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ネットのニュースを見ていたら日経に
「学力テスト、縮む地域差 理科は実験結果の分析苦手」と題して、以下のように書かれていました。(以下は抜粋です) 文部科学省は25日、小学6年と中学3年の全員を対象にした2015年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表した。3年ぶりに実施した理科では観察や実験の結果を分析し説明する問題の正答率が低く、弱点が鮮明になった。 理科の正答率は小学校61.0%、中学53.5%。中でも解答を記述する問題の正答率はそれぞれ45.5%、46.4%と低く、「観察や実験の結果を分析し、説明する力」に課題があることが浮き彫りになった。 国語では文章の引用に関する理解や自分の考えをまとめる力に課題がみられた。算数・数学では比較や割合の考え方を正しく理解し、割合から元の量を計算して出す問題などが苦手との結果が改めて示された。 これは簡単に言ってしまえば、「今の子は自分の頭で考える能力が低い」ということでもあります。 「観察や実験の結果を分析し、説明する力」に課題がある ということは、昨日書いた「実体験から学ぶ力が弱い」ということでもあります。 でもこれは、子どものせいではありません。子どもの学習能力が低下したということでもありません。ただ、やっていないことだから出来ないだけです。 コマを回しているところを見せずに、説明文だけでコマを回させようとしても回せる子はほとんどいないでしょう。それと同じです。 これは、今の「日本の教育のあり方」の問題であって「子どもの能力の問題」ではありません。 その視点を抜きに、このような結果を読んでも無意味です。 今の学校での実験は、失敗させないよう、事故が起きないよう、ちゃんと安全を確保しながらマニュアル通りにやらせているようです。 つまり、先生の言うとおりにやればみんな成功するような実験なんです。 でも、そんなの実験ではありません。そんなことをやっても子どもは何も学べません。 本当の実験には、失敗や事故はつきものなんです。それを含めて「実験」なんです。最初から「正解」や「結果」が分かっている行為は、「作業」であって、「実験」ではありません。 記事には「観察や実験の結果を分析し、説明する力が弱い」、と書いてありますが、そもそもちゃんとした「実験」をさせていないのですから、これは当然のことです。 最近の子どもたちは、「失敗」を非常に嫌がり、避けようとします。また、好奇心だけで動くことをせず、ある程度結果が分かるような活動にしか手を出しません。 そのため、そこにあるのはただ「成功」か「失敗」かだけであって、「気づき」や「発見」がないのです。 そもそも、最近の子どもたちを見ていると、「気づきや発見を楽しむ」という感性自体が弱いように感じます。 2,3才ごろの子はまだ「気づいた喜び」や「発見した喜び」を語ってくれますが、小学生くらいになると、「自分で気づいたこと」や「自分で発見したこと」に喜びを感じなくなるようです。 大人がそういうことを肯定しないからでしょう。 それよりも、「どれだけ知っているか」というようなことばかりを自慢しています。 大人がそういうことを求めているからでしょう。 「自分で気づいたこと」や「自分で発見したこと」には「正解」はありません。テストで「自分が発見したこと」を書いても、○はもらえません。 大人たちは、読書感想文にすら「正解」を求めています。 「子どもが本を読んで感じた事」とは、「子どもが本を読んで気づき、発見したこと」に他なりません。 でも、それをそのまま書くと×になるのです。 「気づき」や「発見」を肯定しないで、「自分の頭で考えろ」と言うのは矛盾です。 また、これも昨日読んだニュースなんですが、最近の若者はバックパッカーのような目的がはっきりしない旅行にはあまり興味を示さないそうです。 「dot」というニュースサイトに 若者の旅行離れ ライバルは「インターンシップ」? 題して以下のように書かれていました。(以下抜粋です) 若者たちの旅行離れが進んでいるとされる。旅行会社にとってライバルとなっているのは、インターンシップだ。 「昔のバックパッカーは、あるもの、見るもの全部受け入れて自分の経験としてとらえていた。いまの学生は手堅いというか、ムダを嫌い、外したくないという気持ちが強いようです」 そう話すのは、4年ほど前から若者向けスタディツアーを運営する風カルチャークラブ代表取締役の嶋田京一さんだ。 「モンゴル 草原にある小さな村の学校修復活動と草原乗馬8日間」「ペルー 世界遺産マチュピチュ・クスコ日本語学校交流活動8日間」などのツアーを催行してきた。 モンゴルは27万9千円から。ペルーは39万7千円から。学生にとっては決して安くない。格安航空券や安宿を自分で手配すればいいのに、と思うかもしれないが、どんな経験になるかわからない旅より、現地の人との交流が約束されていて「確実に」自分の求めるものが得られることが重要なのだ。就職活動のネタづくりという側面もある。 私は35年ぐらい前、一年近くバックパッカーとしてヨーロッパやインドを歩いてきました。 バックパッカーには決まった目的も、スケジュールもありません。その時その時の好奇心と、お財布の中身が予定を決めるのです。 当然、危険なこともあります。「旅行者が殺された」という話も時々聞きました。「身ぐるみはがされた」なんて話は珍しくありませんでした。 実際、私が日本を出るときには「旅の途中で死ぬかもしれない」という覚悟までありました。 それでも自分の好奇心に従って世界を見てみたかったのです。 身近な成果を得ることよりも、まず「自分の世界」を広げたかったのです。 そして、私の周りにはそのような若者もいっぱいいました。それが「時代の雰囲気」でもあったのかも知れません。 最近の若者は、そんな結果がはっきりとせず、曖昧で、危険で、無駄な活動にはあまり興味がないようです。 でも、冒険しない人は自分の世界を広げることが出来ません。 それでもその世界に満足しているのならそれはそれでもいいのですが、その狭い世界の中で愚痴を言いながら生きて行くのは、私には耐えられないことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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