、ゴールもない普通の公園や広場で、子ども達だけで、ルールにも束縛されずに、自由にボールを追いかけ回しているのですから、これは「スポーツ」ではなく「遊び」です。 実際、子ども達も笑顔でボールを追いかけ回していました。そこには「仲間で遊ぶ楽しさ」があるばかりで、勝ち負けにこだわる「スポーツの必死さ」も、大人の評価も、点数もありません。 確かにコマ回しや、相撲や、メンコのような「遊び」の場でも、子ども達は必死になって勝とうとします。でも、「遊び」において大切なのは、ただ単純に「勝つこと」ではなく、「勝ったり負けたりを楽しむこと」なんです。 だからそれを点数化して競ってしまうと別のものになってしまうのです。 「スポーツ」では常に勝てるのは素晴らしいことですが、「遊び」では逆に常に勝ててしまったら楽しくないのです。また、そんなに強かったらだれも遊んでくれないでしょう。 「遊び」とは「仲間と仲間をつなぐもの」として存在しているのです。だからそこには「勝ち負けを楽しむ心」と「笑顔」があるのです。 それに対して、「スポーツ」が目指しているのは「相手を倒すことによって得られる記録」であって、「仲間とのつながり」でも、「喜び」や「楽しさ」でもありません。 また、スポーツにおける「負け」は、心に否定的な影響を与えます。 でも「遊び」では、「負け」は逆にやる気を起こさせます。だから「勝ったり負けたり」しながら「もう一回 もう一回」と延々と遊ぶことが出来るのです。 それは、スポーツの試合では「やり直し」は出来ませんが、「遊び」ではやり直しが出来るからです。 そして、その繰り返しが、工夫し努力することを喜びにかえる体験になっているのです。 このように、やっていることは似ていても、その機能は全く異なるのです。 スポーツが目指しているのは「記録」です。 でも、子どもは「記録」などには全く関心がありません。「記録」が欲しいのは大人だけです。 子どもにとって一番大切なのは「仲間とつながることが出来るか」ということと、「楽しいか 楽しくないか」ということだけなんです。 そして、子どもの育ちにはこっち方が圧倒的に大切なんです。 でも、最近の子ども達はその「仲間と仲間をつなぐ遊び」をよく知りません。仲間と群れて遊ぶ体験が少ないからです。 そのため「遊び」の場でも勝ち負けにこだわります。だから楽しくならないのです。 羽子板は羽根を突き合って、ラリーを楽しむ遊びです。 ですから、形式的には対戦しているのですが、相手もまた仲間なんです。 でも、子どもと羽子板をするとわざと打ち返せないような玉(羽根)を返してくるのです。そして、「勝った 勝った」と言います。 テニスのようなスポーツではそれでもいいのでしょうが、コートもネットもルールもない羽子板でそれをやられると「やったもん勝ち」になってしまい、全く面白くなくなります。 また、そのような子はコマ回しでも「ぼく出来ないからやらない」と言ってやりません。 一見して出来そうな時は参加するのですが、「失敗」や「勝ったり負けたり」を楽しむという感覚がないため、出来ないようなことには手を出さないのです。 そして、挑戦しないからいつまで経っても出来るようになりません。 ちなみに「スポーツ」でも、あまり大人による評価をせず、勝つことを求めず、楽しむことを目的とするなら「遊び」になります。 そして子ども達は自由になります。そのスポーツが好きにもなります。遊びだから色々と楽しむ工夫もします。失敗も許されるので、自由なチャレンジも出来ます。 そのような根底があって、後にそこから本格的なスポーツに入っていった子は、小さいときから追い立てられながらスポーツをやってきた子よりも伸びるのではないでしょうか。 中南米やスペインなどのサッカーが強いのは小さいときからサッカー教室で学んだからではなく、私がスペインで見てきたように、野原や公園でただボールを追い回して遊んでいたからなのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|