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森の声

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2015.03.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ユキコさんか

今日、新聞で、先の18歳の少年の事件で、
容疑者の少年が、
「被害者の少年が、たくさんの友人から慕われていたことが、頭にきて、やった」
と、自供したという記事が載っていました。

私は、この事件で、
容疑者の少年が、犯罪を犯した次の日に、笑顔でプリクラをとっていた、という記事を読んで、

その余りの心の無さに、
「子供に罪はない、と思ってたけど・・そうばかり、いってられない状況だなあ・・」と、思ったのですが、

たくさんの友人に慕われていることへの嫉妬心から、あそこまでの犯罪をしてしまった容疑者の彼が、

心の奥で、いったい、どんな思いを抱えていたのかと思うと、

彼の異変に、だれかが、もっともっと早く、気が付いていれば・・と思わずにはいられません。

新聞の読者のコーナーには、「道徳教育の強化を」という投稿が載っていたのですが、

そんなんじゃなくって、
彼を、ただ抱きしめて、彼の存在を肯定して、彼の奥の苦しみや悲しみを、理解し、受け止めてあげる人が、そばにいたら・・と、思います。


と書いて下さったので、今日はこの件を取り上げます。

まず、
新聞の読者のコーナーには、「道徳教育の強化を」という投稿が載っていたのですが、

は全く無意味です。こういう発想しか出来ない大人が増えたから、こういう状態になってしまったのでしょう。

「良い子になりましょう」という授業をしたら、「良い子」になるなどという考えは全くの妄想です。

そもそもこのような発想をする人は子どもを信じていません。信じていないからこのような発想をするのです。そして、子どもでも大人でも、自分の価値観を押し付けるばかりで自分たちを信じてくれない人には反抗するものです。

従ったとしてもその大人の前でだけです。裏ではその反対の行動を取ります。
それが今回の事件を犯した子ども達の姿でもあります。

今回の事件を犯した子ども達でも、親や先生の前ではそれなりに「いい子」を演じていたのではないかと思います。

親や先生の目の前でイジメをする子はそういないものです。みんな隠れてやるのです。
「隠れてやる」ということは、「悪いことをしている」ということは知っているということです。

子ども達でも、道徳教育の授業で教えているようなことはみんな知識としては知っているのです。テレビやマンガを見ているだけでもそんなことは分かるのです。

テレビやマンガの世界の中には、大人達が道徳教育で伝えたいと思っている「愛」や、「友情」や、「仲間」や、「優しさ」や、「思いやり」や、「助け合い」が、これでもかというほど溢れています。

そして、それが今、子ども達が求めているものなのかも知れません。

ですから、退屈な道徳教育を強化するより、「アンパンマン」や「ワンピース」を読ませた方がよっぽど道徳教育になるでしょう。

でも、現実の世界はそれとは全く反対の状態になっています。大人の世界から、どんどん「愛」や、「友情」や、「仲間」や、「優しさ」や、「思いやり」や、「助け合い」というものが消えてきています。

というか、だから子ども達は空想の世界にそういうものを求めているのかも知れません。

大人達は子どもに、「思いやり」や「優しさ」を求めますが、自分たちは自分が言っていることとは逆に「自分のこと」しか考えていません。

そして「大人の都合」を子どもに押し付けてばかりいます。

「なんで優しく出来ないの」と、子どもを叱ったり叩いたりしているお母さんは珍しくありません。
でも、その矛盾には気付いていません。

先生たち同士のイジメもあります。

子どもは「大人が言っていること」から学ぶのではなく、大人の行動や意識を模倣することで学ぶのです。だから子は親に似て、子どもは大人に似るのです。

そのような子ども達を相手に、「もっと道徳教育を強化しろ」という方法しか思いつかない人もまた、信じてもらえない子ども時代を過ごしたのだと思います。

それと、ネットなどでニュースを読んでいると、18才の子の家も、上村君の家も、子どもにとっては非常に苦しい状態だったようです。

両方のお母さんとも、生きて行くのだけで精一杯で、いっぱいいっぱいだったでしょう。
子どもの心に寄り添うほど生活や自分自身に余裕がなかったのだろうとも思います。

そして今、そのような家庭が増えてきています。

この問題の背景には「家族の崩壊」、「地域のつながりの崩壊」、「生活の崩壊」、そして「貧困家庭」の問題も関係しています。

子どもを責めても、親を責めても、道徳教育を強化しても、何にも問題は解決しないのです。

悲しい事件です。





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Last updated  2015.03.06 07:20:59
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